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「僕は、いつだってキミの隣にいる」
「キミは、僕を裏切らない?」
「もちろん」
――約束、だよ。
パッと目を開けると、そこにはいつもの僕の部屋の天井がある。僕はどうやら眠っていたらしい。目をごしごしと右手でこすっては、窓の外を見てみた。外はまだほのかに暗い。まだ、学校へ行くには早い時間のようだ。
(今のは、夢だったのかな?)
どくん、どくん。胸が高鳴る。このドキドキは、夢なんかじゃない。僕には、僕のことをいつだって守ってくれる「ライ」という存在ができたんだ。
ライは、僕より少しばかり背が高くて、でもきっと僕と同じでまだ中学生。声変わりもしていないから、パッと見は少年だけど、もしかしたら少女かもしれない。中性的な見た目をしていて、髪は明るい栗色で横髪が長く、後ろ髪は首のところでひとつに束ねていた。目は日本人離れしていて青いガラス玉のような色をしていたから、ハッキリと覚えている。
(噂は、本当だったんだ!)
徐々に、僕の中で実感が生まれてくると、僕は口元がほころぶのを止められなくなっていた。布団を握る手に力が入る。嬉しくてその布団で目を覆った。
※※※
僕たちの学校の中で、最近噂話があった。枕の下に紅葉の葉を一枚しのばせて眠ると、夢に「もうひとりの自分」が現れるというのだ。もうひとりの自分は、性別も年齢も不明で、実は別の世界を生きる「自分」だという説がある。だから、姿が多少現実世界の自分とは異なるという話だ。その姿のことを、通称して「ライ」と呼ぶのは、「嘘(Lie)」から来ているらしい。僕も、詳しくは知らないけど、そんな話は耳にしていた。
特にクラスの女子に人気の学校七不思議だったが、本当に「ライ」と出会えた……なんていう話も聞くのだから、根も葉もない噂話ではないと思う。僕はそんなことを思いながら、日々の学校生活を黙々とこなしていた。
僕は特に目立った特徴も無い中学一年生。どこにでもいる、ごく一般的な家に生まれた、一人っ子。一軒家が建ち並ぶ団地に住んでいて、団地の中に幼稚園から小学校、中学校まで揃っていた。だから、中学一年生に上がったと言っても、周りの環境が大きく変わることはなかった。新しい友達が増えることもなく、代わり映えのしないメンバーで新学期を迎えた。ただ、勉強は少しだけ難しくなった気がする。宿題の量も増えたし、算数が数学に変わった。言葉だけ変わったならまだしも、公式がたくさん出て来て、今までの数の遊びとは一味も二味も深みを増してしまった。元々勉強は得意ではなくて、僕は溜息しか出ない。
「おい、奈津! 次、体育だぞ?」
「あ、うん! 今いくよ」
一年三組のほとんどの生徒が既に校庭に出ていた中、僕はぽつんと教室に取り残されていた。最近の僕は、こんなもんだ。みんなから遅れをとってしまっている。幸い仲の良い友達が居て、僕のことも面倒みてくれているからついていけているけど、クラス替えをしてそんな友達と離れてしまったら、僕は孤立するんじゃないかな。そんな心配事も、あったりする。
僕はジャージ姿で友達に続いて運動場に急いだ。体育の先生は結構厳しい。十分という短い移動時間で外に出て、整列して居なければ先生の眉がぴくりと上がる。僕は「はぁ、はぁ」と息を切らして、慌てて列に並んだ。
「セーフ!」
僕を呼びに来てくれた友達、「零夜」は元気で頭も良くて女子からも男子からも人気の高い生徒だった。面倒見がよくて、きっと僕たちが三年生になったときには、生徒会長とかになるような生徒だとみんなが思っていた。十センチほどに切った髪の毛はほどよくツンツンしていて、見た目も爽やかだった。目はくっきり二重だし、誰もが羨む容姿をしている。背丈も一年にしては高い方だ。
「奈津。最近どうなんだ?」
「どうって?」
「奈津の描く漫画だよ。続き、できた?」
「あ、……うん。まぁ、少しだけ」
「ほんと? 今度読ませてくれよ!」
僕は趣味で、漫画を描いていた。漫画……といっても、そこまで手の込んだものではない。マスミリノートに鉛筆で描いているだけの、簡素的なものだ。それでも、僕の思い描く夢舞台がそこには展開されるのだから、漫画と向き合っている時間はとても楽しかった。読者は特に居ない。しいて言えば、今隣にいる零夜くんくらいだ。
「うん……気が向いたら」
「えー、俺、楽しみにしているんだから」
ニッと笑った右下に、小さなえくぼが出来る。そんなところもチャーミングだ。
「わかった。じゃあ、今度見せるよ」
「あぁ、約束な!」
「そこ、もう授業始まってるぞ」
体育教官の高木が眉をぴくりと上げた。おっと、これはいけない……僕と零夜くんは、クスッと笑ってから静かになった。今日の授業は大嫌いな持久走だ。運動場のトラックは一周二〇〇メートル。ぜぇはぁしながらなんとか十週走り切った。
一日を終え、僕は部活にも入っていない為さっさと家に帰ろうとした。でも、今日はなんだか気になって学校の図書館を訪れた。あまり利用されない図書館だ。ひっそりとしていて、図書館司書の先生が本の整理をしているくらいで、生徒はほとんどいなかった。僕は静かに奥の方に向かって、窓側の本棚から一冊の本を取り出した。
『嘘の世界』
僕は、「これだ、これ」と内心で呟きながら、タイトルをなぞった。僕はこのシリーズをとても楽しみに読んでいた。今日から新刊が入ることを知っていて、図書館へ寄っていた。「嘘の世界」シリーズの、第四巻になる。サブタイトルには、「キミの嘘、嘘のキミ」と書かれていた。
(どういう話なんだろう)
ペラペラ……ページをめくる。でも、おかしい。ほとんどのページが白紙だったのだ。
「あれ?」
たまに、印刷ミスなんていうこともあるけど、これがそういうことなのか? でも、本の一番後ろには貸出図書用のシールが貼られて……いない。
(先生も気づいてないのかな。これ、先生に言った方がいいよね?)
僕は本を閉じ、この本をカウンターに居る司書の先生に伝えに行こうとした……そのときだった。
ピカ……!
あまりにも眩しい光が視界を遮った。真っ白なのか、真っ黒なのか。いや、青かった気がする。もう、どうなのか分からなくなるくらい、衝撃的な光だった。目が眩んでしばらくの間、目を開けられなくなってしまった。僕は手の中に本の重みだけを感じて、そこに立ち尽くした。