第1章 死にたくなかったのに死んでいた(2/15)
草の感触が、妙に生々しかった。
俺はゆっくりと身を起こし、周囲を見渡す。
丘陵地。木々。遠くに白い煙。近くに流れる小川。小鳥のさえずり。背後から風が吹いた。
まるで絵本の挿絵のような、やけに丁寧な景色だった。
「……リアルすぎる」
口にした瞬間、自分の声に違和感を覚えた。
明らかに若い。いや、それどころか、十代前半のようにも聞こえる。
鏡はない。だが、目の前の水面に映った自分の顔がそれを証明していた。
──見知らぬ少年が、そこにいた。
髪は黒く、目元が鋭い。どこか「透」の面影は残っているが、明らかに別人だ。
身体も小さく、腕も細い。
だが、一つだけ変わらないものがあった。
目の奥。
それだけは、三十七歳の「俺」のままだった。
「……まいったな」
ため息をついて、俺は立ち上がる。
ステータスカンスト?
冗談ではない。そんなもの、使うつもりはない。
俺はもう、争いたくも、働きたくも、努力したくもない。
転生だろうとなんだろうと、面倒なことに関わりたくない。
それが、俺の唯一にして絶対の方針だった。
──にもかかわらず。
その日、俺は“冒険者ギルド”という場所に足を運ぶことになる。
まったく、神はいつだって余計な道標だけは立ててくれる。
◆
村の名前は「スレーヴ村」。
皮肉のような命名だが、村人は皆、笑っていた。
何を食べても旨い。空気はうまい。水も甘い。
だがそれらは、俺にとって、すべて“作り物”に見えた。
この世界が“本物”であることに、俺はどうしても確信を持てなかった。
「……いらっしゃい、旅のお方」
宿の主人が笑う。
その声は穏やかで、優しくて、どこか壊れていた。
「おひとり? 名前は?」
質問に答えながらも、俺は虚空を見つめていた。
この世界には、魔法があるという。
この世界には、スキルがあるという。
この世界には、ステータスがあるという。
だが俺は、それらを一切「見ない」ことに決めていた。
見るという行為には、受け入れるという意味がある。
俺は、まだ“この世界の住人”になることを、認めていなかった。
「名前は……ソウ。玖城ソウ、ってことにしてくれ」
思いつきで名乗ったその名前が、後にあれほどの重みを持つことになるとは、このときの俺は知る由もなかった。