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境界を超える少女の物語  作者: Sekhmet
第6章

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【6-4】境界を超えし者

 ティアナは深く息を吐き、胸の奥の光の余韻を確かめていた。仲間たちは無事だろうか、と思った矢先――


 足元に青白い魔法陣が浮かび上がった。

 水晶を叩いたような透明な音色が夜気に響き、魔法陣の光が一気に弾けた。振り返ったティアナの瞳に映ったのは、疲労に塗れた二つの影だった。

「シグ……! フィオナ!」

 魔法陣の中心に立つのは、肩で息をつくシグと、彼に支えられるように寄り添うフィオナ。転移の光が消え去ると同時に、フィオナの膝が崩れ落ちかける。

「フィオナっ!」

 ティアナは慌てて駆け寄り、その体を抱きとめた。

 細い身体から伝わるのは、戦いで流した汗と熱。けれど、その温もりが確かに生の証を語っていた。

「……大丈夫よ。ちょっと、力を使いすぎただけ」

 フィオナはかすかに微笑み、ティアナの腕に自分の重みを預ける。


 シグはその場に膝をつき、両手を地につけて深く息を吐いた。そして力尽きたようにあぐらをかき、静かに腰を下ろす。

「ふぅ……さすがに骨が折れたな」

 その顔には疲労が濃く刻まれていたが、同時に守り抜いた者だけが持つ安堵の影も宿っていた。

 ノクスが巨体を傾け、竜の口からゆっくりと白い吐息をもらした。黄金の瞳に僅かな笑みが宿る。

「久方ぶりに見たぞ、シグ。あの結界……見事であった」

 シグは肩を揺らし、少し照れくさそうに目を伏せた。

「……まさか褒められるとはな。だが、お前の炎も負けてはいなかったぞ」

 竜と守護者が互いを称え合うその光景に、ティアナは胸が熱くなった。戦いを越え、こうして再び顔を合わせて言葉を交わせる――その事実が、何より尊いものに思えた。


「ティアナ!」

 声に振り返ると、ザラがこちらへと歩いてくるところだった。肩で息をしながらも、琥珀色の瞳は真っ直ぐにティアナを射抜いている。

周囲のざわめきが遠のき、二人だけの時間が切り取られたように静けさが訪れた。


「……あのさ、ティアナ」

 ザラは立ち止まると、拳を強く握り直し、視線を地面に落とした。言葉を探すように唇を噛む姿は、戦場で見せた獣のような強さよりも、むしろ年相応の少女らしさを帯びていた。

「最初に会った時、あたし……お前のこと、全然信用してなかった。妹を治してもらった時でさえ、『どうせ人間の偽善だろ』って、そう思ってた」

 吐き出す言葉は重く、それでいて長く心に絡みついていた棘をひとつひとつ引き抜くような、痛みを伴っていた。

「でもな……本当は、すごく嬉しかったんだ。あたしにはどうにもできなかったのに、お前が妹を助けてくれて……あの時、本当は『ありがとう』って言いたかった。でも、プライドが邪魔をして、嫉妬もあって……素直になれなかった」

 滲む声を堪えながら、ザラは顔を上げる。その瞳は、今度こそまっすぐにティアナを見据えていた。

「でも今日……お前の戦いを見て分かったんだ。人間とか、けもみみとか、そんな区別じゃなくて……大切な人を守るために立ってるんだって。あたし……間違ってた。ティアナは、本当に……信じられる奴だ」


 ティアナは何も言わず静かに歩み寄り、その拳を両手で包み込んだ。小さく震える拳の熱を受け止め、言葉以上のものを伝えるようにそっと力を込める。

「最初に、人間の親子を魔獣から守ってくれたよね。あの時、本当にありがとう」

 ティアナの声は、優しく、けれど揺るぎない強さを帯びていた。

「それに、今日まで一緒に戦ってくれてありがとう。ザラは……とても頼りになったよ」

 その言葉に、ザラの目が揺れる。握りしめていた拳の力がふっと抜け、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えているのが伝わった。ティアナは手を離さず、さらに寄り添うように言葉を重ねる。

「でも……私こそ、ザラの気持ちに気づけなかった。妹さんのことも、スラムで背負ってきたものも、知らないことばかりだった。だから……これからは、教えてほしい。私たち、一緒に歩いていこう」

 静かに紡がれた言葉に、ザラは一瞬顔を背けた。照れ臭さを隠すように息を吐き、不器用に笑う。

「……ああ。悪くねぇな。これからも――頼りにしてるぜ、ティアナ」

 その不器用な言葉はどこかぎこちないのに、確かな温もりを帯びて胸へ沁み込んでいく。ティアナは小さく頷き、その瞳に笑みを浮かべた。


 その時、シグはゆっくりと立ち上がった。杖に体重を預け、深いシワの刻まれた顔には疲労が濃く滲んでいる。だが、その瞳に宿る穏やかな光は、夜を越えた確信に満ちていた。

「ふむ……皆で街の様子を見に行かんかの」

 一同の視線がシグに集まる中、彼は杖を軽く地に突いた。

「戦いは終わった。だが、まだ不安に胸を締め付けられて眠れぬ者もおろう。……わしが昔に見つけた、良い場所がある。街を一望できる見晴らし台じゃ。そこからなら、皆の無事を確かめられよう」

 シグは遠く城壁の向こうを見やり、小さく微笑んだ。

 ノクスが小さく鼻を鳴らして同意を示し、ザラも腕を組んだまま「……そうだな」と頷いた。

「では……もう一度、転移の術を使わせてもらうぞ」

 シグの声に応じるように、淡い青白い光が地を這うように広がっていく。魔法陣が輝きを増すたび、風が静かに渦を巻き、仲間たちの衣を揺らした。ゆらめく光の中で交わされる視線には、疲労と安堵、そして次へ進む決意が宿っていた。


 やがて一閃――世界が柔らかく歪み、視界を包んだ光が収束すると、彼らは街一番の高台に立っていた。

 そこからは街全体が見渡せた。

 朝日が石造りの屋根を金色に染め、結界に守られた街並みは傷一つなく、穏やかな光に包まれている。家々の窓からは温かな明かりが漏れ、避難所では人々の影がゆらゆらと動いていた。

 シグは杖を胸の前に持ち上げ、仲間たちに視線を巡らせてから小さく頷いた。

「さて……街の皆を安心させてやるとするかのう」

 その声音には疲労の影が色濃く滲んでいたが、不思議とどこか優しい響きがあった。


 シグはゆっくりと杖を掲げる。夜明けの空に淡い光の粒が舞い、やがて複雑な紋様を描きながら大きな魔法陣が展開する。蒼白に輝く円陣は、まるで空そのものが開かれたかのように広がり、街中に清らかな光を注いだ。


 やがて、低く落ち着いた声が街全体に響き渡った。

「皆の者――闇は退けられた! 街は無事だ。恐れることはない!」

 その宣告と同時に、魔法陣から光が奔り、朝の空を巨大な幕のように染め上げる。浮かび上がったのは五つの影――いや、確かな姿だった。


 中央に立つのは、獣の耳と尾を持つ少女、ティアナ。光を纏ったその姿は、凛として背筋を伸ばし、両の手を広げるように街へ向けて差し伸べられている。その傍らには翼をたたんだ白磁の竜ノクス。竜の鱗にはまだ戦いの熱が残り、青白い光を返している。

 さらにその周囲には、荒い息を吐きながらも獣化の力を纏ったフィオナ、杖を支えに立つシグ、そして裂けた袖も気にせず拳を掲げるザラ。五人は戦いの痕を刻んだまま、確かに無事な姿をそこに示していた。

 光に浮かび上がった五人の姿を見上げた避難所の人々は、息を呑んだ。

 最初に広がったのは、驚きのざわめきだった。

「な……なんだ、あれは……!」


 だが次の瞬間、誰かの震える声が零れる。

「あの方たちが……私たちを守ってくれた……!」

 驚きは確信へ、そして確信は歓喜へと姿を変えていく。

 老人は杖を抱き締めるようにして空を仰ぎ、若い母親は子を抱き寄せて涙をこぼした。兵士たちもまた剣を掲げ、声を震わせながら叫ぶ。

「我らは守られたのだ!」

 人々の声が重なり、見晴らし台に立つティアナたちの胸にも届いていく。

 シグがゆるやかに杖を下ろすと、空を満たしていた光の幻影がほどけるように薄れていった。

 街のあちこちからはまだ歓声や泣き声が交じり合って届くが、見晴らし台の上には不思議な静けさが訪れる。風がひと吹きして、戦いの緊張を洗い流すようだった。

 手すりに寄りかかっていたフィオナが、じっと眼下を見下ろしていた。群衆の歓喜を見つめながら、その横顔はどこか影を帯びている。


「……私ね」

 不意に落ちた声に、ティアナは小さく首を傾ける。

 振り返った先で、フィオナは少しだけ視線を逸らし、肩をすくめるように笑った。

「正直、まだよく分からないよ。人間のこと」

 彼女は遠くの街並みを指さすように目だけで追いながら、ぽつりと続ける。

「でも今日、戦ってる時に気付いちゃった。ティーちゃんが大事にしてるもの、全部敵に回しちゃったら……困らせるなって」

 ティアナの胸に、温かなものが広がる。彼女はそっと息を整え、隣に立つ友の横顔を見つめた。

 フィオナは一拍置いて、わざとぶっきらぼうに言葉を結ぶ。

「だから、これからも一緒にいてあげる。ティーちゃんが守りたいものなら……まあ、人間が生き残ってても、我慢してあげる」

 最後にちらりと笑みを浮かべるその表情は、どこか子どものようで、そして誰より誠実だった。

 ティアナはその不器用な優しさに気付いて、静かに笑みを返した。

「えへへ」

 フィオナが照れたように笑って、ティアナの隣に並ぶ。

「私、ティーちゃんと一緒なら、どこでも頑張れるよ。これからもよろしくね」

 そう言って差し出された手を、ティアナは両手で包み込んだ。

「こちらこそ、よろしく」


 場が和やかに揺れるなか、すっと影が落ちた。

 シグが無言のままザラへと歩み寄る。

 無骨な大きな手が、いきなりザラの頭にのしかかり、わしゃわしゃと容赦なく髪をかき乱した。

「お、おいっ……!」

 ザラが眉をひそめ、抗議の声をあげかけるが、シグは楽しげに目を細めて言葉を重ねた。

「お前も、ずいぶんと成長したのぅ。小娘だったころとは見違えるわい」

 その言葉にティアナは目を瞬かせ、驚きに声を上げる。

「えっ……? シグさん、ザラのこと知ってるの?」

 シグは当然のように頷き、微笑を深めた。

「あぁ、昔から知っておるよ。こやつがまだ幼かった頃からな」

 思いもよらぬ答えに、ティアナの胸は小さく弾む。

 ザラは気まずそうに視線を逸らし、耳の先を赤らめていた。


 その時、背後からゆっくりとした足音が響いた。

 振り返れば、白磁のごとく透き通る鱗をまとった竜――ノクスが、のそのそと近づいてくるところだった。

 静かに巨体を揺らしながら首を垂れたその姿は、堂々たる威容でありながら、不思議な温かさを帯びていた。

「ザラよ。わしからも礼を言うぞ」

 深い響きを持つ声が、見晴らし台に低く響き渡る。

「兵士たちと共に最前線で戦い、皆を鼓舞したおぬしの姿を見ておった。戦士として、仲間として、誇らしく思うぞ」

 不意に向けられた称賛に、ザラの胸が熱くなる。

 照れくささと誇らしさが入り混じり、彼女は短く「……別に」と呟いて視線を落とした。

 しかしその横顔は柔らかく緩んでいた。


 温かな空気に包まれ、ティアナははっと顔を上げた。

 まだ震える胸の奥には、先ほどまで燃え盛っていた光の余韻がかすかに脈打っている。

 その鼓動に重なるように、街からの歓声が波のように押し寄せてきた。

「……聞こえる。みんなの声が……」

 小さな呟きが唇から零れる。

 その瞬間、張り詰めていた糸が切れたかのように、頬を一筋の涙が伝った。

 それは悲しみではなく、守り抜いた確信と、人々の想いに応える喜びの証だった。

 竜のままのノクスが隣で荒く息を吐き、首を垂れる。

 だがその口元には、戦いの最中では決して見せなかった穏やかな笑みが浮かんでいた。

「やっと……あの街の連中を、笑わせてやれたな」

 その声に、仲間たちの視線が自然と集まる。

 フィオナは疲れた身体を手すりに預け、その身に染み付いた戦いの熱を冷ましている。遠く、街からのざわめきが波のように押し寄せ、彼女の鼓膜をかすかに揺らした。

「……泣いてるね、みんな。きっと、ずっと怖かったんだ」

 頬を伝う汗と埃を拭う指先に力がこもる。その瞳には涙はなく、かすかに聞こえる声に耳を澄ますように、強く生きる意思の光が宿っていた。


 シグは杖を握り直し、地に何かを念ずるようにして杖を二回、コンコンと突いた。

 すると街に張っていた結界が少しずつ光の粒子となりながら天へ消えていき、長く続いた守りの魔力がようやく解かれた。

「……我らが守り抜いた光景を、人々の心が証としてくれる。これ以上の報いはない」

 その声には、疲れを隠しきれぬながらも、誇り高き余韻が宿っていた。

 ザラは血と土にまみれた拳を胸に打ちつけ、荒い息のまま吠えるように叫んだ。

「聞いたかよ! みんな、負けねぇって叫んでる! ……あたしたち、本当に守りきったんだ!」

 それは獣の叫びのようでありながら、勝利を刻みつける誓いでもあった。


 ティアナは一歩前に進み、朝日に照らされた街を見渡す。

 絶えることのない歓声と、涙と笑顔が重なり合う光景は、まるで街全体がひとつの心臓のように脈打っている。

 その景色を前にした彼女の胸には、もはや迷いの影はひとかけらもなかった。

「……ありがとう。私たちも、みんなに守られてる」

 誰に向けるでもなく、祈りにも似た言葉が朝の空へと溶けていく。

 その声は仲間たちの胸に、そして街の人々の心に、確かな約束として刻まれていった。

 朝の風が髪を揺らし、黎明の光がその掌を透かしてゆく。

「私たちは……特別に選ばれたんじゃない。ただ、この街で生きているから。だから守りたくて、戦った。それだけ。だからきっと、これからも――」

 言葉を切り、ティアナは眼下の街を見渡した。

 人々の歓声が、見晴らし台まで押し寄せてくる。

 抱き合い、涙を流す者。

 ひざまずき祈りを捧げる者。

 声を張り上げて、夜を越えたことを確かめ合う者。

 そのどの顔にも、生き延びた喜びと、光を取り戻した安堵がはっきりと刻まれていた。

 ティアナは小さく微笑み、力強く言葉を紡ぐ。

「――だから、これからも歩いていける。闇が現れるのなら、私たちがまた立ち向かう。そうでしょ?」

 その問いかけに、仲間たちは迷いなく応じた。

 ノクスの黄金の瞳には確かな誓いが宿り、フィオナは涙を拭って笑みを浮かべ、シグは静かにうなずき、ザラは拳を高く掲げる。


 そして――黎明の光が完全に街を包み込んだ。

 結界に守られた清らかな街並みも、人々の笑顔も、すべてを照らし出しながら、新しい一日を告げていた。

 長い夜は終わった。


 ただ、朝の空の片隅でほんの一瞬、淡い影が揺れた。

 それは風に舞う葉のように儚く、誰の目にも留まらぬまま消えていった。


――それはただ、この先へと続く物語を静かに予感させる、かすかな余韻でしかなかった。

最初に伝えたいことがあります。


この第6章4部の途中から、あとがきを書いている今この瞬間まで、私は泣きながら書いています。

まさか自分の小説で泣かされるとは思ってもみませんでした。最後まで書き終えた瞬間、涙が本当に止まりません。

昔はそんなことなかったのに、今になってアニメや映画でも泣くようになりました。

きっと年を重ねて、人の心の温かさや、大切なものを守りたいという気持ちが、より深く響くようになったのかもしれません。

もし私と同じように、この物語を読んで心が動いた方がいらっしゃるなら、それ以上に嬉しいことはありません。ティアナたちと一緒に笑い、悩み、戦い、そして最後には希望を感じていただけたでしょうか。

私のように感動をお届けできていたら、本当に嬉しいです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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