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6章 呪いと祟り神

 さあっと冷たい風が肌を掠める。

 気づけば婚姻の時には咲き乱れていた神社の桜もすっかり散り、綺麗な黄色や赤の紅葉が葉を地面に落として彩る時期になっていた。

 あんなにも乗り気じゃなかった鬼神様との結婚生活も今では嫌どころかとても楽しいと思っている自分がいる。

 毎日家事をして、ご飯は四人で囲んで、何てことない話をする。

 村に降りればともちゃんや友だち、お店の人達と話をする。

 これではまるで私が望んだ普通の家族で普通の家庭で、普通の……幸せな人生だ。

 充実している、そう表現していいだろう。

「さてと、アケビとか銀杏、落ちてるかなー」

 私は誰に言うでもなくそう呟きながら草履を突っ掛ける。

 今日は神社の横の山に山菜を取りに行く予定だ。

 あの怪我の後から過保護だった旦那様も最近は落ち着いてきて、沢山買えるからという理由で今でも買い物に行くときは仙くんがついてくることはあるが基本的に一人で行動することも多くなっていた

 今日も昨日の夜ご飯の時に山菜を取りに山に入りたいという話をした時に最初は仙くんか清くんのどちらかをつけると旦那様はおっしゃったが偶々二人とも早急に片付けなければいけない仕事があるとのことで一人で行く許可を貰った。

 代わりに簪と一緒に持っているようにと読めない文字のようなものな書いてある小さな紙片を渡されはしたが。

「キノコは……これは食べられるやつだったはず」

 私は手に持っているかごに木の根もとに生えていたキノコを摘み取って入れる。

 最近清くんによくキノコの見分け方を習っているがこれがまた難しい。

 清くんは山の食べ物全般の知識が豊富で見せれば食べれないキノコは選別してくれる筈だ。

 それからも私は歩きながら山菜やキノコを摘んでいた。

 その時だった。

「っ……何、この感じ……」

 きっと今いるこの場所だけに限定したことではない。

 なんの力も持っていないただの私みたいな人間にも分かる。

 山全体が、嫌な気配に包まれた。

 きっとどこへ行ってもこの山から離れない限りこの嫌な感じは消えないだろう、それほどまでに、心臓の辺りが酷く、気持ち悪い。

「うっ……」

 私は吐きそうになりながら慌てて来た道を引き返そうとする。

 その時。

 目の端で何かが嫌な光かたをしてつい、そちらへと視線を向けてしまった。

「これは……」

 そこにあったのは黒く渦巻く、何か。

 例えば何に似てるとか、そういうことすら出来ない特異な何かが脈打つように、空に浮いてうねっていた。

「……」

 近付くべきではない、心ではそう分かっているのに身体は自ずとそちらへと引き寄せられていく。

 そして、触れようとした瞬間にハッとして手を引き戻す。

「こんなの……絶対に触ったらダメなのにどうして……と、とりあえず早く帰らないと――」

 私は慌てて後退りして距離を取ろうとしたがそれは叶わなかった。

 下がった瞬間にトンっと誰かにぶつかったからだ。

「何で身体は触れたがっているのに触らないの?」

「っ……! あな、たは一体……」

 後ろを振り向けば立っていたのは一人の全体的に色素の薄い薄幸そうな少年。

 だがその瞳は、深く、黒く、濁っていた。

 私は黒い淀みと彼の両方から慌てて距離を取って問いかける。

「あれー、ボクのことあのバカな鬼から聞いていないの?」

「……」

 バカな鬼、とは旦那様のことだろう。

 それなら厄神様のような知り合いなのだろうか。

 それにしては彼の発したバカな鬼、という口調は戯れでそう言っているとは思えないほどにどうにも刺々しかった。

「あははっ、そんなに警戒しないでよ、この間……って言っても人間からしたらある程度前か、あの狐に一発お見舞いしてからかってやろうとしたのにそれを邪魔したのは君でしょ? 殺し殺されそんな仲なのに酷いなぁ」

「……っていうことはあなたは、あの時仙くんに攻撃した祟り神、様……」

 彼、いや、神であるならこの方と呼ぶべきなのだろうが、その自己紹介を受けて思い出したのは鬼神様に嫁いでから一度だけあった嫌な出来事だった。

 そして、その説明だけで彼が敵なのは一瞬で理解した。

「ちゃんと様をつけられたことは百点満点、褒めてあげる」

「……」

 おどけた様子でぱちぱちと手を叩く彼の印象は一瞬は優しそうというもの。

 だが隠しきれない憎悪が簡単にみて取れた。

「やっぱり警戒は解けないかぁ、まぁ、前までならあいつの一番の弱点はあの狐どもか、村の人間だったけど……今は一番大切にされてるのは君でしょ?」

「そんなことは……」

 ない、とは言えなかった。

 あの怪我をした時の旦那様は異常な程に狼狽えていたからだ。

「あるんだよね、見てれば分かる、だからボクは君に嫌がらせしに来たんだもの、さぁ、こっちへおいで、この淀みの説明だってしてあげるよ? 君とボクの仲じゃないか」

 彼は親しげにそう言って手招きをする。

「私は、あなたなんて知りません」

 だが私は彼を知っているどころか見たことなどない。

 まるで、例えるならば白蓮のようなこんな目立つ見た目をした彼を一度でも目にしたことがあれば忘れるわけがない。

「え? そんなわけないさ、ボクは君を知ってるし君はボクを知ってる、さぁ、こっちへ――」

「下がれ!! 紬!」

 私が近付かないと知ると今度は手招きを止めて一歩一歩近付いてくる。

 逃げるべきか、いや、神相手に人間が逃げられるのか、色んなことが一瞬でしゅん巡した瞬間、安心する聞きなれた声が響いた。

「おっと、危ないな」

 瞬間私と彼の間に割ってはいる形で仙太郎くんが、彼の立っていた場所には大きな狐が前足をついていた。

「紬さん、絶対に私と清より前に出ないでください」

 仙くんは言いながら自身の腕を私を庇うようにかざす

「仙くん! 清くん! 一体どうして……それにその姿は」

 仙くんの言葉から目の前の大きな狐が清太郎くんであるということを察する。

 いや、そもそも何でこの場所にこの二人がいるのだ。

 聞きたいことが沢山ありすぎて頭が混乱してくる。

「鬼神が持たせた紙片はオレたちの召喚札だ、それがあれば紬にも召喚出来るしこうしてこっちから移動してくることも可能だ、これは……言ったろう、オレ達は狐のあやかしだって」

 紙、確かに渡されたがまさかあれがそんな大切なものだとは思わなかった。

 清くんのこの見目もだ。

 狐のあやかしだとは聞いていた、だがこんなに大きくなるとは聞いてない。

「あれー、狐くん達今日は忙しいのでは?」

「やっぱりお前のせいか……」

 清くんの一撃を簡単に避けて見せた彼は不思議そうに問いかける。

 それに対して仙くんは憎々しげに呟く。

「……その呪いの淀みを使って何か謀略でも?」

 言いながら仙くんは呪いと言われたそれに視線を向ける。

 呪いという言葉にもし触っていたらどうなっていたのかと背筋が寒くなる。

「うーん、そのつもりだったけど狐二匹相手にするのもしんどいしこの呪いはあげるよ、あいつが生きてる以上はまた発生するしね」

 くすくすと笑いながら彼は後ろへ身を引く。

「それならとっととこの場を立ち去れ……!」

 しかし仙くんも清くんも決して気を抜くことはせずに睨みをきかせていた。

「……せっかく彼女に会えたのにそれではいお仕舞いはボクの性に合わないからねー、ねぇ紬ちゃん……ご両親元気?」

「っ……!!」

 両親、という言葉に嫌でも心臓の鼓動が早くなる。

「おい紬! 聞く耳持つな! こいつは祟り神だぞ!」

「あ、ごめーん、死んだんだったね、君が殺したんだった」

「……え」

 叫ぶ清くんの声は全然耳に入ってくることはなく、ただ淡々と語られただけの彼の声は嫌という程に耳に届いた。

「紬!!」

 誰かに、名前を呼ばれた。

 それが仙くんなのか清くんなのか分からない程に、私は彼の次の言葉を待っていた。

「君があんな鬼と縁を結ばなければ、君のご両親も今頃ご健在で、こんな家族ごっこじゃなくて本当の家族と一緒にいられたのにねぇ」

 私が、旦那様と名前という縁を結んだのは両親が亡くなった後だった。

 だから関係ないはずなのに。

 思い出すのは初めて社殿で結婚の話をした時の旦那様の反応だ。

 あのときの鬼神様はこの祟り神と同様にまるで知り合いのように語りかけて来たではないか。

 私は、何か大切なことを……忘れている?

「……祟り神、それ以上その無駄な口を開くなら引き裂いて二度と話せないようにしてやろうか」

「虚勢を張るなよ、出来ないことを言葉にするのはみっともないよ、これでもボクは神様で、神に使えていたとはいえただの狐二匹がボクに勝てるわけがない、精々あいつが来るまでの時間稼ぎにしかならないだろう」

 清くんは威嚇するようにぐるぐると唸るが祟り神は特に気にする様子もなく嘲笑う。

「……それでも充分、こいつを守れれば結果オーライなんだよわかるか? これだけ強い呪いが発生してるのにあいつが気付かないわけがない、今頃こっちへ向かってる、お前こそいいのか? あいつが来る前に逃げなくて……臆病者のお前が」

 それにたいして清くんも負けじと嘲笑を返す。

「……ふーん、言うようになったね、そんなにその子が大事なんだ……なんか気分削がれちゃったなぁ、帰ろ、ねぇ紬ちゃん、もしすべての答えを知りたければ……あのバカな鬼さんに聞いてごらん、それじゃあね」

 瞬間祟り神のいたところが強く光を放ち、目を開いた頃にはもう誰もいなかった。

「……行ったか」

 しっかりとそれを確認した清くんは元の少年の姿に戻る。

「……」

 何か、声をかけないと。

 守ってくれてありがとうとかそういう。

 そういうことは分かっているのに。

「おい! 紬! しっかりしろ!」

「あ、え……でも、あの人……私が家族を殺したって……お父さんとお母さんをっ……」

 肩を強く握って揺すられてもなお私の感情はこちらに戻ってくることはない。

「……おい、仙太郎、あの鬼がここに到着するまで紬についていてやれ、オレはあの呪いを祓ってくる」

「分かった……」

 清くんはあきらめたように仙くんにそういうと黒い淀み……呪いと言われたそれに近付いていき両手をかざしはじめる。

「……紬、大丈夫だ、君はただの優しい人間で……誰も殺してなんていない」

 そして代わりに今度は仙くんがいつもの敬語無しに、いつもよりも優しい声色で、私を諭すように何度もそう言う。

「私、は……」

 どうしたらいい。

「おい! 無事か!!」

 そう思ったとき、あの人の声がして顔を上げる。

「遅い! もっと早くこいよバカ!」

 仙太郎くんはぶちギレた様子で旦那様の腰辺りを殴る。

「これは……」

「呪いはオレがいつも通り祓ったが……祟り神のやつがここまで来てて、それにばったり遭遇して……紬に余計なこと吹き込みやがった」

 説明は清くんが勝って出る。

 すでに淀みは消え、清くんの手の上には真っ黒な小さな、ビー玉みたいなものが乗っていた。

「一体何を……」

「私が両親を殺したって……」

 旦那様が清くんに問いかけるが清くんが答える前に私が自分で言った。

「っ……」

 顔の上半分を面で覆っていても分かるほどに旦那様が動揺したことで、ああ、少なからず何か関係があるのだと、確信してしまい逆に辛くなる。

「あの人は、私のことを知ってると言いました、私も彼を知っていると言いました、ねぇ、一体……どういうことなんですか……?」

 私は言いながら旦那様の羽織りに縋る。

「そ、れは……」

 だが旦那様はただ言葉を濁すばかりで。

「おい鬼神、もう言ってしまおう、伝えなければきっと誰も前に進めない、あいつの言う通り……家族ごっこで終わってしまうぞ」

 清くんが後押しするように旦那様に声をかける。

「旦那様は、ご存知なのですね、私の両親の死の真実も、彼が私を知っていることも、あなたが私を知っていたような口ぶりだったのも、教えては……くれないんですか?」

「……」

 清くんの言葉にも、私の質問にも答えることなく旦那様は視線を地面に落としている。

「おい鬼神!」

「だ、ダメだ……」

 隣から仙くんに怒鳴られてやっと溢した言葉はそんなものだった。

「これは……君には話すことは出来ない」

「なんでっ……」

「君が大切だからだ!! だから、だからこそ……話すことが出来ない」

 私の両肩を掴んで縋るその姿は普段の神としての威厳ある姿とはほど遠くて、まるで親に捨てられた子供みたいな表情だった。

「おい!」

 その旦那様の決断に清くんは怒鳴る。

「話せないものは、話せない」

 だが旦那様はもう決めたのだと言うように私から手を離して、清くんの手のひらから玉を回収すると山を降りようとする。

「そう、ですか……あなたは、それを愛から来るものだと思っているかもしれませんが……私はそうは、思いません、自分の心を守りたいように、見えてしまいますよ、何も知り得ない私からすれば」

「っ……」

 そんな旦那様に私がかけた言葉は思っていたよりも、冷たいものだった。

 ピタリと旦那様の動きが止まる

「……帰りましょうか」

 私はそれだけ言うと止まっている旦那様を通り越して下山を開始した。

 ああ、せっかく収穫した山菜、置いてきちゃったななんて思い出したけど、今からすればどうでもいいことだった。

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