第1章 死にたくなかったのに死んでいた(9/15)
町を出ると、空気が変わった。
大気の粘度が一段階上がったかのような重さ。
視界の端で、あの“黒”が再びちらついた気がする。
錯覚かもしれない。けれど、錯覚は連続すれば現実になる。
俺は、“この世界の何か”に追い詰められていた。
ただの偶然ではない。
黒い穴、見知らぬ男たちの口封じ、そして──記憶の断片。
それらはすべて、ひとつの物語に収束しつつあった。
「転生、か……」
あらためて口にしてみる。
それは今の俺にとって、あまりにも軽すぎる単語だった。
死んで、生まれ変わる。
その“断絶”は、紙を一枚めくるような滑らかさで処理された。
神を名乗る存在の前で、俺はあっさりと“了承”していた。
あの時、もっと疑うべきだった。
もっと、叫ぶべきだった。
「……俺は、本当に死んだのか?」
疑問が、喉をつたって出てきた瞬間、自分の心臓が強く鼓動するのを感じた。
それはまるで、否定を“拒む”反応だった。
誰かに、思考を読まれているような錯覚。
脳の裏側を冷たい手で撫でられているような、得体の知れない気配。
そうだ。俺は感じていた。
──何者かが、俺の内側に“侵入”している。
それは神か? この世界そのものか?
それとも、かつての“俺自身”か?
いずれにせよ、俺はこれから先、ただ隠れて生きていくことなど許されない。
静かに生きるという選択肢は、すでに排除されている。
「……旅を続けよう」
初めて、自分の意思で口にした決定だった。
逃げているのではない。
これは、“何か”を確かめるための旅だ。
俺の記憶を奪ったもの。
俺をこの世界に落とした理由。
そして──俺が、なぜこの世界で“最強”なのか。
それらの答えは、ただ待っていても現れない。
ならば、こちらから迎えにいくしかない。
◆
夜。
焚き火の炎が、闇を押し返していた。
枝をくべ、湯を沸かす。乾いたパンを炙りながら、ぼんやりと考える。
ふと、視界の奥がチカチカと点滅する。
まただ。
あの“黒”が、視野の外縁で蠢いている。
「……お前は、誰なんだ?」
俺は火に向かってそう呟いた。
誰かがそこにいる気配は、すでに慣れてしまった。
だが、それが“自分自身”である可能性だけは、いまだに受け入れられずにいる。
夜が深くなるにつれ、思考は静かに沈んでいく。
目を閉じ、眠りに落ちる直前──
あの“目”が、夢の奥から俺を見ていた。
その瞬間、俺は確信した。
この世界は、ただの異世界ではない。
俺が転生した理由は、神の手違いなどではない。
あれは、仕組まれた始まりだった。