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8章 昔々の話をしよう

 カチッカチッカチッカチッ

 さっきまでは沢山の温もりがあった部屋が今では絶対零度のように寒く感じる

 私は、追いかけるべきだったのだろうか

 私から言うべきだったのだろうか

 そうしていれば、もしかしたら

「紬!!」

「旦那、さま……」

 大きな音がして襖が開かれ強く、名前を呼ばれて振り返れば、そこには旦那様が立っていた

「な、泣いているのか……?」

 旦那様は私を見て狼狽えながらしゃがんでそっと頬に触れてくる

「え、あれ……おかしいな、そんな気は……ごめんなさい、見苦しく、て――」

 まさか泣いてるなんて自分でも思わなくて、必死で袖で目元を擦っていれば、旦那様に強く抱き締められる

「すまない」

「だ、旦那様っ!?」

 そうして旦那様は謝りながら私の目元を優しく拭う

 いきなりのことに慌てて離れようとするが旦那様は拘束を弱めない

「私が、泣かせたんだな、私が自分のことしか考えていなかったから」

「そんなっ……」

 自責とも取れるその言葉を何とか否定しようとした私から少し身を離すとしっかりと面の奥から覗く瞳を私に向けてくるから、私は何も言えなくなる

「紬、私は君の記憶に、封印をかけている」

「……え」

 そんな私に旦那様は淡々と、そう告げる

「詳しく言えば、幼少期の記憶だ、あまり、覚えていないだろう?」

「そう、ですね……はい……」

 幼少期の記憶は確かに朧気で、私はそれを両親を亡くしたショックから来るものだと思っていた

「それは私が君の幼少の記憶に封印をかけて思い出せないようにしているからだ……私は、その記憶をこれから返そうと思う、それを聞けば……私のことを嫌いになるかもしれない、自分を責めることになるかもしれない……だが、私のことは嫌いになってもいいから、どうか自分を責めることだけはしないで欲しい」

「それは……」

 私は真剣な旦那様の表情にはい、わかりましたなんて簡単に答えることは出来なかった

 これだけ隠したかったことで、これ程までに釘を刺すということは私の幼少期の記憶を知ることはそれなりの覚悟が必要なことなのだろう

 だからこそ、簡単に肯定していいことじゃない

「それから、私は君を器量が良いからとか、そういう意味で娶ったんじゃない、最初は、君を守るためだったが……いや、それも理由の一つだったに過ぎないだろう、私はあの頃から変わらずずっと君だけに恋してるのだから」

「旦那、様……」

 だが次の旦那様の言葉に私の心臓がどくんと脈打つ

 仙くんや清くんとも仲良くなって、旦那様と揉める前、四人で卓を囲めるようになってからも引っ掛かっていた唯一の事

 私の選ばれた、どうしようもない理由

 それがただの建前でしたと言われて嬉しくない者が果たしているだろうか

「だがまずは、その記憶を返す前に昔々の話を聞いてくれないか? 少し長くなってしまうが、それがすべての始まりだから」

 そして旦那様は真剣にそう言う

 だから私は、ただ頷く

「これは、まだ私が鬼ではなく……人間だった頃まで遡る」

 旦那様は私から手を離すと目の前に腰を据えて、それからゆっくりと、語りだした


 私は昔、子供の頃住む家もなく、母と一緒に森のなかで暮らしていた

 住み家は近くの洞窟、とも言えないぐらいのただの横穴

 貧乏だったからとかそういう理由もあるが何よりも、私が忌み子だったからどこの村でも爪弾きにされるからだった

 私は、元々は人間だったが同い年の子供の誰よりも力が強かった

 誰よりも身体が頑丈だった

 気象も荒くて

 そんな父が誰かも分からない私を皆が鬼の子だと謗った

 母は娼婦だったから父が分からないのも当然のことだったのに

 それで森に逃げた私達は、母は私を生かすために森を行き来する人間を殺すようになった

 母は殺した人間の肉を私に食事として与えた

 殺した人間の装飾品は近隣の村では売れないし、奪った金も使えないから

 幼い私には、人間が人間を食べるという、それが何と忌まわしいことなのだと理解すらしていなかった

 母に愛されて、腹も満たされる生活が当たり前だと思っていた

 だがそんな張りぼての幸せが長く続くわけもなく

 やがて鬼女と呼ばれるようになった母は、近隣の村人達に殺された

 私は幼ながらに力も強く身体も丈夫だったから簡単には死なずに逃げおおして、一人になってからは母の真似をして旅人を殺してその肉を食って生きていた

 善悪の区別すらついていなかった

 そんなある日、村を訪れた無名の僧侶に森に手をつけられない鬼が住んでいるからそれを退治して欲しいと村人達は懇願した

 それからは

 ああ、今思ってもしつこかったな

 逃げ足だけは早いから殺せなくて

 毎回何とか追い返してもまた次の日にはけろっとした表情で私に会いに来るんだから


「やぁやぁ、今日も来たよ」

 僧はそう言ってひょっこりと顔を覗かせる

「また来たのかよお前……」

 少年は言葉ではそう言いながらも実際のところは嬉しそうに僧を迎える

「今日は君に手土産があるんだよ」

「……これは?」

 僧は言いながら包みを開いて中身を少年に見せる

「これはね、かりんとうといって甘いお菓子だよ」

「食べて、いいのか?」

 少年は一度手を伸ばそうとしてから、ぴたりと止まって恐々と聞き返す

「もちろん、君のために持ってきたんだ、食べてくれないと困ってしまう」

「……旨い! なんだこれ!」

 笑顔で僧がそう言ったのを合図に少年はかりんとうを摘まんで口の中へ放り込む

 そしてパアッと顔を明るくさせてそう叫んだ

 物心ついてから殆ど人間の肉しか口にして来なかった少年からすればそれは青天の霹靂のようなものだった

「そうだろう、人間なんかよりも旨いだろう、君は本当に鬼ではないのだからこういうものを食べたらいいんだよ」

「……でも村には入れねぇし、売ってくれるとも思えない」

 笑いながらそう言う僧に少年は拗ねたようにそう返す

 母がしたこと、母がいなくなってから自身がしてきたことを鑑みれば買い物どころか村にすら入れない、それは幼いながらに分かっていた

「……これは、一つの提案だが、君さえ良ければ私と来ないか? 君は幼いながらに、知らないからと沢山の罪を背負ってしまっている、私はこんななりでも一応旅の僧、一緒に世界を巡って、魂の御祓をするんだ、それについてこれば沢山美味しいものだって食べられる」

 そんな少年に僧は一つの提案をする

「ついていっても、いいのか……? オレが、怖くないのか?」

 ここまで自分に関わろうとしてきた人間など今までいなかった少年からすればその提案は少し怖かったろう

 母以外の皆が自身が側にいることを忌んでいたのだから

 だがそんな少年の言葉に僧はより一層楽しそうに笑うだけだった

「非力な幼子の何を怖がることがあろうか、一緒に行こう、色んな世界を見せてあげよう、世界は広い、それなら、早いほうがいいな、明日には出ることにしようか、君を殺さなくてもそうすれば村の人達もきっと安心してくれる、そうだな、明日のこのぐらいの時間には迎えに来るよ」

 僧は言うと手に持っていたかりんとうの包みを少年に渡して去っていった

「わかった、待ってるからな!」

 だが、次の日僧はその場所には現れなかった

 私は不思議に思って村に様子を見に行った

 そこで見たものは

 

「な、んだ……これは……」

 何故かいつものような人の気配のしない村の入り口

 その時点で少年は一抹の不安を抱えた

 そんな不安のなか町の中枢まで進んでいけばその不安は現実のものとなった

 広場では血塗れの僧が倒れており、周りの村人達の手には桑や鎌が握られていたのだ

「げっ、鬼子が来やがった!」

「やっぱりこの僧、鬼子に拐かされて……」

「オレ見たもん! あいつもこいつが仲良さそうに話してるの!」

 少年が現れたことで村人たちはより一層騒ぎ立てる

 こんな年端もいかない少年がどうすれば僧を誑かすことなど出来ようか

 出来やしない

 だがそんなことを考える余裕すらないほどに村人達は少年を恐れていた

 だからこそ起きた悲劇

「し、ず……ごめ、ん、行けなくて」

 まだ息のある僧はごほごほと血を吐きながら少年に謝る

「……うっ、あぁぁぁぁあぁ!!!」

 それからのことは、断片的にしか覚えてないい

 気づいたら周りは血の海で、沢山の元人間が転がっていた

「ああ、なんてことだ、こんなことに、なるなんて……」

 気付けば少年は怒りに任せて村人を皆殺しにしていた

 僧にはそれを止めるほどの力は残っていなかった

「っ、ねぇ! これは何!? 痛いっ……!」

 僧の前に立って肩で息をする少年の顔にどこから現れたのか黒い、澱みのようなものがばしゃりと飛び散る

 それはじくじくと音をたてながら少年の顔に染み込んでいく

「そ、れは……くそ! この村の奴ら、見よう見まねで呪いなんて作っていたのか……それほどまでにこの子を……」

 言いながら僧は最後の力を振り絞って立ち上がると少年に染み込んでいく黒い澱みがそれ以上広がらないように庇うように少年と澱みの間に壁のように立ちはだかる

「おい!」

「っ……」

 澱みは今度は僧にじわじわと侵食していく

 苦痛で顔を歪める僧に慌てて少年は叫ぶが僧は庇うことを止めない

「な、なんでオレなんてかばって……痛っ!!」

 泣きそうな少年のおでこに僧は強く、人差し指を押し付けて、また人の良さそうな顔で笑って口を開く

「君は、可哀想な子だ、人間なのに、周りの環境が君を鬼にした……いいかい、この呪いの一部は私が持って逝こう、でも全ては持っていけない、頬って置けばこれはきっと君を地獄へと引きずり込むだろう……私はそんなことになってほしくない、これ程までに罪を重ねた君でもだ、勿論、私情だが」

「っ……」

 血をばたばたと吐きながら何とか話す僧の指先から金色に光る鎖が現れて少年の身体に巻き付いていく

「私は法力で君をこの土地に縛り付けよう、そうすれば地獄へは引きずり込まれない、代わりに君はここら一帯から出ることは出来ないしやったことと呪いを加味すれば君は人間を止めて本当の鬼になる、だから……君のその罪が全て許されて、呪いが解けるまで、この土地を守って徳を詰みなさい、きっと、長く険しい道になる、それは、呪いが、君と縁を結んだ者にも襲いかかるからだ、だから君はもう人とは縁を結べない、独りで全てやらないといけない、独りぼっちで、それでも、私は……」

 それを最後に僧は倒れて、もう起き上がることはなかった

「お、おい! おい起きろよっ! いろんな、景色を……見せてくれるって、言ったじゃないか!!」

 人の子……鬼の子はそんな僧にただ、すがり付くことしか出来なかった

 

「これが、私の昔々のお話だ」

「っ…………」

 話を全て聞き終える頃には私はすっかり言葉を失っていた

 この村に伝わる鬼神様の伝承は、全くの出鱈目ではなく、きっと沢山の年月のなか事実がどんどんとねじ曲がってこの時代まで伝わってきた話だったのだ

 やっぱり、怖い神様ではなかった

 その安堵はある、だがあまりにも惨い鬼神様が人間だった頃の話に、私は何て返せばいいのだろうか

「……そんな顔をさせたくて語ったわけじゃない、実際にはその後はそんなにつらい毎日だったわけでもないんだ」

 そんな私の様子を見て旦那様はそう言って微笑む

「それは、どうして……」

「ずっと独りではなかったからだ、あくまで縁を結べないのが人間だけだったから、仙太郎と清太郎はそばにいてくれたし、あのちゃらんぽらん……厄神も色々なことを私に教えてくれた、神として土地を守る方法も、私がやってしまったことの罪深さも、神の制約も、大切なことは全てあいつから教わったと言ってもいいだろう、だから私は、鬼となり、村が出来て、神として奉られるようになっても、闇に落ちずに生きてこれた……」

「……そう、だったんですね」

 仙くん達との付き合いの長さは聞いていたが厄神様がまさかそこまで昔からの知り合いだとは思っていなかった

 今の優しい鬼神様を作ったのは、無名の僧と仙くんと、清くん、それから厄神様

 厄神様自身もお節介な性格だったからこそ、同じくお節介なともちゃんに惹かれたのかもしれない

「……言っておくが今があるのは君のおかげでもあるんだぞ」

「私、ですか……?」

 急に話の方向が私に向いて少し驚く

「ああ、私のことは伝えた、それではこれから君に記憶を返そう、そうすれば全てが繋がるはずだ、受け取ってくれ」

「っ……」

 言いながら優しく鬼神様が私の頭に手を置く

 瞬間、目の前が目映いほどに光り、何かが頭のなかに入ってきた


「ねぇママ! 私ちょっと探検してくる!」

 この村に引っ越してきたばかりのわんぱく盛りの女の子、少女は片付けもそこまでに家の外へと飛び出していく

「あんまり遠くに行ったらダメよー」

「全く誰に似たんだか、お転婆さんだなぁ」

「あら、あなたに似たんじゃないの?」

 そんな少女の後ろでは両親が談笑している

 それはどこにでもあるような普通の幸せな家庭

 

「ここは、神社?」

 散々村中を走り回った少女は最後に一つの紅い鳥居の前にたどり着いていた

 何神社なのか、そもそもここが本当に神社なのか、まだ漢字の読めない少女には分からない

 それなら見たほうが早いと鳥居をくぐろうとしたとき

「あまりそこには近づかないほうがいい」

 後ろからいきなり声をかけられて少女は振り返る

「おじさんはだれ?」

 そこには顔の上半分を鬼の面で隠した大きな男が立っていた

 幼いということは怖いものかまだ分からない

 怖いもの知らずの少女はそう聞き返す

「おじ、さ……ごほんっ、この神社には怖い神様が住んでいるから会う前に帰りなさい、それだけだ」

「不思議なおじさん……神様かぁ、会ってみたいなぁ!」

「あ、おい! 待ちなさい!」

 一瞬たじろいだ青年は咳払いしてから少女に帰るように促す

 だが好奇心旺盛な子供にとって神様というワードは良くなかった

 少女はより興味を惹かれて鳥居をくぐって駆け出す

 じゃりじゃりと地面の石を踏みしめながら進んでいくそんな時だった 

 クォン……

「今、なんか鳴き声が……」

 何か、動物の鳴き声が聞こえて少女はそちらへと進行方向を変える

「あ、危ないからせめて走るのは止めなさい!」

 その後ろから青年が慌てた様子で追いかけてくる

「こっちのほうからしたような……あ、狐さん!?」

 鳴き声のしたほうへ行けば一匹の狐が弱々しくぐったりとしていた

「クォン……」

 少女のほうを見た狐は弱々しく一度鳴く

「怪我してる……ど、どうしよう! 早く! お医者さんに見せないと! だ、大丈夫、痛くないよ!」

 少女は慌てて懐から手拭いを取り出して 血を流す狐の前足にあてがう

「何故子供というのはこんなに元気なんだ……」

「あ! おじさん! 助けて! 狐さんが!」

 何とか追い付いた青年に少女は泣きそうになりながら叫ぶ

「仙……呪いと相討ちになったのか……連れてきなさい、すぐに手当てしよう」

 狐を見た青年は少女に狐を託すと先陣を気って歩きだした


「狐さん、大丈夫かな……」

 あのあと狐は青年の手によって手当てされ、今は他の部屋の布団で寝息を立てている

「あの子はただの狐じゃないから大丈夫だ」

 それでも心配する少女を少しでも励まそうと不器用ながらそう伝える

「助けてくれてありがとうおじさん! 私は紬! おじさんの名前は?」

「っ……しまった、油断した……人の子、名前はそう簡単に知らないものに明かしてはいけな――」

 少女が初対面の相手にたいしてはしっかり挨拶しなさいとちゃんと躾られていたのもまた、良くなかった

「おじさんは知らない人じゃないもの! 狐さんも助けてくれたし、大きくて、強そうで、かっこいい! それに優しそう!」

 名前を名乗ったことを咎める青年に少女は不服そうにそう言ってから満面の笑みでそう答える

「っ……」

 少女からしたらなんの気もないただの一言だった

 だが青年からすればそれは特別な言葉だった

「一緒に狐さんを助けたんだからもう友達でしょ? おじさんのお名前は?」

「私の名、前は、――」

 だからこそ、普段であれば聞かれても……いや、今まで聞いてくる相手なんていなかったから分からないが、答えなかった筈の、答えるべきではないそれを、教えてしまったのだ

「――、きれいな名前だね! また狐さんの様子を見に来てもいい?」

「……勿論」

 少女はそれだけ確認するとお母さんが心配するからまたねと言って帰っていった

 楽しそうな少女とは裏腹に、青年の顔色は優れなかった


 それからも少女は狐さんの様態を見るという言い訳を携えて何度も青年に会いに通った


「こんにちはー!」

 少女は元気にその日も神社を訪れていた

 青年は少女が来たときにいない時も多かったがたまに社殿のほうにいて

「また来たのか、君は……もう狐は元気だよ」

 こうして少女を蔑ろにすることもせずに会話に付き合ってくれた

「そうだけどー、しんぱい……もう一匹の名前はなんなの?」

 狐の怪我は治って、すっかり元気な様子も見た、それでも優しい少女は心配を隠すことは出来ない

「ああ、清太郎だ」

「――は、なんでいつもこんなところにいるの?」

 社殿で何か作業をするでもなく壁にうつかっている青年に少女は不思議そうに問いかける

「……それは、それが私の仕事だからだよ」

 そんな質問に青年は困ったようにそう返す

「ふーん、変なのー……きゃっ!」

 お転婆な少女はその日、風も吹いてないような晴天のその日にたまたま、突然起きた突風に吹かれて足元を掬われる

「紬! っ、しまっ……」

 慌てて少女が転けないように手をつかんだものの青年の顔色はさぁっと悪くなっていく

『繋いじゃった、繋いじゃった、人の子との縁を、もう切っても切れない縁を』

 どこからともなく響く誰かの声

 沢山の老若男女の声を混ぜ合わせたような耳障りの悪い声

「あ、ありがとう、助けてくれて――」

「帰りなさい!」

「……え」

 それは少女にも聞こえていたが真っ先に青年にお礼を伝える

 だがその言葉を遮って帰ってきたのは強い拒否の言葉だった

「決して振り向かず、ここから離れなさい、家に帰ったら、出来ることならこの村を離れて欲しいが……少なくとももう二度とここに来てはいけない」

「な、何で?」

 言いながら自身の背中を押す青年に少女は泣きそうになりながら聞き返す

「なんでもだ!」

 普段聞くことのない青年の粗げられたその声にびくりと肩を震わす

「――は私のこと嫌いになったの?」

 少女は恐る恐る、青年に聞く

「……違う、大切だから、言っているんだ!!」

 だが青年は焦った様子で頭を抱えながら怒鳴る

「――の言ってること、わからないよっ!」

 幼い少女にはその真意は分からずに、ただ泣きながら家に向かって走り出した

 

 それから走って家に帰った私を待っていたのは潰れた家とそれを囲む沢山の大人だった

 雨でぬかるんだことで起きた土砂崩れ

 家にいた父と母は即死だった

 私は村長に引き取られて、お葬式とかそういうものが全て済んでから、言われたことも守らずにまた神社を訪れていた

 

「……」

「また、来たのか……」

 神社に来ると青年はおらず、少女は勝手に社殿の端のほうに座って脚をぷらぷらとさせる

 暫くするとどこからか現れた青年が、感情の読めない声で呟いた

「――! 私、独りに、なっちゃった」

 青年のほうを見た少女は目に涙を溜めて、そうぽつりと溢す

「……なんと詫びればいいのかすらわからない、だが仙と清と話して決めたよ」

「何を?」

 青年は言いながら膝をついて少女と視線を合わせる

「君の記憶を封印する」

「――?」

 少女は意味が分からずに名前を呼ぶが青年はそっと手を伸ばして少女の頭に手を置く

「私と、仙、清、この神社での全ての記憶を封印して、私との縁を千切る、そうすればきっと君は普通に過ごせるようになる、両親を返してやることは出来ないが……だが縁というものは成人を迎えるとより強い縛りとなる、だからその時は……近くで私が必ず守る……それまで、さようならだ」

 そこで、私の意識は暗転した


「こ、れは……」

 光が終息した頃には私は全てを思い出して、そして混乱していた

「これが私の隠していた全ての記憶だ」

 旦那様は覚悟を決めた表情でそう言って、私から逃げるように視線をそらすこともしない

「それ、じゃあ……私が軽々しく名乗ったから……お父さんおお母さんは……」

 死んだのか

「それは違う! 私が、君に名乗った、真名を、そして……呼んだ、君の名前を声に出して、その全てが鍵となり、縁となり、呪いを呼びつけてしまった、だから、責められるなら私なんだ」

 そう言う前に旦那様が私の手を掴んで頭を振る

 だが

「旦那様のせいではありませんっ! そんなに、自分を責めないで、抱え込まないでくださいっ……」

 私はそれを否定する

 彼は、ずっと背負って生きてきたのだろう

 私の家族のことを

 私のことを

 私はそんな彼を責めることなんて出来なかった

「それなら、君も自分を責めてはいけない、少なくとも君のせいではないんだ、君はただのとても優しく、無知な子供だった、それだけなんだ……私も、神としての自覚が足りなかった、自分が呪われている存在だという自覚が足りなかった」

 だが私の言葉に旦那様もそう、同じ言葉を返す

 分かってる

 私はもう子供ではない

 この、私の両親のことは……何も知らなかった幼子と、人を恋しく思ってしまった神様の心がかち合った結果起きた悲劇、それだけで、きっと誰も悪くないのだ

 だからこそ

「そう、ですね……みな、そう、無知で、馬鹿な子供時代を過ごして、少しずつ大人になっていく、私たちの場合はそれが少し特殊だっただけ、そう、思える日が、来ればいいですね、今は、少しでも」

 私はそう言いながら旦那様の手に自分の手を重ねる 

「ああ……」

「でも、旦那様はまだ、怖がってる」

 そして、指摘した

「っ……」

 旦那様も分かっているのだろう、少しだけ動揺の色を瞳に滲ませる

 その少しの変化に気付けたことが、何となく嬉しかった

「私に記憶を返してもなお真名を隠している、何故教えてくれないのですか?」

「そ、れは……」

 だから私はさらに深く追求する

 私に返してくれた記憶のなかに旦那様の名前だけがなかった

「私は、嬉しかったですよ、旦那様がただ器量が良いからとか、過去のことがあるからとか、そういう理由だけじゃなくてちゃんと私のことを好きになって、守ってくれようとしていたということがとても」

「……」

「まぁ、年齢考えれば犯罪者ぎりきりかもしれませんが」

 私は言いながらふふっと少し笑ってしまう

 推定数百歳か数千歳の神様が二桁にもいかない年齢の少女に恋をした、なんて言えばなかなかのことだ

 勿論本気でちょっと、とか思ってるわけではない

「それは……言ってくれるな……」

 旦那様だってそんなこととっくに気付いていて苦笑いしながら頭を掻く

「冗談ですよ、あとは、あなたの覚悟次第じゃないですか、さぁ、私に名前を教えてください」

 私は言いながらもう片方の手もそっと旦那様の手に重ねる

「……成人を迎えた人間と神が互いの真名を知ってしまえばもうそれこそ後戻りは出来ないほどの強い縁が結ばれる、それでも――」

「いいんですよ、私は、あなたの妻なんですから」

 それでもまだ決断できない彼に私は諭すようにそう呟く

「そうか……わかった、私の名前は……鎮雨、鎮まる雨と書いて鎮雨だ」

 旦那様は一度ごくりと唾を飲み下したあとにそっと、自分の名前を口にした

「鎮雨様、あなたによく似合っている優しい名前ですね」

 鎮雨

 鎮かに降る雨

 優しい彼にとてもよく似合っている名前だと、私は思った

「もう、引き返せないんだぞ……?」

 楽しそうに笑う私がおかしいのか、心配してくれているのか、旦那様がまたそう言うから

「大丈夫ですよ、鎮雨様が守ってくれるんでしょう?」

 私はそう返すだけ

「……ああ、勿論だ」

 そうすれば、鎮雨様もやっと、ふわりと笑ってくれたのだった

 きっと、私達が本当の意味での夫婦になったのはこの時で、今まではただの童子のごっこ遊び

 だから、私達はこれからより、大きくなって、お互いを想い、息をしていくのだろう


「おめでとう、人の子達……」

 そっと紡がれた狐の独り言が誰かに届くことは、なかった

 そしてまた、狐自身もそれが誰かに届くことは望んでいないのだ


「で、無事に仲直りしたってことかい?」

「ああ、その件は色々と迷惑をかけた」

 散歩から戻ってきた厄神様とともちゃんには改めて場の空気を悪くした謝罪とお礼を伝える

「大丈夫だよ、私はそれなりに君を気に入っているからね」

「――は少し楽観的すぎるんじゃない?」

「そうかな?」

「って、ちょっと待てお前! 何で名前を……」

 ともちゃんと厄神様の何でもない会話に鎮雨様は慌てた様子を見せる

 名前……確かに今、ともちゃんがおそらく厄神様の名前を呼んだとき、その部分だけ雑音のようになって聞き取れなかったが

「え、どういうことですか?」

 私は少し混乱して説明を求める

「ああ、そうか、神の名前っていうものは神本神が告げた当事者以外には聞き取れないようになっていてね」

 そんな私に厄神様は何の迷いもなしにスパッと言ってのける

「じゃあ、ともちゃんは……」

 もう、真名を厄神様から教えてもらったということか

「さっき教えてもらった、私も教え直したし、その点は完璧」

 ともちゃんは言いながらぐっと親指を立てる

 いや、私達が名前を互いに知るのにどれだけ時間をかけたと思っているんだ

 どっちから持ちかけたのか知らないが流石ともちゃんというところか 

「いやいや、散々名前云々って私に講釈を垂れたのはどこのどいつだった……?」

 旦那様は大きなため息を吐いて座り直すと諦めたようにそう言った

「まぁ私だけど、君の場合は呪いもあるし特殊だった、ていうのもあるし……まぁだとしてもただ私達が即断即決っていうだけだからあまり参考にしないほうがいいよ」

「誰がするかっ……」

 にこやかにそう言い放つ厄神様に鎮雨様は呆れたようにそう言った

 なんだろう、なんだかんだいってともちゃんと厄神様はお似合いだと思う、というのが私のなかでの最終結論だ

「ということで鎮雨の正真正銘のご内儀様、私の名前は薊、これからも末長くよろしくね」

 それから厄神様は何のためらいもなくすらっと自身の名前を私に告げた

「何スラッと名乗ってるんだ!」

 やっと落ち着いてきた鎮雨様がまた切れる

 この神様たまに思ってたことだけど鎮雨様をからかって楽しんでいる節があると思う

「私の名前を知っていたほうが簪も強く力を発揮出来るからね、それに私は暫く力が弱まるし、まぁ君より先に名乗るのは憚られたがそれも解決したし、何よりもとものご友人に挨拶しないなど礼儀にかけるからね、さて! しんみりしたのは終わりにして、飲み直そう!」

 楽しそうに厄神様……薊様は言うと手近な酒瓶に手を伸ばす

「今からか!?」

 今の時刻は大体子の刻を迎える頃

 おそらく今からまた飲み始めれば明日には完全に差し支えるが……

「それじゃあ私達はおつまみでも作るかー」

「賛成!」

 そんなこと気にもならなくて、ともちゃんの言葉に私は席から立ち上がる

「なぁなぁ、オレたちのこと忘れてないー」

「私もいますが」

 そして頃合いを見計らったように仙くんと清くんが戻ってくる

「仙くん! 清くん! あなたたちあのときの狐さんだったんだね! 元気そうで本当によかった!」

 記憶を取り戻した私ならよく分かる

 だってあの時鎮雨様は彼らの名前を呼んでいた

 元気なことが嬉しくて、私は二人のことを抱き寄せた

「ああ、ありがと……複雑だなぁ弟よ」

「お前は一言多いんだよ……」

 苦笑いを浮かべながらお礼を言う清くんは話を仙くんに振る

 話を振られた仙くんの顔は私に見えないようにそっぽを向かれていてどう思っているのかまでは分からない

「二人の分もお夜食何か作るから待っててね」

 それから手を離すとともちゃんの後を追ってお勝手に向かう

 その前にもう一度だけ二人の頭を撫でてから

「……」

「まぁ、こんなのも悪くないんじゃないか? 人生妥協だ妥協」

「……そうかもな」

 二人はまだ話していたようだが何の話をしているのかまでは私には聞こえなかった

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