第七話 旅路
「……よく食うな、お前さん」
「え、そうかしら」
二十皿目の肉料理を目の前に重ねる。対面するのは、黒髪黒眼の人間の男。私との間に積み上がった皿の山で顔の半分が隠れてしまっているが、呆れるような表情をしているだろうことは理解できた。
「あなたが食べなさ過ぎるのよ。食細いのね」
「自慢じゃないが、俺は普通だ」
「あれだけ山の中を歩いて、お腹が空かない方がおかしいわよ―――おかわり」
「そんな気がしてくるくらいの食いっぷりだな。もうそういうことでいいや」
コップの水をちびちび飲みながら、男はぼうっと窓の外に目をやった。
男の見やる先に映るのは、ラティオス国首都ヴァントルテ郊外の大通り。走り去っていくドワーフの子供や、馬車の上でタバコを吹かす竜族の末裔である竜人、買い物を楽しんでいるのだろう私と同じエルフの少女たちなど、大勢の人でごった返している。
気づけば、私たちはラティオス国の中心部までやってきていた。大通り沿いにあるレストランにて昼食を取っているのだが、それにしてもこの男、本当にまったく食事を取らない。
パン1枚とスープだけ食し、後はちびちび水を飲んでいる。
「ねえ、ほんとはお腹空いてるんじゃないの。私の食べる?」
「いらないよ。大丈夫だ」
「そう―――おかわり」
「もう二度と人に食べ物を譲らないでいいぞ。気を遣う」
目の前に座っているのは、『請負人のクロ』。人間の彼と旅を始めて、既に1週間が経っていた。彼は魔法に苦しむ人を救う。いや、正確には、魔法を請け負う、引き取ることを生業としているらしい。
山を越え、谷を越え、なかなかの道中を共にしたのだが、自分のことを話してくれる様子はない。
周りに視線をやる。
わいわいと賑やかな食堂の中、一定の人たちが私とクロを興味深そうに盗み見ていた。
やはり、黒いローブの人間とエルフのコンビは相当目立つらしい。私もただのエルフではなく、黒髪のエルフだ。エルフはほとんどが色素の薄い髪色や瞳を持って生まれてくるのだが、私だけはどうしてか黒髪と金色の瞳を持って生まれてきた。
この容姿にも違和感はあったが、まさか自然魔法が関係しているのだろうか。
違和感、といえばこの男にも違和感があった。
「ねえ、聞いていい」
「なんだ」
「その右眼」
「……」
私はずっと気になっていた、包帯の下の右眼に踏み込んだ。
怒られる、だろうか。尋ねたはいいが俯いてしまう。そっと彼の表情を確かめると、特に感情のなさそうないつも通りの様子だった。
水を一口飲み込み、意外と簡単に口を開く。
「こいつは、まああれだ。生き物だよ」
「……ええ。それは信じられる。なんだろう。その右眼そのものに、何か生を感じる」
「どうしてお前さんだけがこいつの存在に最初から感づいたのか、今じゃはっきりしたな。自然魔法―――生そのものを司る古代魔法を宿していたから、なんだろう」
「……なに。遠回しに、お前もなんでそんな魔法を使えるんだって言いたいわけ」
「不可思議なのはお互い様ってだけさ」
「意地悪」
「ふ」
あ。
また笑った。
クロは、本当にたまに自然に笑う。笑えないのかと思っていたが、この人もきちんと笑えることだけは、短い旅のなかで唯一理解したことだった。
「この眼に映すべきものと、映してはいけないものを選別する。正確には、それが俺に与えられた仕事だ」
懐かしむように、ぼうっと窓の外を見つめて彼は続けた。
「この右眼は、あらゆる存在を引き取ることができる。いや、正確には『引き取ってしまう』んだ。俺はこいつを制御する『器』なんだよ。人の命を、幸せを、世界の摂理を、間違っても引き取っちゃならんものを引き取らないようにする。だから俺が引き取るのは、『不幸』だけだと決めている」
「あらゆる、存在」
「そう。魔法も。物質も。その生命の存在まるごと、でもな」
「あなたに負担はないの。あなたはどうして、中でも『不幸』を請け負い続けることにしたの。そんな力、使おうと思えばなんだってできるのに」
「……」
「別に暇つぶしで聞いただけ。答えなくていいわよ」
ここから先を聞き出すには、まだまだ私と彼の間に時間の積み重ねがいるのだろう。また食事を始めた私を彼は一瞥し、窓の外に視線を戻した。
「あなたが、『請負人』か」
振り向けば、私と彼を見下ろしている紳士服姿の男が立っている。竜族の末裔、竜人だろう。白スーツと赤いネクタイを着こなしており、白いハット帽子から伺える瞳は、縦長の蛇のように鋭いものだった。
これは、竜と同じ瞳だ。
その一点のみ、純粋な人間のクロと異なる。
「あんたが依頼者かい」
「ああ。随分と遅かったようだな」
言葉をかけてから、ゆっくりと依頼人の竜族に振り向いたクロは、バツが悪そうに頭を搔いた。
「いろいろあったもんでな。そう言わんでくれよ」
「エルフが一緒だとは、聞いていないが」
「だからいろいろあったんだよ」
チラリ、と私を物色するように一瞥した竜族の男だが、すぐにクロへ視線を戻した。ハット帽を取って、クロに深々と頭を下げる。
「エルフが一緒でもなんでもいい。早速、うちに来て欲しい。娘を助けてくれ。頼む」
「……目立つからやめてくれ。とりあえず案内してもらおうか」
「ああ」
帽子を被り直した男が店の外に出ていく。クロも立ち上がり、そのまま後を追おうとする。
「ちょっと待って」
「なんだ。行くぞ」
「まだ残ってる」
すっとクロの前に自分の皿を突き出してみせる。半分ほどしか食べられていないステーキが乗っていた。
「さっさと食べてくれ」
「お腹いっぱいなのよ」
「なら残せ」
「食べ物を粗末にするような人はどうかと思うわよ」
「……」
皿を引っ込めず、にっこり笑ってやった。クロは眉根を寄せて諦めたようにため息を吐く。
テーブルに置いてあった私のフォークを掴み取ると、残ったステーキを一口で口に放り込んだ。大きく食べてしまったので、なかなか噛み切れないのだろう。もぐもぐと、素直な動物のようにしばらく口を動かし続ける。
少しかわいい、なんて思った。
ごくりと飲み込んだ彼は私を軽く睨んで言った。
「ほら食ったぞ。待たせてるんだ。早く行かにゃならん、立て」
「口にソースついてるけど、どうする」
「……拭く」
「どうぞ」
紙ナプキンを彼の口に押し付けて、そそくさと先に店を出ていってやった。外に出る前に、わざとニヤリと笑って振り返る。
口元を拭いたクロは、恥ずかしそうに紙ナプキンを丸めてポケットに突っ込んでいた。
「おい、俺で遊ぶな」
「なんのことかさっぱりね」
店から出てきた彼にとぼけてみせる。
彼はため息を吐き、離れた場所で私達を待っている依頼人を見つけると歩き出した。
「行くぞ、フレイヤ」
「……あ、うん」
初めて、私の名前を呼んでくれて。
私は、その背中を追いかけていく。