第十二話 犯人
レオナルド城にて馬車を止める。
降り立った私たちは、中庭を通って城内客室へと向かおうとする。しかし、中庭の噴水前にて、城主のレオナルドが後ろに手を組んで待っていた。
「手がかかりは見つかったか。請負人よ」
「残念ながら、まだ時間はかかりそうでね」
クロは冷淡に言ってのける。
レオナルドは沈黙を返すと、しばらく静寂を置いてから簡単に言ってきた。
「悪かった。犯人探しなどあなた方の仕事ではないだろうに。明日には首都中心部行きの馬車を用意させよう。遠路はるばる悪かった」
「……」
クロは返事をしなかった。
じっとレオナルドを見つめると、視線を横へずらす。そこには、小さな小窓があった。
「レオナルドさん。仕事は仕事だ。一ヶ月でも半年でも、一年でもかけて犯人を探し娘さんの心を取り戻そう。諦めないで欲しい」
「……そこまではいい。あなた達に迷惑だろう」
「迷惑じゃないさ。仕事だ」
「いや結構だよ。少しずつでも心の回復に努めていくさ」
「ところで」
クロはレオナルドを真っ直ぐに見据えて、かく尋ねる。
「あの小窓の部屋に入りたいんだが、どこに入口があるものかね」
「……」
「どこに入口が、あるものかね」
「あの部屋は立ち入り禁止だ。今は塞いでいる」
「なら窓を割って入らせてもらおう」
「ふざけるな。ここは私の城だぞ」
「あの窓の先に、手がかかりがある」
「……」
「弁償でもなんでもしよう。愛する娘を助けたいだろうに」
「断る」
冷たく斬り捨てるようなレオナルドの返事に、クロは鼻で笑って返す。
懐から取り出したライカを一口飲んで、ぼそりと呟いた。
「そうかい。なら結構」
「解決は、できるのか」
「さてね。あの部屋に入れないんじゃ分からんが」
歩き出し、クロはレオナルドの横を通り過ぎる。ゆったりとした足取りは、レオナルドに対してどこかプレッシャーをかけるようなものだった。
ぼそりと、不幸の請負人は呟く。
「こっちもプロなんでね。まあ任せておくれ」
クロの言葉。
レオナルドの表情。
重厚で押し潰されてしまうような空気。
私はクロに問わずとも確信した。
四姉妹から心を奪った犯人は、父親のレオナルドなのだということを。
「あら、リーファちゃん」
「フレイヤさん。おかえりなさい」
私とクロは四姉妹の様子を見に城内大広間へと戻ってきた。中に入れば、私が外出前にぶつかってしまった使用人の少女がいた。
無理に笑って、軽く頭を下げてくる。
その手には、シチューの注がれた小皿とスプーン。円テーブルに座った廃人の娘たちに、食事を施していることが見て取れる。
「彼女たちは食事も取れないの」
「ええ。一度、餓死寸前にまでなったことがあります。それ以来、食事もお世話申し上げております」
「そう……」
食欲すらも奪う、凄惨な暴虐。生命活動そのものをも停止させるほどの行為は、もはや魂の凌辱とも言えよう禁忌の所業。
その犯人が、まさか父親のレオナルドだとは、未だ私には納得がいかなかった。
ちらり、と隣に立っているクロを見上げる。
彼の表情は変わらない。やはり、レオナルドが犯人であることに間違いはないのだ。
「ねえ」
「なんだ」
甲斐甲斐しくも使用人が四姉妹の世話をする様を眺めながら、私はクロに問いかけた。
「どうするの」
これからのことを。
何をすべきなのかを。
「不幸を請け負う。それだけだ」
「……あの子たち、治せるの」
「ああ。いつでも。原因の居所も掴んだ」
「それなら―――」
「だが問題なのは」
クロは苦虫を噛み潰したような顔になった。意外。淡々と機械のように請け負うことに徹する彼が、眉根を寄せて俯いていた。
虚ろな瞳で、カーペットに沈むような視線を落とす。
「誰の不幸を、請け負うべきなのかってことだ」
「……?」
意味の分からない言葉が引っかかった。
その時、誰かが部屋のドアを開ける音が聞こえた。振り返れば、いつかの老紳士の執事が立っている。
「おや、フレイヤ様」
「あなた……」
リーファとぶつかった後に出会った老執事だ。上品に私へ頭を下げた彼は、ついでクロへと顔を向ける。
「ダリアと申します。あなたが、請負人の?」
「ああ。クロだ」
「なるほど……」
じっとクロを見つめる。
違和感。老執事ダリアとクロの間に緊張の糸が走り、張る。ただの挨拶ではない。生唾を飲み込んで様子を伺うが、二人とも一挙手一投足と動かず静止している。
凪ぐ。
「お嬢様たちの心は、取り戻せそうですかな」
「できる」
言葉が滴り落ちる。
水面に波紋が広がった。ダリアは目を見開く。初めて、その瞳が竜と同じ縦長の鋭いものだと分かる。
ダリアは竜人だ。
「本当ですか」
「ああ」
「そう、ですか」
「今すぐにでも、治そうか」
クロの問いかけに、ダリアは沈黙を置いてから言葉を返してきた。白い手袋にシワが寄るほど、ぎゅっと拳を握りしめて。
「……お会いして大した時間も経っていません。だというのに、どうしてクロ様は、そのようなお顔をされるのですか」
思わずクロの顔を覗き見る。だが、彼は反対に顔をそらして私に表情がバレないようにした。
「嫌な仕事だと思ってな。我ながら」
「なるほど」
ダリアは私を見る。
再び静寂が降り注ぐ。背中から、リーファが四姉妹の口にスープを運ぶ音だけが響く。
心ない人形に、命を注ぐ音。
カチャカチャと、毎日毎日繰り返してきて、マナーなど気にも留められなくなったのだろう、ここでの生活を意味する音。
「リーファ」
「はい、ダリア様」
ダリアの呼びかけにリーファは振り返る。微笑みを浮かべて、彼はある提案を投げた。
「あとのことは私に任せなさい。フレイヤ様はお疲れです。紅茶をお淹れしてあげなさい」
「分かりました。フレイヤ様、こちらへどうぞ」
リーファは私の前を過ぎると、部屋の外へ出て扉を支えてくれる。クロに背中を叩かれて、言われた通りに退出した。
扉を閉める前に見えたのは、虚ろな黒い瞳でダリアを見つめるクロ。そして、重たい荷物でも背負っているかのように曲がった背中のダリア。
「フレイヤ様、お紅茶のお好みは?」
「あ、そうね。ハーブティーが好きよ」
「お任せください。私、お紅茶だけは得意なんです」
ぞっとするほどに明るく自然な笑顔を浮かべたリーファに、私はどこか狂気を感じた。
あまりにも、この少女だけは自然だったから。この城で、唯一、普通に当たり前に生活しているようだったから。
レオナルドにも、四姉妹にも、ダリアという執事にも、ちらついて見える闇がある。
この少女だけには、それがなかった。
「お熱いので、お気をつけて」
「ありがとう」
再び中庭にまでやってきた。夕焼け空の下、赤い外灯のようにぼんやりと輝く花々に囲まれて椅子に座った。隅にあった憩いのテーブルの上に紅茶が置かれ、向かい側にリーファが着座する。
ほっとしたような笑みを浮かべて、彼女は庭を眺めていた。
「リーファちゃんは、お花が好きなの」
「ええ。この庭が、とっても好きなんです。私の好きな花が全部あるから」
「へえ」
喜んでくれるだろうか。純粋な衝動に駆られてしまい、つい自然魔法を使う。足元に黄色の花畑を咲かせてあげると、リーファは踏み潰さないように配慮したのか、ばっと勢いよく踵を引き上げた。
「え、すごい。きれー!!」
「ふふ」
「フレイヤさんがやったんですか。これ、なんですか。魔術ですか」
「自然魔法って言うらしいわ。珍しい魔法なんですって」
あまり人前で使わない方が良いとレイン・フェルナンドにも忠告されていたが、子ども相手に問題はないだろう。誰彼見ているような場所でもない。
パチンと指を鳴らして花束を生み出す。ランランと目を輝かせたリーファに笑ってしまった。手渡してあげると、赤子でも抱くようにして受け取ってくれる。
「いいんですか、もらって」
「もちろん。紅茶のお礼」
「お花を出せる魔法なんですか」
「んー、どうかしらね。自然そのもの……生命力? 魔術や魔法の根本の『力』? っていうものを操れるみたいなんだけど、詳しいことは私もあんまり知らないの」
「クロ様もできるんですか」
「あの人は別。どんな魔法や魔術でも治療……引き受けてあげることができる人」
「請負人……」
「そう」
リーファは少し目を伏せる。
消えてしまいそうな声で言った。
「お嬢様たちの病気も、治せるのでしょうか」
「治せるって言っていたわ。あの人なら大丈夫。私にかかっていた不幸も、ちゃんと引き取ってくれた。助けてくれたから」
「フレイヤさんの不幸?」
「うん」
日が傾いていく。
リーファの抱いている花束に影が刺す。じわじわと、闇が辺りに広がっていく。
「私が触るとね、みんな死んじゃう不幸。家族も死んだ。友達も死んだ。私がね、触れるとね……全部殺しちゃう呪い」
「……」
「みんな死んじゃったのよ」
「……そう、だったんですね」
「うん。そうだったの。ずっと」
紅茶を口に運ぶ。
静寂が風に乗って運ばれてくる。どうしてこんな話をしてしまったのか。少しでも、この少女の慰めにでもなればと思ったのだろうか。
(いや、違う)
そんなに私は大人じゃない。
そこまで私は考えてものを話さない。
きっとこれは、私が私に対しての慰め。私が私で傷を舐めてやっただけ。
心の傷が、思っていたより深かっただけだ。
「ごめんなさいね。暗い話しちゃって」
「いえ、そんなことは」
「とにかく、あの人に任せておけば大丈夫。こんな私も助けてくれた人だから」
そう言って紅茶を飲んだ私に、リーファはやけに大人びた顔つきになって微笑みを返してきた。
「クロ様のこと、慕われていらっしゃるのですね」
「ぶっ!! いや、そんなんじゃ」
思わず吹き出してしまった私をリーファはクスクスと笑う。
不思議な子だ。
純粋無垢な少女にも見える。しかし、どこか歳上のような穏やかさも感じる。
「私にも、昔、そんな人がいた気がするんです」
「昔?」
「ええ。よく覚えてはいないのですが、昔、とっても大好きで信頼していた人がいた気がするんです。懐かしい気持ち」
夜が来た。
闇に覆われた花畑に月光がヴェールのように広がっていく。
それを見つめて、いや、その先にある遠い昔を見つめて彼女は言った。
「この花畑を見ている時も、そう、どこか似たような―――」
「リーファ」
ナイフで斬りつけるような声だった。
反射的に立ち上がってしまう。見てみると、噴水を挟んでこちらを睨みつける顔があった。
城主レオナルド。彼はじっとこちらを凝視すると、近寄ってくることもなく、淡々と言葉を続けた。
「ご客人を夜風にさらすな。風邪を引かれてしまう」
「ご主人様!! も、申し訳ありません!! すぐに中へご案内します!!」
「……」
リーファは紅茶器具のセットを抱えて立ち上がる。私もそれにならって後をついて行った。
レオナルドの厳かな顔の中に、縦長の龍の瞳があった。爬虫類特有の鋭い瞳は、月光を浴びて少し不気味ささえ感じてしまった。