君がいた夏は
井上との最後の日が終わった。
金輪際、井上と会うことはもうないのだろうと思う。
辛かったね。理由は二つある。
ひとつは、僕がずっと井上の影に渡辺さんを見てしまっていたこと。
そしてもうひとつは、また不完全なボーイミーツガールをしてしまったこと。
僕にとって運命の人は渡辺さんなんだ。これはまぎれもない事実。井上が笑うたびに、僕は渡辺さんを錯覚した。この笑顔が、この人が、渡辺さんだったら――って思ってしまうんだ。
不完全なボーイミーツガールを想像して欲しい。そこにあるはずの演奏は、もう壊れていて音が出ないから、聴かせることが出来ないんだ。あの日、渡辺さんが僕と逃げてくれなかった理由が、やっと分かったよ。逃げられなかったんだ。僕も逃げられなかった。あそこで逃げてしまったら、完璧になってしまうから。
僕の考える最高のボーイミーツガールっていうのはね、夏祭りなんだ。
お互いに不幸を抱えた少年少女が、ひょんなことから出会って、夏祭りに行く。
僕の隣の人は、こう言うんだ。
「なんだか私たちには場違いですね」
僕もまったく同じことを思ってたから、それならいっそ、もっと場違いになってやろうと思うんだ。ベビーカステラを山ほど買って、金魚すくいに無言で挑戦して、お面は流石に恥ずかしいから付けないつもりだったのに、僕の隣の人は当たり前のような顔で指さすんだ。
知らないキャラクターのお面を選んで、無表情のまま被って、つまんなそうに歩いている。
この子とならって思えるんだ。
僕は言ったよ。「なんだか僕たちには場違いだね」って。井上はこう返すんだ。「それならもっと、場違いなことでもしてみますか」って。夏祭りを十分に楽しんださ。どれもこれも場違いだった。あの場にいたどのカップルよりも浮き上がっていたね。
花火が上がっていれば、完璧だったんだ。でも時期的にどこもやっていなかった。僕がなにも考えずに「夏祭り」なんて答えるから、自分で言っておきながら大変だったよ。探すのがさ。
僕の知らないあいだに、世間はずいぶん夏に入りかけていたらしい。それには助かったけど、知らない土地まで行くのには骨が折れた。花火もやらないような、地元の小さな祭りだったけど、僕たちにとっては豪華すぎた。それでも、やっぱり少し寂しく思った僕は言ってしまったんだな。「花火が見たかったな」って。すると井上が言ったんだ。
「花火は嫌いです。うるさいから。あと眩しい。首も疲れるし、人も混む。それに、もうそんな変なお面を付けた人とは歩きたくないです」
彼女なりの「今日は楽しかったです」だったんだと思うよ。それを思ったら、なんだか笑っちゃったね。僕がこの夏祭りの意味を知らなかったら、きっと二回目はなかったと思う。ふられたって思うだろ普通、こんなこと言われたらさ。
井上は最後に、りんご飴を僕にくれたよ。嬉しかったな。「好きでしょ」って。最後はりんご飴をかじりながら、一緒に帰った。
あの人も――こんな気持ちだったのかな。
夏祭りでは、僕たちも手を繋いだ。でも――これ以上は言えない。どうしても聞きたくなったら、そうだな、井上に教えてもらいなよ。何度も言うけど、この話は彼女の話なんだ。第二幕の主人公は僕じゃない。井上だ。
僕は言うなれば舞台装置。井上には、うっとうしいほどのスポットライトを浴びせ続けたよ。出来る限り頑張ったつもりではあるけど、もしかしたら、どこか下手くそだったかもしれない。もしまだ足りないところがあったなら、それは井上自身に補完をしてもらいたいね。
きっとこの後、井上は気づくことになる。このボーイミーツガールが、偽物だったことに。そしたら井上はどんな反応をするだろう。きっと「嘘つき」って思うだろうね。この世界に失望してしまうかもしれない。ひょっとしたら良くないことを、しでかすかもしれない。
それを僕が止めることは出来ないだろうけど、だからせめて、そんなことが起きないように、僕は残しておいたんだ。
少し、二人で歌の話をしてたんだ。井上が言うには、最近のラブソングは嫌いらしい。汚くて、生々しくて、吐き気がするって。「私は昔の純愛の歌が好き」だって言うから。
「僕はね、悲しい歌が好きだよ。だってそっちの方が。ずっと優しいと思うから」
夏祭りと言えば、失恋だよね。少し強引だったかな。
家に帰って僕は手紙を書いたんだ。ラブレターって言えば空想的だけど、遺書って言えば現実的だよね。この手紙は井上に送りたいと思う。っていっても届ける気はないんだけどね。井上に向けた謝罪の気持ちを、井上に向けた感謝の気持ちを静かに綴った。
明日、僕は時計校に行く。この手紙を持って。
これが僕に出来る最後の演奏だ。




