4章 誰が誰を想うのか
何か、嫌な気持ちがする
まるで深い底無しの沼に引きずり込まれているような
暗い闇が纏わりついて息をすることすらただ苦しい
必死で目を開いても何も見えないし手足をバタバタと踠いてもそれはただ空を切るだけだ
幾ばくの間そんなことをしていただろうか
それすら分からなくなりそうな瞬間
チリンッと小さな鈴の音が鳴った
「……っ!!」
鈴の音に釣られるように一気に上体を起こす。
そうすればあの何かにぶつかられた部分がズキリと痛む。
「紬!!」
起きた目の前には面をしていてもなお心配してくれていると分かる旦那様がいて、慌てて私の身体を支えてくれる。
「起きたのかっ!?」
私が起きたと知れると外を眺めるように障子にもたれかかっていた清太郎くんがこちらへと駆け寄ってくる。
「あれ……私どうなって……」
何か、嫌な声が聞こえた気がして、それから
何かがすごい勢いで仙太郎くんにぶつかってきた。
だからそれを私が庇った、そこまでは間違いない筈だ。
「……それは」
「おい! 何でオレなんか庇ったんだよこの馬鹿野郎っ……そんなことすればオレがお前に心を開くとか、そういうこと考えてたのか……?」
説明するためか口を開いた旦那様を押し退けて仙太郎くんが眉間にシワを寄せて怒鳴る。
「そ、んなことは……」
あるわけがない、そもそもあの短時間ではそんな判断が出来るわけがない。
そう言おうとしたがそれでも仙太郎くんは止まらない。
「人間なんてみんなそういうもんだろう、浅はかで、思慮がなく、そして馬鹿だ……そうじゃなければお前がオレを庇った理由はなんだって言うんだよ! 人間があやかしを庇う理由なんてないのに……!」
「仙……お前っ……!」
最後まで怒鳴りきった仙太郎くんに旦那様は少し怪訝な表情を浮かべると名前を呼んで手を伸ばす。
だけど……
ガッ!!
瞬間仙太郎くんは殴り倒され尻餅をついていた。
「痛っ……! いきなりなにするんだ!!」
だが殴ったのは旦那様ではなく清太郎くんだった。
殴られた頬を押さえて仙太郎くんは清太郎くんに怒鳴り返す。
「仙太郎、落ち着いて頭冷やしてよく聞けよ、人間を今さら好きになれなんてオレは言わない、だけど人に助けられた事実を低俗な邪推でなかったことにしようとするな、されて嫌だったことを誰かにするな、何よりも……そんな裏があるようなやつじゃないってことはオレ達が一番よく知ってるだろ」
清太郎くんは尻餅をついた仙太郎くんに視線をあわせてこんこんとただ諭す。
いつもの様子を見ていればどちらが兄で弟なのか分からなくなるぐらいだが今のこの状況を見ればやっぱりお兄ちゃんなんだなって思う。
「……」
諭された仙太郎くんはムッとした様子で黙り込んでしまう。
「あとは、自分の心に嘘を吐くことは……やめろ、今のお前、ダセぇよ」
「……っ」
だが最後の言葉を受けて仙太郎くんの表情が険しくなる。
「け、喧嘩は止めましょう……一番何も出来ない私が飛び出したのが悪いんだもの、でも仙太郎くんに怪我がなさそうで本当によかった、そう思ってるのは事実だから」
これ以上兄弟で争ってほしくない。
そう思った私は会話に割り込む。
そもそも咄嗟のこととはいえ私が勝手に飛び込んだことだ。
私にも非がある。
「……紬」
仙太郎くんは少し考えた様子で私の名前を呼んでから、黙り込んでしまった。
「……紬、私はこの二人に君を守るように言いつけてある、それなのに君が二人を庇うようなら逆効果だ、かえって危ない、二人は妖狐だからある程度のことでは命に差し支えない、こういう危ない行動はしないと誓ってくれ、私は君を守らないといけないんだ」
代わりに今度は旦那様が私に分からせるようにそう言う。
私のことを思ってそう言ってくれているのだろうということは旦那様の様子からも簡単に察っすることができる。
それでもそれは私の思うところではない。
「旦那様……私の身の安全を気にしてくださるのはありがとうございます、ですが、私は同じことがまたあればきっとまた、同じことをします、仙太郎くんでも、清太郎くんでも、あなたでも……私は失うことの怖さを知っているから、それに比べればこれくらい何ともないです」
そう、私は大切な人を失う怖さを知っている。
痛みを知っている。
だからこうして夫となった神様だって。
一緒に住んでいるあやかしの二人だって。
私は絶対に失いたくない。
もう、二度と。
「……それなら金輪際仙との行動は控えてくれ」
「っ……そんな……」
だが返ってきた返事はいつもの旦那様からは思いもしない冷たい言葉だった。
「仙が気を抜いていなければ……もしくはちゃんと君を守る気持ちがあったのであればいくら奇襲とはいえあの程度の嫌がらせ造作もないはず、こんな幼い身なりでも高位の狐のあやかしだ、あの場に居合わせたのが清だったらこんなミスは犯さなかった、だから今後は全て清に任せる、それから足りない部分は私自身で補う」
旦那様はそれだけ言うとあとは何も議論の余地はない、というように私と目を合わせる。
「たった一度、何か……動物か何かがぶつかってきただけです、そんな大袈裟にしないでも……」
記憶では何かが思い切りぶつかってきた、ということしか分からないが今の身体の感じを鑑みるに少しぶつかられた肩が痛いくらいのことだ。
守ろうとしてくれているのはありがたいがそれぐらいのことであの旦那様がそこまで神経質に仙太郎くんのことを糾弾する理由にはならない筈だ。
「君は何も分かっていないっ……」
だが私の返事に旦那様は少し憤った様子で、私の手を……それでも痛くないよう優しく掴んで詰め寄る。
「分かるわけないだろ、ちゃんと説明してないんだから、お前も落ち着いて、ちゃんと分かるように説明してやれよ、そんなに焦ってる暇があるなら」
そんな旦那様の肩を掴んでこの場で一番平常心を保っている清太郎くんが諭す。
「……そうだな、紬、厄神から貰った簪を見てみなさい」
清太郎くんの言葉に一瞬ハッとした後に取り繕うと旦那様は私から手を離して促す。
「簪……ですか? っ……これは」
私は言われたとおりに懐から厄神様から貰った簪を取り出して言葉を失う。
貰ったときはあれほど綺麗に光輝いていたそれが今では黒く、濁っていた。
「あれは動物とかそういう類いのものではない、祟り神の仕業だ、それがなければ今頃君は……打撲程度の怪我では済まなかっただろう」
旦那様の言葉にひゅっと息を飲む。
自分が知らぬまにそんな危険なことをしていたという事実に肩が微かに震えた。
「祟り神……なんで同じ神様がそんなことを……」
そう、旦那様は鬼神、神様だ。
祟り神と言えばそれは人を祟る神。
それなのに何故同類である神が神を攻撃などするのだろうか。
「それは……」
「神だって千差万別ってことだ、人を守るこいつみたいなのがいれば人どころか同じ神にすら喧嘩吹っ掛けてくるようなやつもいるってこと、人だって人を殺すだろ」
言いずらそうに言葉を濁す旦那様の代わりに清太郎くんが説明する。
確かに人を害する人は少なからずいる。
神も一個神である以上は同じなのかもしれない。
「そういうことだ、だから今後は――」
「今度は絶対に守ってみせる」
そして旦那様が話を戻そうとしたとき。
凛としたその声がその場を制した。
「仙……」
驚いたように清太郎くんと旦那様が仙太郎くんのほうを見る。
「だから、チャンスをください……! とっくに、分かってたんだ、紬が他の人間と違うことも、本気でオレ達のことを考えてくれてることも……それなのにオレは変な意地張って結果こんなことになってしまった、だからっ、次は必ず守るからっ!!」
仙太郎くんは勢いでそこまで言いきるといつも見せてた感情の読めない瞳ではなく確固たる意思を込めた瞳で旦那様を見た。
「仙……」
そんな仙太郎くんの名前を清太郎くんがぽつりと呟く。
「……」
だが旦那様は何も言うことはせず。
その面のせいで表情も伺えない。
慌てて私も何か言おう、そう思ったのと旦那様が口を開いたのは同時だった。
「はぁ、わかった、元はと言えば私があいつに目をつけられていることが原因だ、だが次は必ず守ってくれよ、紬は大切な私の妻なのだから、紬もそれでいいかな?」
旦那様はそれだけ言うと軽くため息を吐いてから自分の短髪の黒髪をがしがしと掻いて私に聞いてくる。
「……私は元々仙太郎くん達と離れたいとかそういうのはありませんし、むしろもっと家族として仲良く出来たら嬉しい、ぐらい、です……」
私は自分の気持ちを伝えるついでにちょっと欲張りして言葉を付け足す。
「あんだけ言われたのにほんとーに変わってんなあんた」
そんな私に清太郎くんは呆れた様子で呟く
「何て言ったらいいかな、最近の仙太郎くん達とのやり取り……反抗期の弟がいたらこんな感じだったのかな、とか考えちゃって、私としては少し楽しかったのよ?」
そう、私は一人っ子だったから本当のところは分からないが仙太郎くんに構って、嫌がられて、それを見て清太郎くんが近くで笑ってる。
そんな生活はまるで普通の家族のようだった。
「弟って、あきらか私達のほうが年上なのに本当に変わって、ますよ……」
そんな私の言葉を聞いて仙太郎くんがいつもの一人称としゃべり方に戻してため息を吐く。
「……それじゃあ紬の弟達に私から二つ程お願いでもしようかな」
そんな私たちのやりとりを黙って見ていた旦那様はくつくつと堪えきれないように笑ってから、二人のほうを向く。
「鬼神様まで……なんなんですか?」
仙太郎くんは旦那様の悪のりに幾ばくか眉間にシワを寄せたが文句を言うことなく聞き返す。
「まず一つ目、これからしばらくは村へ降りる時は仙太郎を連れて動いて欲しい、荷物持ちにもなるし、何より祟り神がここら辺にいる間は危険すぎる」
「まぁ、一理あるな」
「私は……構いませんが」
言いながら人差し指を立てる旦那様に二人は賛同の意をそれぞれ示す。
「よし、それではもうひとつ、折角四人で暮らしているんだ、時間が合った時ぐらいは食卓を共にしてもいいのではないか? 二人での食卓も悪くないが人数は多いほうがきっと楽しい……少なくとも私はそうだった」
「鬼神様……」
そう言って二本目の指を立てた旦那様の面の奥の瞳とかちりと視線がかち合う。
それだけでこの提案を私のためにしてくれたのだということが安易に想像がついた。
そりゃこれだけ毎日バタバタしていれば私の二人との距離を詰めたがっているという気持ちに誰だって気づくだろう。
「オレは構わねーよ」
「……私は……いえ、私も、意義はありません」
清太郎くんは即答で。
それに続いて仙太郎くんも気まずそうながらに賛成してくれる 。
「仙太郎くん、清太郎くん……!」
「喜ばれるのはけっこうですが仕事が忙しくないときだけですからそれはお忘れなく」
あからさまに喜びが声に出てしまった私にすっかりいつもの調子の口調で、それでいて堅苦しくない声色で仙太郎くんが釘を刺す。
「おーい仙! もう本性丸出しにしちまったんだから猫被るの止めたら?」
そんな仙太郎くんに清太郎くんがからかうように声をかける。
「猫を被るも何も……これが私の本来ですから」
仙太郎くんはそんな風に言いながら、笑って舌を出した。




