第四話 強襲
その夜、私は花畑の中に立っていた。目の前には、アルメデのために咲かせた古代の植物が、雄々しく背筋を伸ばしている。
名も知らぬ、今は無き花びらが、やはり目の前に吹雪続けている。
「綺麗」
「ええ、本当に」
ぽつりと呟いた一人言に、返事が合った。
振り返ると、茂みの中から女が現れた。深紅のローブに派手な指輪にピアス、攻撃的なビジュアルの美女だった。ローブ姿の人間に最近遭遇したが、似たようなシチュだなと呑気にも感じた。
ただし、人間の彼とは明確な違いが一つだけ。
額から映えている、禍々しい角。
「悪魔。魔族ね」
「ええ、そうですよ」
肩まで伸びたサラサラの銀髪に赤い瞳、病人のような白い肌。悪魔の女は、エルフの特徴である私の長い耳を見て笑った。
「初めて見ましたよ、綺麗な魔法ですね。エルフはこんなものまで魔法で生み出せるのですね。彼がどれだけ喜ぶことでしょう」
「彼?」
「ああ、なるほど。あなた何もご存知ないんでしたっけ」
クスクスと笑って小馬鹿にしてくる悪魔に、努めて冷静に言葉を返す。
「どういう意味かしら」
「あなたの知る意味はないのでしょう。そんなことより、もっといろいろ見せてはくれませんか。あなたの魔法」
以前変わらず、馬鹿にするように笑ってくる女悪魔を見つめ、私は攻撃の姿勢を整える。
魔族ほど殺戮に走る種族はいない。
悪魔はそれこそ、筆頭である。
「名乗りなさい、悪魔」
じっと睨みつけると、悪魔の女は妖しく微笑んだ。
そして、圧倒的な絶望を突き付ける。
「ルシフェル。趣味は蹂躙です」
「っ」
魔力の渦が溢れる。
ハリケーンのように巻き上がったドス黒い魔力の渦は、周囲の花畑を刈り取って宙に散らしていく。
空の闇夜を切り裂いて、月を飲み込み、光を隠す。
「闇に包むは深淵―――」
(詠唱!?)
明確な攻撃魔法を感じた私は、咄嗟に魔力を振りまいた。
大地から突き抜ける自然魔法は、植物の枝葉となって一瞬で悪魔ルシフェルの身体に巻き付きながら巨大な巨木として天へ登っていく。
驚いたような顔をしたルシフェルに畳み掛ける。
「ここは私の育った場所。消えて」
「へえ。強いんですね、あなた」
花火でも咲くように、百本を超える神木が生える。瞬時に真っ赤な花びらを咲かせると、それらは一斉に散っていき、豪雨の矢となってルシフェルの身体を串刺しにしていく。
だが。
「無に彩るは空と大地、淵に落とすは森羅万象、言の葉に乗せて告げる」
「やめて!! 一体なにを―――」
壮大な詠唱を止めない大悪魔ルシフェルは、無情にも完璧な魔法を発動する。
「『ゲヘナ』」
「あ」
漆黒が溢れた。
ボトリと、空から吐瀉物でも落ちたかのように、黒い空から漆黒の塊が泥のように零れてきた。
グニョグニョと形を成し、完成したのは黒い門扉。その大魔族の扱う禁忌の魔法に心当たりがあった私は喉が干上がった。
あの門扉は、『地獄の扉』だ。
勢いよく開かれた扉から、無数の魔獣が溢れかえってくる。古代魔獣の龍やオーク、悪魔たちが無数に飛び出していき、押し寄せる洪水のように集落へと流れていく。
山を飲み込み、食い荒らす。
花畑など漆黒に包まれて何も残らない。
一瞬で足元から大樹を生やした私は、空高く上昇し地獄の津波を切り抜ける。
「なにが目的なの!!」
「なにって。言ったじゃないですか。あなたの魔法が綺麗だから、もっと見せて頂きたいだけですよ」
クスリと笑った悪魔ルシフェルを尻目に、私は飛空魔法を展開し猛スピードで集落へと向かっていく。
地上を見下ろすと、墨汁に染まっていくように大地が消えていく。
あの魔法は、地獄を現世に顕現する魔法だ。
溢れかえった魔獣や悪魔の群れに触れたものは地獄の一部となり、無条件でその存在が奪われていく。具体的には、あの漆黒の津波に触れたもの全て魔獣や悪魔などの地獄の生物に変えられてしまうのだ。
これだけの強大な魔法使いとなれば、あの女は嘘偽りなく大悪魔ルシフェルだと理解できる。
「魔王に次ぐ魔族のトップが、なんでこんな村に……!!」
吐き捨てた私は、押し寄せる闇の津波を抑え込もうと、持ち得る限りの魔力を振り絞った。
「『レフト』!!」
地盤がズレる。
クッキーでもフォークで突き刺したように、地獄へ誘う津波と集落の間を真っ二つに断ち切った。切断された大地が離れていく。
「やりますね。相当な魔法使いだ」
「っ」
背後から響いた声に振り返ると、夜空に溶け込むように笑った悪魔が私を見下ろしていた。
「『レフト』。自然魔法の中でも最古の魔法。大地を両断、地中深くの空間にまで干渉し分断する、相当なものですね。流石、『選ばれたエルフ』とはいえ中々のやり手です」
選ばれたエルフ?
いや、今はいい。疑問は捨てろ。
「あなたのそれは悪魔の魔法、黒魔法ね。普通、こんな軽いウォーミングアップのように扱う代物じゃないわ。下手したらこの世界ごと地獄に引きずりこまれてしまう。軽率な悪魔ね」
「あはは!! 軽率ですか。ええ、ええ。なんとでも仰ってくださいな。そんなことより、見せてくださいよ。私の目的はあなたなんですから」
「だから、なにを」
「なにって―――禁忌の古代自然魔法ですよ」
ルシフェルは右手を広げる。
魔力の渦と共に、巨大な魔剣が生み出される。漆黒の刃を振り上げて告げる。
「さあ、ほら使ってください。使わないと、集落もあなたも、ぜーんぶ殺しちゃいますよ。ほらほら、さあさあ」
ニヤリと笑った。
目の前で、私の目の前で、気づけばそいつは笑っていた。
え、あれ。
さっきまで空にいたはず――――
「生命を還す、禁忌の魔法を」
振り下ろされた大剣は、私を派手に斬りつけた。真っ二つ。きっと綺麗に分かれて死んでしまうだろうと、ぼんやり感じた。
だが、なぜだ。
なぜかは分からないが、私を斬ったはずの大剣には血のり一つ付いていない。
確かに斬られたはずだった。
それなのに、どうして。
「やめろ。そいつはもう何も持っちゃいない」
「……誰ですか」
斬ったはずなのに、斬れていない。大悪魔ルシフェルこそ困惑に眉根を寄せながら、奇怪な生き物でも見るように現れたそいつを認識した。
黒いローブに、包帯をした右目。
隻眼の人間が、また私の前に現れていた。