第十一話 花の名前
この国最強の軍人魔術師、レイン・フェルナンド。私と彼との大暴れによって近隣住人は逃げ惑い離散していったので、静かな風音さえ綺麗に感じることができる。
レインは廃れたオープンテラスの居酒屋に入ると、勝手に瓶酒を取り出してきて円卓の席に着いた。つられて私とクロも席に着こうとするが、レインはクロに古い銘柄のウィスキーを取ってこいと指示を出す。
少しレインを見つめたクロだが、分かったと返事を残して店内の酒場を漁りに消えていった。
取り残された私は、レインと向かい合う。視線をどこに向けるべきか分からず、俯いて足元を眺めていた。
「俺、よく酒場で魔術師や魔法使いと喧嘩するからさ、まあその一貫ってことでいつも通り処理しとくよ。安心しな」
「あ、うん……。ありがとう」
「いいよ。で、端的に言って君に話がある」
レインは、煙草をくわえて古いオイルライターで火をつけた。
煙を吐き出して、前回のような圧迫感のない目で私を見る。
「君はどうしてクロ助と一緒に旅をするの」
「どうして……」
彼と出会う前の悲劇。
家族も友達も灰にして、一人引きこもった一年を思い返す。
「居場所がなくなったのよ」
焚き火の前でぼうっと無駄に生きていた時に、彼が現れた夜を思い返す。
「でも、彼は不幸を請け負ってくれた」
魔族の支配層、大悪魔の魔法使い二人との戦いを思い返す。
その時、彼が言ってくれた言葉は、鮮明に今でも焼き付いている。
「私の魔法は幸せの魔法だって、言ってくれたの。生きてていいって、自信が持てたの」
「クロ助らしいね」
「私の生きる居場所を見つけるまで、一緒に行くってお願いしたから、私は彼との旅を選んだ。だから、私は彼の力になりたい。今回の依頼を、全うしたい」
「ふーん」
レインの薄ら笑いは消えていた。
返答は質素だったが、初めて、ようやくきちんと会話できている気がした。
「なら俺から言えることは一つだ。俺の依頼をこなしてくれるなら俺は問題ない。君が邪魔になるどころか役に立つことも成り行きで喧嘩して分かってる。魔族の狙いが何なのか、動きが出たらそれも共有しよう。だから、一つだけ君にお願いする。怒らないで聞いて欲しい」
「なにかしら」
「クロ助は危険だ。親しくなるな」
眉根を寄せる。
レインは煙草を深く吸い込んで、私の表情に気を遣うことなく進める。
「悪いね。俺、君のこと結構好きになったんだ。だから言ってる」
「さっき殺されかけたんだけど」
「君が強かったからね。あのねフレイヤちゃん、生まれながらに古代の自然魔法を身に宿して、魔族に狙われながらも安息の地を手に入れようともがく優しい女の子を好きにならない奴なんていないさ。君には、ほっと落ち着ける人生を手にして欲しいと純粋に感じるよ」
「……」
「だから言ってんだよ。クロ助は化け物だ」
「なんでそう言うの」
レインの深刻な重みのある言葉に、耳を傾けようと思った。
端的に尋ねると、端的に言葉が返ってきた。
「見たから」
「何をよ」
「あの『右眼』の奥を」
「っ」
クロが帰ってきていないか、思わず店の玄関扉を確認する。
レインはそんな私をクスリと笑った。
「大丈夫大丈夫。どうせあいつ、俺がクロ助のこと喋るって分かってるよ。まだ帰ってこないだろうさ。いや、俺が君に話すことを望んでいるのかな」
「……あの右眼、なんなの」
「具体的には分からない。クロ助も話さない。だけど、俺は一度だけあの右眼と見つめ合ったことがある」
「なにを、見たの」
煙草の灰が膝に落ちる。
レインは気にも留めず、ぼそりと恐ろしいことを口にした。
「あの右眼の中には、もう一つの瞼がある。あの右眼は、俺の家族も街も何もかもを飲み込んで喰っちまった。そんでさ、あの右眼、笑っていやがった」
一度で理解できなかった。
レインの顔は嘘をついている顔ではない。はったりじゃないと、確かに信じられる様子だった。そもそも、そんなはったりをつくメリットなどこの男にはないだろう。私がクロの旅についていくことを了承した以上、そんな嘘まで作ってクロの評価を落とす理由がない。
「なにがあったの」
「そいつはクロ助から聞きな。これ以上はあいつに悪い。だから事実だけ伝える。クロ助の右眼は、この世における最大最悪の災厄だ。あの右眼は全てを奪う。クロ助の制御が効かなくなったら、全部全部おしまいなんだよ。神話みたいな災厄に世界は滅びる」
「どうして彼に、仕事を流すの。あなた軍人なんでしょ。彼が請け負う魔法の暴走や災害なんて、今回の依頼の件だって、国家機関や組織が動けば良いことじゃない」
「国がいちいち動いてられない時がある。だからクロ助を使って裏で処理をさせる。あとはそうだな、君の一件がそうだ。君の自然魔法の暴走、あんなもん、国が見つけて動いちまったら永久に拘束、隔離、実験の地獄みたいな人生になったんだぞ」
「っ」
自然魔法使いは現代において私以外に存在しない。そんなことを大悪魔は言っていた。その希少性ゆえに、魔族が私を狙って何かを企んでいることも知っている。
確かに、私はこのレインのおかげでクロと出会い、大事になる前に助けてもらったと言えるかもしれない。
「君みたいに、秘密裏に解決したほうがいい例もある。だから俺はクロ助を使う」
「国のために?」
「どうだろうね。まあでも、一番の理由は……」
レインは煙草を靴の裏でゴシゴシと削って火種を消した。そして、明確に怨嗟のこもった声で呟いた。
「あいつに不幸を背負わせて、苦しんで生きてて欲しいからかな」
「じゃ、そろそろ憲兵来るだろうし、さっさと仕事に戻りな。クロ助、フレイヤちゃん大事にしろよ」
「ああ」
「ああ、そうだフレイヤちゃん。この大樹さ、ちゃんと消しといてね。自然魔法の痕跡なんて残しちゃ、君一生狙われるよ」
立ち去ろうとした私をレインが呼び止めた。指し示すのは、大きく伸びた私の自然魔法『ロンド』。古代の植物を生やす私の魔法は、私の任意で消さなければ残ってしまう。
「既にバレてるんじゃないかしら」
「大丈夫大丈夫。植物を活性化させる魔法薬とかはあるから、そういう言い訳にしとくよ。まさかゼロからこれを作ったとは誰も信じられないからね」
レインの言う通りに、大樹を消そうとする。掌を広げて、空に描くように満開に咲き誇った白い花々を見上げた。
「クロ助?」
レインが私の横にいたクロに声をかける。なんだろうと思い、彼を見上げればぼうっと私の大樹を心のない顔で見上げていた。
「ねえ、どうしたのよ」
「……いいや、なんでもない」
クロは踵を返してそそくさと歩き始める。ライカを取り出して一口飲み込んだ。急いで魔法を消し、その背中を追いかける。
「なに、私の魔法に見とれていたの」
「ああ、まあな」
「へえ。嬉しいじゃない。あれね、古代の植物なの。アルメデも綺麗だって喜んでいたわ」
「そうだな。ああ、いつ見ても綺麗だよ」
「……いつ見てもって。そんなに何回も見せてないけれど。あの花、もしかして知ってるの」
尋ねると、クロの頬に飛んできた花びらがキスをしてくる。可憐で可愛らしいそれを手にとって、初めて見せる顔になった。
それは、あまりにも純粋な微笑み。
見惚れてしまうほどの、自然な表情。
彼は言った。
「『サクラ』だろ。久々に見ても、綺麗なもんだな」
古代の植物である『サクラ』。なぜその名前を知っているのか。植物に詳しかったのだろうか。私の村の集落では、誰一人この名前を知っている者はいなかった。亡くなった両親と、村長を除いて。
「クロ助!!」
遠くからレインの声が響いた。
クロは振り返る。
「さっきも言ったが、侮るなよ。相当な使い手だ」
「ああ。分かってるさ」
「ライカも飲みすぎるなよ。薬中で死ぬぜー」
「分かってるって」
クロと私は仕事に戻っていく。心を失った竜人の少女たちから、『不幸』を請け負うために。