第十話 最強
「なるほどね」
レインは煙草屋の前にあるベンチに座る。深く腰掛けると、買ったばかりの煙草のラッピングを雑に破り捨て、気持ちよさそうに一服する。
クロから状況を説明された彼の様子は、全く変わらない。ニコニコと重みのない表情が張り付いたままである。クロとは全く逆のタイプだ。クロは不器用で気持ちが顔に出ているタイプだが、この男は仮面を被っている不気味さが際立つ。
「で、犯人が知りたいから俺を訪ねたわけ?」
「そうだな」
レインの横に座るクロが、ぶっきらぼうに返答する。
煙を吐いたレインは、少し馬鹿にするように鼻で笑った。
「クロ助さあ、なに考えてるわけ」
「どういう意味だ」
「あの一家についての情報は事前にやったろうが。くわえて、今の話を聞けばおおよその検討はついてるはずだ。お前が見落とすわけがねえ。なぜ俺に会いに来た。助けを求めた」
「……」
「クロ助よお、お前は俺に『何を求めている』んだ?」
「……」
二人の様子を立って伺う私には、話の意味が全くわからない。ただ、クロの表情がどんどん凍っていくことだけは分かる。出会ったばかりの頃に、空虚な瞳がさらに虚しく戻っていくような気がした。
レインは私をチラリと見ると、大きなため息を吐いた。そして、低い声音でクロに向けて呟いた。
「今更なに人間ぶってんだよ。気持ちわりぃ」
「……」
クロは沈黙を返す。
レインは吸った煙をクロの右眼に吐きかける。包帯に滲むように煙がまとわりつくが、クロは表情一つ変えることはない。
「見せたくねえってか。あのエルフに」
「……かもしれない」
「お前は『不幸の請負人』だ。からっぽなんだよ。だから『不幸』を請け負えるんだ。お前はただ苦しみを引き取るだけの、その『右眼』の宿った人形に過ぎねえ。クロ助、初心に戻れ。あのエルフのせいでお前が使いにくくなったら困る」
「ああ」
「変われるとでも思ったか。お前は怪物だよ、ずっと」
じゅっと、クロの右眼を隠す包帯に煙草を押し付けた。
「ああ、そうだったな」
「二度とこんなクソめんどくさいことすん―――」
無意識だった。
気づいたら、私はレインの足元から大樹を生やして枝で喉元を締め上げてしまっていた。
勝手に、声が出る。
それは意思や気持ちを正確繊細に伝達する言葉ではなく、赤子が泣き叫ぶものに近い原始的な感情を伝えた。
「なんなの。不愉快だわ、あなた」
「がっ……!!」
喉元を枝でさらに締め上げる。
こいつの言葉は、気が狂うほどにイライラする。
「その男に恩がある。それなりに大事な人なのよ、私にとって」
「いい、よせ。フレイヤやめろ」
「無理。この男、さすがにイライラする」
クロの制止を振り切って、さらに暴力へと走りかけた。瞬間、レインを縛っていた大樹がバラバラに弾け飛ぶ。
炎のように膨れ上がったレインの魔力が、私の自然魔法を容易く破壊したのだ。
だが関係ない。
目の前で、あんな仕打ちだけは許せない。
「俺とやろうっての、フレイヤちゃん」
「黙れって言ったでしょ」
右手を横薙ぎに振るう。瞬間、大地から無数の巨木が豪雨となって生えていく。目を丸くしたレインは咄嗟に空へ跳躍した。
知っていた。
上に逃げるしかないことは、地を掌握した以上読んでいた。
「『ブレット』」
「っ、いやいやさすがにそんなことでき―――」
レインの声になど耳も傾けず、大地から空へ伸びていく大樹の群れの一本に手を添える。詠唱を唱えて、指先に集中させた魔力を大樹の針山地獄に流し込んでいく。
枝葉に満開の花が咲く。
一瞬で周囲を白い花々が満たしていき、それらは咲き乱れながら一枚一枚から魔力の光線を上空に放っていく。
千を超える魔力の光が、一点の獲物に向かって集中する。合流、着弾。激しい轟音で鼓膜が破れそうになるが、この程度で敵う相手でないことは肌身で理解していた。
「恐ろしいね。自然魔法ってのは」
渦を巻いていた。
雲を突き破り空に穴を開けた魔力の一撃、『ブレット』。生やした植物の生命力そのものを魔力とし、放出する大規模火力魔法である。どれほど強力な魔獣でも、今の一撃に倒れなかった者はいなかった。
対して、この仲介人。傷を一切負うことなく、自身を中心に膨大な魔力で渦を描くことで完璧に防御した。
「樹木の生命力そのものを魔力に変えて放出。魔法の解釈を広げたわけだ。生を付与できる自然魔法、言い換えれば生を魔力で付与できる魔法。付与した生命を持った大樹たちは言わば魔力そのもの。生命と魔力がイコールだという解釈ゆえの攻撃……。ただの魔法使いじゃここまでは扱えないだろう」
『ブレット』の使用により、生命を使い切った大樹たちが灰になって消えていく。もとに戻った大地へレインは降りてくると、続けて話しかけてきた。
「なによりも恐ろしいのは君が持つ魔法の才能かな。自然魔法だけでも脅威だが、使い手に『センス』があるとは厄介だね」
「謝って」
会話に応じるつもりはない。
ただ命令する。
「誰に? 何を?」
「彼に、さっきの物言いを」
「……」
きょとんとした顔になったレインは、本当に心の底から言葉を失ったようだった。
何言ってるんだ、こいつ。
そんな丸い目をにらみつけて、声を張り上げる。
「謝れっっっ!!」
「うわびっくりした。すっげえ剣幕。え、なに、さっきのあれで頭に血ぃ登ってるわけ」
「さっさと謝罪して。ツブすわよ」
「……」
レインはクロを一瞥する。クロは、街に被害が出るときのことを考えて、いつでも右眼を解放できるように集中している様子だった。
緊張した面持ちでこちらの様子を伺っている。私と目があった。静かに首を横に振ってくる。
「フレイヤ、やめろ。落ち着け」
それを無視して、レインを睨みつける。
まじまじと物色するように私のことを眺めていた。
「フレイヤちゃん、せっかく友達になれたと思ったのに。なんか残念だよ」
「いいから、謝れ」
「君さ、クロ助のことなんも知らないんでしょ。俺は君よりあいつのことよく知ってるよ」
「だからって、さっきの言動は看過できないわ」
「よっぽど大事なわけね、あんな『器』にしか過ぎない人間もどきが」
雑音を聞いた瞬間。
怒りは溢れかえって、殺意へと変貌した。
「『レフト』!!」
レインの足元の大地を真っ二つに割いてやる。周りの建造物の倒壊は防ぎつつ、しかし確実に巨大な穴を空けてやった。
「あは。すっげ」
「『ロンド』!!」
空けた穴底から雲をも突き破る大樹を伸ばす。レインを幹の中に巻き込んで全身が樹の中に埋まり見えなくなる。右拳を握りしめることで、大樹内の圧迫の力を制御する。
ぎゅっと私が硬く拳骨を作れば、それだけでレインは圧死する。怒りに任せて、感情に流されれば、それだけで終わる。
詰めの一手まで見えたからか、少しだけ頭の熱が冷めてきた。
左手で側頭部をバンバン叩き、深く深呼吸してみる。
「君さあ、魔法使いや魔術師との実践経験がほとんどないってまじ? めちゃくちゃ『殺し合い』のセンスあるよねー」
「……」
「ああ、なるほどね。この魔法、俺の生命力を奪っていくわけだ。やばいやばい、死んじゃうじゃん」
幹の中から響く声の通り、『ロンド』とは本来完全殺人のための魔法である。世界樹のように大きな大樹を生み出し、幹の中に対象を取り込み生命力を吸収する。当然、同様に魔力も養分として吸い取っていく。『ロンド』に取り込まれた者は、魔力も使えず生命力も失っていく。くわえて、幹の圧迫力も自由自在であり、抵抗できない状態で圧死させることもできる。
私が扱う魔法の中でも、三本指に入る殺人魔法である。
「さっさと謝って。死ぬわよ」
「ああ、分かるよ。これ禁忌魔法じゃないの。エグすぎるんだけど」
大樹の枝葉に蕾が宿っていく。神々しく光り輝き、どんどん花が咲いていく。美しい景色とは裏腹に、レインの生命力と魔力を奪うことで花を咲かせていくのだ。
この大樹が満開の花を咲かせた時、レインは死ぬ。
ほとんどの花が咲き広がる。空を覆ってしまう巨大な白花の天蓋は、目も眩むような輝きを放った。
しかし。
「前回の大悪魔アルシエル戦のときは、逃亡のために使っていたみたいだけど、本来はこうやって扱う魔法なんだね」
「……なぜ、まだ喋れるの」
「ん、ああ。まあ俺強いからね。しかしここまで追い詰められたのはクロ助以来だよ。ちょっと本気出さないとかな」
幹の中から響いた声に恐怖はない。焦りもない。まだ絶対の余裕があることを示す、相変わらずの軽薄そうな声だった。
バキバキバキバキ、と『ロンド』の大樹にひびが走っていく。
ありえない。魔力も生命力も強制的に支配する『ロンド』の中で、何をしたらそんなことができるのか。
思わず殺すつもりで右拳を握り締めた。
しまった、と反射的に手を緩めてしまう。『ロンド』の拘束を破られつつある状況に恐怖してしまった。つい圧死させる勢いで拳を握り締めてしまった。
殺すつもりはなかった。
思わず『ロンド』の拘束を完全に緩めてしまった。
「あちゃー、素人が出たね。優しいくせにこんなことするなよ」
「え」
バリバリバリ!! と、大樹を中から引き裂いて飛び出てきたレインが、目の前に堂々と立っていた。
両手をポケットに突っ込んで、口角をいやらしく曲げて見下ろしてきている。
「興味を持ったよ。君に。俺に勝ったら謝ってもいい」
「っ、言われなくても―――」
「『結界魔術』」
ゾクリ、と背筋が寒くなる。
何かが来る。自分の力ではどうしようもない、天地が崩れるような災害が。
動けない。
レインの微笑を見上げたまま、死刑宣告を聞いた。
「『ゼロ』」
「え」
なんだろう、これは。
闇に飲まれる。レインの背中からどす黒い闇のカーテンが広がり、私を飲み込んでくる。
死ぬ。
本気でそう思った、瞬間だった。
カーテンがバラバラに砕け散っていく。驚いたような顔でレインは振り返り、口を引き裂いて獰猛に笑っていた。
視線の先には、俯いて表情の見えない請負人がいる。
「クロ助。俺の結界術まで喰らうか。化け物め」
「レイン。よしてくれないか。フレイヤに戦う意志はもうない」
死を感じた緊張と、そこから逃れた緩和。思わず地面に座り込んでしまった私は、まばたきも忘れてクロを見つめていた。
「俺はフレイヤちゃんに殺されかけたんだぜ。殺してもいい権利がある」
「悪かったよ。俺が安易にお前さんを頼った責任だ」
「幾年ぶりに本気でやりあえそうだったんだぜ。ワクワクが収まらねえよ」
「フレイヤはただの魔法使いだ。そこまで面白いことにはならんよ」
「いいや。気づいてんだろ。この子、一瞬だが確かに俺を追い詰めた。この俺を」
「……」
「俺が魔法使いだったら、俺はもう死んでる」
「……頼む。フレイヤを狙わないでくれ。どこか静かに暮らせる場所を見つけるまで、俺はその子を任されたんだ」
「嫌だと言ったら」
「言ったろ。俺は多分、お前さんを殺す」
レインはじっとクロを無表情に見つめていた。そして、道端で死にかけている小動物でも見つけたように私に視線を向けた。
膝を折って座り、私の目線に合わせてくる。
伝わってくる殺気に、息を忘れる。
「フレイヤちゃん」
「……な、に」
生唾を飲み込んだ。
感情の読めない冷たい目を前に、喉が干上がって仕方ない。
心臓がうるさい。死にたくないと叫ぶように、激しい鼓動する。
レインが右手を上げた。そのまま私の頭に添えてくる。
(殺され―――)
「フレイヤちゃん、ごーかく!!」
「え……?」
ポンポンと頭を叩いてくる。テストで満点を取った生徒にでもするように、少し力のこもった掌で頭を撫でられた。
遠くでは、クロが安堵したようにため息を吐いて座り込んでいた。
「いやーすごいねフレイヤちゃん、強い強い。クロ助と一緒でも全然死にそうにないね。御荷物にもならないし、なんならクロ助働きやすいんじゃない。だから殺さないよ、許す!! あとクロ助への接し方はごめんなさい、君の前ですることじゃなかったよ。謝る。てか謝らないと俺あいつに殺されそうだし、まじごめん」
「あ、え……?」
「ぶっちゃけ、君の自然魔法のことを知った時は危なそうだから殺しておこうかなと思ったんだけど、集落で育っていた頃から自然魔法による死傷者はゼロ。ああ、こないだの禁忌魔法暴走事件は除いてね。むしろ農作業活性化に尽力していたそうじゃない。くわえて、今マジギレプンプン殺し合いやったけどさ、きちんと周りに死傷者出ないように気を配って戦ってたでしょ。君、全然危険じゃないや。自然魔法をきちんと扱いきれてる」
レインは立ち上がって、本当にホッとしたような笑みを浮かべた。
「何より、俺を殺すことを躊躇した。死を感じている状況でも殺人を躊躇った。よかったね。優しくて魔法の『センス』があってさ」
「う、うん……?」
「さっさとクロ助と帰りなよー。これ全部俺のせいってことにしとくから。また軍の支給金減るよなー最悪」
「ぐ、軍?」
「うん」
ぎゅっと握手される。
レインは無邪気に笑って、こう言った。
「俺、ラティオス国軍魔術師連隊壱番隊隊長、レイン・フェルナンド。この国で一番強い、『最強の魔術師』やってるから。よろ」