第六話 旅立ち――物語の始まり――
「聞け」
「あなたは……」
生気のない目。
出会った時と変わらない目。死を前にしても、この男は同じ目をしていた。
「あんたに、かかっていたのは、あんたの生まれ持った禁忌魔法を『覚醒させ暴走させる』魔法、だった」
「……どう、いうこと」
「俺が、請け負ったのは、その魔法だ。全てを灰にする禁忌の魔法、あれは、あんたが生来持っていたものなんだ、よ」
「私の、生まれ持ったもの……?」
足音が鳴った。
見れば、大樹の根本の方からやってくる大悪魔アルシエルの姿があった。
紳士然とした微笑みには、躊躇のない残酷さが伺える。
「その通り。禁忌の自然魔法。いや、自然魔法の究極形。生命を無に帰す魔法、あれは元々君に備わったものだ、エルフ」
「あなたたちは、あんなものが欲しいの。あの恐ろしい力が欲しいの」
「欲しいね。必要なんだ、私たち悪魔には」
「あんな、あんな力が、元々私の力……?」
「自然魔法とは」
優雅に歩いてくるアルシエルは語った。
真横で雄大に輝く半月を眺めながら。
「扱う者など、そもそも君以外に確認できた例のないものだ。それもそのはず、自然魔法に関する文献や話は、全て千年前のものしか現存しない。あらゆる魔法の祖とも呼ばれるものだ。まさに古代の魔法」
「……魔法の祖?」
「魔法とはなんだ。事象に生命を吹き込んだ形が、魔法だ。火に生命を吹き込み炎の魔法が生まれた。水に生命を吹き込み水の魔法が生まれた。自然を生み出し、生命を吹き込む自然魔法は、『生命そのもの』を扱う魔法の祖にあたるのだよ」
トントン、と足元の枝、無数の植物の絡み合った地面をアルシエルはつま先で小突く。
「こんな植物、生命そのものを君は容易く生み出せる。植物という生物そのものを生み出すことの異端さを君は自覚すべきだったね。強力な魔法だ」
「違うわ。私の魔法は、花を咲かせて、食べ物を作って、みんなで穏やかに暮らせるための―――」
「しかし、生命の果てには死がある。死は命の隣人だ」
アルシエルが指を鳴らす。
右手に魔剣が出現する。弓なりに曲がった異様な剣を持って淡々とこちらに近寄ってくる。
「生命そのものを支配する、それが自然魔法の正体さ。言い換えれば、生あるものに死を強制することもできる。それが、君の魔法の姿」
切っ先で私を指し示す。
宣告するように言った。
「禁忌の自然魔法、全てを灰にするあの魔法は、生を死へ導いて生を完結させる力。あれは生あるものすべてに作用する。生き物にも、生命を吹き込こまれたあらゆる魔法全てにも」
「私を使って、世界征服でもするつもり」
「さあね。だが、いかに君が危険で希少な存在か、自覚は持てたかな」
人間の男を見下ろす。
ここまでか。このままでは二人ともやられる。
「勘違い、するな」
男が呟いた。
ふらふらと立ち上がると、私を背にして悪魔と対峙する。
「あんたの魔法は、幸せな魔法だ」
「……」
「食い物を作る。花を生む。他になにがいるかよ、この世界で。幸せじゃないか」
「……」
「だから行け」
「え?」
男は右目の包帯を解いた。
はらりと落ちて、右手で右目を隠す。
「行け。生きて、あんたの居場所、見つけろよ」
「待って、あなたは―――」
「俺はいい。俺の生命に意味はない。気にせず行け。あいつは俺がなんとかする」
「なんで、そこまで」
「生きていることに執着はないが、あんたの不幸を請け負った俺にも、これは責任がある」
それだけだ、と男は言った。
「おい悪魔。死にたくねえなら、あまり見ちゃいかんよ」
子供に注意でもするような調子で告げる。
そして、対峙するアルシエルの微笑みが崩れた。
「……なんだ、それは」
魔剣が、落ちる。
振るうことなく、力が抜けてしまい、それは手放される。
「私を見ているそれは、なんだ」
目を見開き、口も開く。恐怖を明らかにして、アルシエルは呟いた。
「中の『そいつ』は、なんなんだ……!?」
男が右眼を隠していた手を下ろす。
瞬間、アルシエルの右腕が消える。ボン、と風船でも割れるように一瞬で失われる。
派手に血飛沫を撒き散らし、大悪魔はひざまずいた。
「が、ああああああああああっ!!」
「魔界に帰って仲間全員に伝えろ。二度とこの子に手を出すな。あんたを殺しても、どうせ繰り返しなんだろ、これ」
「き、さまぁああああああ!!」
叫んだアルシエルが魔力を全身から吹き荒らす。反撃に出るつもりだ。半月まで覆ってしまった大悪魔の魔力は視界の全てを闇に飲み込む。
「『アン・ライン』」
キラキラと空に無数の光が灯った。
冗談じゃない。おびただしい魔力を纏った魔剣が、視界に収まらないほどに生み出されていく。
これは、確実に死ぬ。
一振りで巨岩をも消し炭にするだろう威力の剣が、豪雨となって降り注ぐ。
「なるほど。魔剣を無尽蔵に生成使役できる魔法ってとこか。厄介だな」
しんどそうに、面倒くさそうに男がぼやくと、こちらに向かってくる無数の光―――魔剣が霧のように消えていく。ふっと世界が暗くなる。次の瞬間、広がっていた闇の魔力が炭酸でも抜けるように夜空へと消し飛んだ。
「な、ぜ」
「だから、言ったろ―――三度目はねえって」
「―――が、ぁぁぁああああああああああ!?」
晴れて射し込んできた月の光に、両腕を失くし叫びもがく大悪魔の痴態が浮かび上がる。
「足は残した。逃がしてやるから、さっさと行け」
「おぼ、えたぞ。人間!!」
叫び、ふらりと悪魔は地上へ落ちていった。男を睨みつけながら、しかし確実な絶望を覚えた表情で。
「……加減が難しいんだ。もう勘弁だよ」
男もまた、重心の定まらなくなった様子だ。そうだった。腹部に穴が空いたまま、この男は『何か』して悪魔を撃退したのだ。
気づいた時には、遅かった。
男も同様に、枝から落ちて地上へ向かっていく。
「ちょ、ちょっと!!」
思わず飛び出す。
真っ逆さまに落ちていく彼を見つけると、飛空魔法で一気に加速する。
ぎゅっと抱きしめる。
地面がそこまで見えてくる。
―――間に合え。
ズザザザザザザザザザッッ!! と、私は男と一緒に大地を転がっていった。
ギリギリ衝突を免れた私は、息つく暇もなく男のもとに駆け寄った。
「ねえ!! 生きてるの!!」
「……ああ」
襟首をひっ掴んで声をかける。
力ない声で返事があった。
「放っておけ。直に出血で死ぬ」
どうでもよさそうに呟いて、眠るように瞳を閉じる。その瞬間、私は言いようのない怒りに我を忘れてしまった。
ガン!! と、男の額に自分の額を叩きつける。
すると、頭突きされて痛みと驚きに目を見開いた顔があった。右目だけは、ぎゅっと頑なに閉じたままだが。
「ええ。うん、満足」
「あ、あんた、なにを」
「いい顔できるじゃない。行くわよ」
「いや、待て。俺はもう」
「死なせない。『メルト』」
地面から植物を生み出し、その枝を穴の空いた腹部に巻き付けていく。
男は痛みに顔を歪めた。それを見て笑って教えてやる。
「穴の空いた部分に入り込んで、なくなった血管の代わりにこの植物が血を運んでくれるわ。残念、これで死ねないわね」
「……さっきやれたじゃないか」
「大地、地上からじゃないと生み出せないのよ。それよりも、気分はどう」
「……」
「ほっとしたんでしょ。あなただって、やっぱり死にたくないんじゃない」
「……かもな」
男は仰向けになって夜空を見上げていた。
半月の光を浴びながら、懺悔でもするかのように呟く。
「俺のせいだろうな」
「なにが」
「悪魔たちがあんたを狙いに来たことだ。俺があんたにかかっていた魔法を請け負ったからだ。あれから2日もせず、奴らはやってきた」
「そうね。なぜかは分からないけれど、あなたが私を助けたことがきっかけでしょうね」
「すまん」
「許さない」
間髪入れずに言葉を返す。
隣に仰向けで倒れ込む。疲労困憊で疲れた。
「なぜ悪魔たちが私の力を欲するか。なぜあなたが私を助けた後をきっかけに襲ってきたのか。そもそも、あの『灰にしてしまう禁忌の魔法』は暴走しなくなっただけで私に宿ったままなら、私はそれをどうすればいいのか」
「……」
「あなたがきっかけよ」
「……ああ」
「どうするの」
「……俺は請負人だ。不幸を請け負う旅を続ける。だから、そうだな。悪魔たちのことや、あんたの自然魔法に関することを調べてまた報告にここへ―――」
「連れてって」
「……」
半月を眺め、月明かりを浴びながら、言ってみた。
男は沈黙する。
「みんなを巻き込めない。ここに居場所はない」
「……ああ」
「あなたがきっかけ」
「……まあ、な」
だから、と付け足して。
もう一度。
「あなたの旅に連れて行って。私の居場所が見つかるまで」
「……分かったよ」
不思議と、男の声は生き生きとしていた。
少しだけ、笑っていたように聞こえた。
「フレイヤ」
「村長」
まだ夜明け前の薄暗い中、男と一緒に村から出ようとする私を村長が呼び止めた。
その手には、紐でくくった木皮の袋がぶら下がっている。
「何も告げずに行くのかい」
「ええ。説明の仕様もないから」
「アルビダは悲しむよ」
「……うん」
そう。彼女だけは、きっと私がいなくなって悲しんでくれるだろう。あの子は最後の友人だ。
だからこそ、何も伝えるつもりはない。
「言ったら困らせるだけ。また必ず会いに来ると伝えて」
「お前が決めたことなら、それでいいよ。これを持ってお行き」
「これって……」
手渡された袋を開いてみると、中には金貨がどっさりと包み込まれていた。
咄嗟に突き返してしまう。
「無理。これはみんなのお金よ。私なんかにこんなことして、バレたらただじゃ済まないわ」
「私なんか、ねえ」
千年以上も生きてきた村長は、動じることなく微笑みを浮かべて、握っている杖を見つめる。
「長く生きてきた。いろいろなことを知った。私は私の目に自信がある。だから、今から言うことを受け入れてそれを持ってお行き」
しっかりと私の目を見つめてくる。
「お前はこの集落のために、ずうっと一人で耐えてきた。お前こそ先に、みんなのために頑張ったんだよ」
「……」
「一人で辛かったろう。灰にした者のことで気が狂うような思いだったろう」
「……」
「辛かったろう、フレイヤ」
「……ええ」
視界が滲む。
だめだ。溢れる。思いが、決壊する。
「だから、これはお前が持っていくべき金さ。私はお前がここから旅立つ時のために、お前の頑張りに相応しいだけの金貨を集めたに過ぎない。だからね、フレイヤ。お前はお前の居場所を見つけなさい。もう、ここでの不幸に囚われちゃいけないよ」
「……うん、うん」
「さあ、行きなさい。風邪、引いちゃいけないよ」
「ごめん、なさい……あり、がとう……!!」
村長の顔をまともに見れなかった。
溢れて止まない涙を必死に手で押さえつける。それでも一度切れた糸はもとに戻らない。
必死に声を押し殺して泣く私の頭を撫でて、村長は続けた。
「この子のこと、お願いしますね」
「ああ。分かってる」
私の後ろから、男の声が響いた。
村長の安堵するような吐息も感じた。
「この子は優しい子です。きっと幸せになるべき子なのです。この子に起こったことを問い詰める気はありません。ですから、どうかこの子の幸せだけは、どうか見つけてあげてください」
「連れて行く以上、俺には責任がある。幸せにできるかは知らんが」
ポン、と後頭部に大きな掌が乗った。
力強かった。少し痛いくらいに、しっかりと私の頭を撫でてくる。
「俺は『不幸の請負人』だ。不幸にだけはさせない」
「ええ、十分です。お願いしますね」
後頭部から感触が消えると、草木を踏みしめていく音が森へ向かっていく。
振り返ると、既に男は新たな旅路へ歩を進めていた。
「さあ、フレイヤ。行きなさい」
「村長。私、あの、本当に」
ごめんなさい、と言いかけた私の前で、村長は首を横に振った。
「あの人は信じていい。千年生きた私が保証する」
「……」
「置いていかれないように、しっかりあの人の隣を歩きなさい。そうすれば大丈夫」
「うん」
「元気でね。いつか顔を出しに帰っておいで」
「……うん。行ってくる」
深く頭を下げて、私は集落を背に走り出す。黒いローブの背中を見つける。初めて会った時のように、追いつこうと一心不乱に走る。
そんな私に、森の中へと入っていた男は歩みを止めて振り返ってくれた。
「早く行くぞ。直に朝が来る」
「せっかちな男は嫌われるわよ」
隣に並ぶ。
森の中を私たちは歩く。
「で、どこ行くの」
「次の不幸を請け負いに行く。それが仕事だからな」
「私にできることは?」
「さあな。まあ何か見つかるだろ。時間はある。頼むぞ、助手」
「ん」
ふと、気づいた。
今更で本当におかしな話だが、ようやく私は男に尋ねる。
「あなた、名前は」
「クロでいい」
「そう。私はフレイヤ」
「さっき聞いたから知ってる」
「……あなた友達いないでしょ」
「え、なんで」
クスリ、と思わず笑ってしまった。
こいつのことは何も知らない。なぜこんな旅を続けているのか。その包帯の下には何があるというのか。
まあ、いい。
それは後で聞いてみればいい。
「どうせ、長い付き合いになりそうだしね」
「? なんだって?」
なんでもない、と言葉を返す。
朝日が登り、私たちの進む道を照らし始めていた。キラキラと、明るく暖かく、包み込むように優しく。