表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/28

【2ー5】波紋の先触れ

――翌朝。

 東の空が白み始めるころ、学生寮の廊下はまだひっそりとしていた。

 ティアナは肩掛け鞄を手に部屋を出ると、隣の扉を軽くノックする。


「おはよー、フィオナ。準備できた?」

「ばっちり! 今日はノクスのとこ行くんだよね?」

「うん、昨日のこと全部話そう」


 二人は並んで階段を下り、ひんやりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 街路には朝靄が漂い、遠くでパン屋の香ばしい匂いが風に乗って届いた。


 ノクスの住処は学院の裏手に広がる森のさらに奥――

 二人は足を踏み入れるたびに、少しずつ景色が変わっていくのを感じていた。

 森の入口に足を踏み入れると、街のざわめきは一気に遠のき、木々の間を抜ける風の音だけが耳に届いた。

 差し込む朝の光は葉の隙間で細かく砕け、地面にまだら模様を描いている。


「なんか……空気が澄んでるね」

 フィオナが深呼吸しながら呟く。

「うん。ちょっと肌寒いくらい」

 ティアナは肩をすくめたが、その表情はどこか楽しげだった。

 小道を進むごとに、道端には見慣れない草花や小さなキノコが顔を出す。

 時折、どこからか鳥のさえずりや小動物の足音が聞こえ、二人の足取りを急かすようだった。

 やがて、古びた石畳が現れる。

 その先、蔦に覆われた小さなアーチ状の門をくぐると、奥にひっそりと建つ家が見えた。

 丸い屋根と煙突、壁には色とりどりの乾燥ハーブが吊るされている。


「わぁ……なんだかおとぎ話みたい」

「ね。あそこがノクスの住処なんだ」

 二人が近づくと、扉がきぃ、と音を立てて開いた。


 そこに立っていたのは、昨日の銀髪の少女――ノクスだった。

 金色の瞳が朝の光を反射して輝き、ふっと口角が上がる。

「よう来たの。さ、遠慮せず入るがよい」

 ノクスの声に促され、二人は少し緊張しながらも家の中へと足を踏み入れた。

 家の中は外観以上に温かみがあった。

 丸い窓から差し込む光が木の床をやわらかく照らし、棚には瓶詰めの薬草や古びた本がぎっしり並んでいる。

 乾いたハーブの香りに混じって、かすかに甘い香りが漂っていた。

 壁際の暖炉には小さな炎が揺れ、その前に低い丸テーブルとふかふかの椅子が二つ置かれている。

 どこかの森から集められたのか、珍しい形の木の実や、色鮮やかな羽根飾りも飾られていた。


「おぉ……すごい」

 フィオナが思わず声を漏らす。

「何だか、いろんな国のものが集まってるみたい」

 ティアナも目を輝かせながら、棚の奥まで覗き込んだ。

「ふむ、気に入ってもらえたなら何よりじゃ」

 ノクスは杖を軽く突き、奥の棚から湯気の立つポットとカップを取り出した。

「まずは温かい茶でも飲むがよい。話はそれからじゃ」

 二人は椅子に腰掛け、差し出されたカップを受け取る。

 ほのかな柑橘とハーブの香りが鼻をくすぐり、緊張していた肩が少しほぐれた。


 ティアナは一口すすってから、ゆっくりと口を開いた。

「フィオナ、あれお願い」

「うん」

 フィオナはカップを置き、両手を机の上にかざす。

 指先から淡い青白い光が広がり、魔力の紋様が空気に描き出されていく。

 それを見たノクスの目が細くなり、口角がわずかに上がった。

「ほぅ……? おぬし、高度魔術式を即興で組めるのか。大したもんじゃのぅ」

「え、あ、まぁ……それなりに?」

「ふむ。その術を使えるとなると……やはり“あの一族”の者か?」


 フィオナの指先がぴくりと止まる。

「え、えぇっと……そ、それより、このページ! これ何?!」

 慌てて話題を切り替えると、ティアナが「んぅ?」と首を傾げる。

 何か引っかかった様子だったが、今は流れを崩さずに聞き役に回ることにした。


 次の瞬間、そこには図書館の一角が立体的に浮かび上がった。

 古びた書棚や、埃をかぶった机。そして――机の上に開かれた一冊の分厚い本。

 ページには古代語の文字と、禍々しい紋様が鮮やかに映し出されている。

「……この紋様、まさか封印式か?」

 ノクスは椅子からわずかに前のめりになり、投影されたページに目を凝らした。

 その表情は、滅多に見せない真剣そのものだ。

「封印式?」

 ティアナが聞き返す。

「うむ。古代において禁忌とされた術式じゃ。通常は国家級の魔術師でも解読できぬほど複雑な多重構造になっておる」

 フィオナは小首を傾げながらも、指先で投影映像の紋様をなぞった。

「これ、ただの封印じゃない……鍵が二重になってる。それに、この形……」

「気づいたか。そう、外枠の魔法陣は“囮”じゃ。実際に効力を持つのは中央の……」

 ノクスの言葉が途切れた。

 中央部分の紋様が、わずかに光を放ち始めたのだ。

 投影魔術の映像だというのに、その輝きは現実世界へと干渉するかのように鮮烈だった。

「な、何これ……私、こんな反応入れた覚えないのに」

 フィオナの眉がひそめられる。

「……ほぅ。やはり“封印の残響”か。これはただの記録ではない。書物自体に術式が刻まれ、見る者に反応を返す……危険な類じゃな」

 ノクスはゆっくりと背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。

 ティアナは視線をフィオナとノクスの間で行き来させた。

「じゃあ、この本って……」

「恐らく、持ち出し禁止の中でも特に厳重な部類に入る。下手に触れば、封印が解けるやもしれん」


 その言葉に、フィオナの喉が小さく鳴る。

 彼女の魔術が“触れて”しまったことで、何かを呼び覚ましたのでは――そんな予感が背筋を冷たく這い上がってきた。

 ノクスは片手を軽く振ると、投影映像をすっと霧散させた。

「これ以上は危うい。お主ら、あの本に二度と近づくでない」


 しかしティアナは、その表情の奥にわずかなためらいを見て取った。

 ノクスがここまで警戒するということは、きっと――。


 その慌てぶりに、ティアナは小首をかしげたものの、無理に問いただすのはやめておいた。

――まあ、後で聞けばいいか。

 そんな空気を察したのか、ノクスが手を叩いて二人の視線を集めた。

「さて……今日はそなたらに、ひとつ手伝ってほしいことがあってのぅ」


 ティアナとフィオナが顔を見合わせると、ノクスはにやりと笑い、言葉を続けた。

「魔術結界の整備じゃ。ちょうどええ、勉強にもなるじゃろうし……のぅ、二人共?」

 さらに手の甲で口元を隠し、小声でささやく。

「なんなら、あの学院じゃ教えてくれんことも、こっそり伝授してやるぞ?」

 その声音と金色の瞳の輝きに、ティアナの胸が少し高鳴った。

 フィオナも興味を抑えきれず、椅子から身を乗り出す。

「やります! ね、ティアナもでしょ?」

「……まあ、興味はあるけど」

「決まりじゃな」

 ノクスは満足げに頷き、部屋の奥にある古びた棚から何本もの杖や水晶を取り出した。

 こうして、即席の魔術講義が始まった。


 結界の構築、干渉への対処、魔力の流れを読む感覚――。

 学院では教わらない実戦的な知識が、次々と二人の頭に刻まれていく。

 何度も魔力の反発で弾かれながらも、ティアナは着実に術式を形にし、フィオナは持ち前の集中力で複雑な術式を覚え切った。


 やがて夜が更ける頃、ノクスは杖を肩に担ぎながら満足そうに笑う。

「ふむ……これで、いざという時も自分の身くらいは守れるじゃろう」


 それが、この先の二人の運命を左右する技術になることを、まだ誰も知らなかった。

 夜の静けさが部屋を包む。月の光が窓から差し込み、ふかふかのベッドに横たわるティアナとフィオナの顔を淡く照らす。外からは風の音だけが聞こえ、街の喧騒は遠くに霞んでいた。


 ティアナは毛布にくるまりながら、小さく身を起こす。

「ねえ、フィオナ……ノクスさんが言ってた“あの一族”って、何のことなの?」

 フィオナは少し目を細め、遠い記憶をたどるように視線を宙に漂わせた。

「……私の故郷のことだよ。迷いの森を越えた先、“風花ノ郷(ふうかのさと)”っていう、けもみみ族だけの隠れ里。森と丘が入り混じる静かな土地で、外の世界とはほとんど交流がないの」


 木造の家々には縁側や紙障子があり、自然と調和して暮らす。魔力は血筋によって受け継がれ、特に魔法の腕が優れた家系は尊ばれる――そんな場所で、私は育った。

 フィオナは少し笑って肩をすくめる。

「私はね、頭で考えるよりも感覚で覚える方が得意だから、それでずっとやってきたの。周りからどう見られても気にしないようにしてたし……」


 ティアナはその言葉に微笑み、そっと彼女の頭を撫でた。

「ここまで、よく頑張ってきたんだね」

フィオナの頬がわずかに緩む。

「うん。でもね、ティアナと出会って、ただ力を振るうだけじゃない魔法の意味も少しずつ分かってきたんだ」

 二人は月光の下で言葉を交わし、そのまま心地よい沈黙に包まれた。夜の静けさが、まるで彼女たちの心を優しく撫でていくようだった。


──そして翌朝。

 窓の外では小鳥たちのさえずりが響き、部屋を柔らかな朝日が満たしていた。

 ティアナはゆっくりと目を覚まし、隣のベッドでまだすやすやと眠るフィオナを見やる。

 昨夜の会話がふっと胸を温め、自然と口元がほころんだ。


 身支度を整えて階下へ降りると、既にノクスが暖炉の前で湯気の立つマグを手にしていた。

「おはようさん。よく眠れたかの?」

「はい、おかげさまで」

 ティアナが軽く会釈し、続いてフィオナも眠そうな目をこすりながら挨拶する。

 ノクスは二人をじっと見て、ふっと口元を緩めた。

「昨日の訓練、よくやったのぅ。……で、これからどうするつもりじゃ?」

 ティアナは少し考えてから口を開いた。

「ひとまず、喫茶店のシグさんに会って、この先どう動くべきか助言をもらいたいです」

 ノクスはマグを机に置き、軽く頷いた。

「ふむ……それなら一緒に行こうじゃないか。ちと用事を思い出しての」

 ティアナとフィオナは頷き、三人は街の外れにある喫茶店<ノクターナ>へ向かった。


 店の扉を押し開けると、カラン、と鈴の音が響く。

 店内は静かで、客は一人もいない。

 しかし、肝心のマスター・シグの姿も見当たらなかった。

 ノクスは眉をひそめ、カウンターを一瞥する。

「……おかしいのう。昼時を外しても、あやつが店を空けることなど滅多にないのじゃが」


 その瞬間、ティアナの胸に小さなざわめきが走った。

 息を吸うたびに胸の奥が微かに熱く、鼓動が少し早まるような感覚。まるで何かが彼女を呼んでいるかのようだった。

 その時、店内の空気がわずかに揺らぎ、遠くで何か大きな力が動いている気配を感じた。


「……いやな予感じゃな」

 ノクスの低い声が響く。ティアナも同じく胸のざわめきを覚え、顔を引き締める。


 三人は静かに店内で立ち尽くし、外界の空気が微かに震えるのを感じた。

 それは、まだ小さな波紋に過ぎない――しかし確かに、大きな何かが近づいていることを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ