裏
ある部屋で、十六になる少女は、目の前の男性に話しけた。
「お姉様は、なんと仰っていましたか?」
「美子様に関する色々なお話を聞きました。」
「……………。」
少女は悲しそうに俯いた。
医者は、つい先程まで聞いていた姉である亜子の話を思い出す。
「昔、お母上のご友人とそのご息女、ご子息との集まりで、美子様が亜子様のお菓子までも欲しがったと聞きました。」
「………………お姉様は、お優しい笑顔で苛烈なことをされる方です、とても悲しいことに。私がそうした理由は、そうしないと、お菓子を下さったご息女の方が罰されると思ったからです。」
「具体的に教えて下さい、罰するとは?」
「………自分には相応しくない、下賤な食べ物だとそのお菓子を投げ付けたり、また、持っていた扇子でご息女を叩くのではないかと心配でした。」
「そうなのですね。」
「実際、私が出席しなかったお茶会では、そのような事件があったそうです。詳しくは、お父様とお母様に聞けば分かるかと。」
美子は、姉の亜子を思い、そして諦めた。
今まで頑張ってきたが、もうどうしようも出来ない。
もう医者に頼るしか無かったのだ。
家族ではどうしようもできない現実に、ただ悲しく思うしかなかった。
「お姉様がおかしいと感じるようになったのは、偶然、お姉様が酷く侍女に当たる姿を見た事がきっかけです。」
『まぁ、なんて、酷い髪型! 貴方、私の髪に触れる資格ないわね。』
『も、申し訳ございません………!』
「お姉様は、侍女が結ってくれた髪型に、笑顔のまま罵倒し続けました。私がこっそり隠れて、覗いて見てる度に、その光景を目にしました。
それから、よく観察してみると、お姉様のお側にいる侍女の方は、皆なんだか表情が暗いことに気が付きました。そして、短期間で別の方になっていましたわ。」
『あら、お父様に言いつけても無駄じゃないかしら?貴方のような者と、私とでは、信用も価値も全く違いますもの。』
『私に仕える者は、一流ではなくては困りますわ。貴方では少し劣ってしまうの。』
『………お父様。私の侍女の方が辞められたいらしいのですわ。実家に帰って結婚をされる予定だそうです。』
『もう貴方此処で働かなくて大丈夫よ。お父様に伝えておいたわ、田舎へ帰るとね。』
「お姉様は、私やお父様、お母様にはお優しい方です。けれど、身内以外や、自分よりも下だと思った者に関しては、何故か、容赦なく罵倒したり、時には暴力を振るったりしました………。」
『家庭教師ですのに、私の質問にしっかりと答えられないなんて、なんて無能なのかしら。』
『今度こそ、私の質問に完璧に答えられるようになって下さいね? 先生ですもの。お願いしますわ。』
美子は、深いため息をついた。
家庭教師には嫌味のような細かく、様々な質問をして、少しでも返事に詰まると、笑顔で教師として矜持を失うような言葉をチクチクと言っていた。
姉の性格に早くから気が付いていた美子は、もしや、と思い、こっそり様子を伺ってみれば、案の定、年上の家庭教師にまでも姉は言葉という暴力を浴びせていたのである。
だんだんと元気がなくなっていく様子で、家に来ている家庭教師を見ることに美子は耐えきれなくなり、我儘を言ったことにして、一緒に勉強を受けることにした。
不思議だったのは、美子や、父親、母親がいる場面では、姉はその苛烈な性格を全く出さないという事だった。
そのため、美子が一緒に受けるようになってからは、亜子はとても大人しく授業を受けるようになったのである。
姉の性格の異常さに気が付いていなかった両親に、美子は何度も何度も酷いことをしていると主張し続けた。
最初は全く気にしていなかった両親も、美子のお茶会での無礼な行為を、複数の方達から聞いてからは、亜子に対しての認識を改めたようである。
あまりに気が付くのに遅すぎる、と思わないでもないが、事実、亜子は自分と両親がいる前ではそんな態度を全く見せなかったのだから、責めることは出来ないとも美子はその時、思った。
「一年前、お姉様が婚約者が欲しいと言い出しました。お父様もお母様も、私も迷いました。お姉様を嫁に出して良いものかと………。しかし、その時は病院に入院をさせる勇気もなく、また、見張らせていた侍女に、最近は落ち着いていると言ってもらえたんです。ようやく、まともになってきたと思っていました。ですから、お姉様が姿絵を見て、気に入られた方………誠一様との縁談を進めることにしたのです。」
『見張らせている侍女は、落ち着いていると言っていた。それに最近は、茶会でも何か問題になるような行動はしていないと聞いている。おそらく、大丈夫だろう。』
『はい、お父様。でも、念の為になるべくお姉様のお側にいるようにしても良いでしょうか?』
『分かった。』
『あなた、今日お出かけしました呉服屋さんでも、私がいない時、特に辛辣なことは言って無かったみたい。大丈夫だと、信じてみましょう。』
「大丈夫だと思ってました。いえ、思いたかったんです。お母様もお父様もお姉様に幸せになってほしいと願っていました、私も。」
『誠一さんは、お姉様のこと、どう思いますか?』
『や、やだ、美子、そんなこと聞くことではありませんよ。誠一様も今のは聞かなかったことにして下さいませ。』
『可愛らしい妹さんじゃないですか。勿論お綺麗な方だと思っています。』
『良かった!この日のために、着物も髪型もお姉様うんと悩んでいたのです。良かったですわ、ね?お姉様?』
『っ美子!』
『(良かった、褒めてもらえた……。これで、万が一でも、お店の方に文句を言うことはないわ。)』
「でも、駄目でした。」
美子は医者にそう伝えた。悲しそうに、首を振って、大丈夫ではなかったと言う。
医者は、姉の亜子からは聞いてない話について尋ねた。
「何が起きたんですか?」
「婚約をして半年後、急に誠一様から、姉がいない隙に相談をされました。たまに、人が豹変したかのように苛烈に詰められて参っていると。その瞬間、私は姉は何も変わっていなかった事に気が付きました。」
「苛烈に詰められているというのは?」
「暴力は振るってはいませんでしたが、些細なことで嫌味をずっと言われたり、否定をされていたようです。ですので、私は誠一様につきっきりで離れないようにしました。すぐに両親に相談をしました。
けれども………。
もうどうしようもありませんでした。誠一様から、もう我慢できない、破談にしたいと言われてしまいました。誠一様には申し訳ないことをしました。私達はお姉様の性格を知っていたのに、もう大丈夫なのだと信じたばかりに、辛い思いをさせてしまいました。最後の方には、我が家に来ること自体が苦痛になっていたとの事です。」
ーーーそうして、亜子の精神状態について診察させるために呼ばれた医者は、両親から話を聞いてから、亜子の話を聞き、最後に美子の話を聞いた。
精神病院に入院させるしかないだろうと、結論づけた医者は、重い腰を上げ、両親へその結論を伝えに歩きに行った。