物語の始まり
戦隊ヒーローをいつまで応援していたかなんてのは断じて修学旅行中のバスの中で話す話ではないのだが、そんな話をしている前の席の男子二人にちょっとだけ羨ましく思いながら私は水筒に入れたコーヒーを飲んでいた。もし私がこの話をするのなら題はプリキュアに変わっていたのだろうか。いやそもそも私はステッキやら時計やら、はたまたブレスレットで変身し物理法則を無視したふざけた顔の怪獣の存在と戦う、同じく無茶苦茶でカラフルな彼ら彼女らを最初から信じてなどいなかった。
だからこそ、そんな話をには加われないと分かっているし特に話に加わりたいととも思わない。私はまた初めてしまった無駄な思考を右の方に追いやり、足元のバッグから無造作にスマホを取り出した。6桁の暗証番号は特に意味の無い数字で確か誕生日とか出席番号とかそこら辺の番号だったと思う。私は白熱する馬鹿な男どもの話を横耳にネット小説を読み出した。スライムに転生する話とか貴族の次男に転生する話とか蜘蛛に転生する話とか…転生転生転生、全くいい加減世の大人たちには現実と向き合って欲しいものだ。とか思いながらも私は適当にスクロールし転生タグの付いたランキング360位くらいの小説をタップした。時に話を戻すのだが別に私は7歳くらいでプリキュアショーを見て現実とのギャップを思い知らされたわけでもなければ声優の結婚報道を見て中身を知ってしまったわけでもない。むしろ小学三年生くらいまではわざわざ早起きして日曜朝8時にテレビをつけるくらいだったのだから、何が今の私にこんなめんどくさい性格を植え付けたのか甚だ疑問である。小学四年生、教師からは3日に1度のペースで上級生の仲間入りだなんだと口うるさく言われていた。多分あの言葉を言われるようになってきた頃から私はそう熱心に特撮を見なくなっていたように思う。あの言葉がなければ、あの無慈悲な大人にるなどという、どこから来たかも分からない責任と罰を受けなければ、ほんの少しだけでも少年少女の心は死ななかったのではと思ったりして過去に憂鬱を感じてみたりしてみる。…ふむ?ちょっと巻き戻そう。憂鬱を感じずどこか腑に落ちないので、かすかな記憶を手繰り寄せてみると小学三年生の私は既に1人の時間が多かったしある程度現実の非情さは知っていたように思える。家にはほとんど帰ってこずたまに帰ってくるとしても夜にしか顔を合わせなかった母親、自分の黒ずんだ消しゴムを見ながら匂い付きのいちごの消しゴムを見せびらかしてきた友達。そんな環境で特撮ヒーローにワクワクドキドキしているのはそれはそれで不気味だ。きっと本当は知っていたのだ、でも知りたくも無かった。私はどこか、そんな現実を変えてくれる、私の生活をワクワクドキドキしたものに変えてくれる魔法を欲していた。非情な現実を知りながらそれの存在を肯定するために子供という言い訳を使ってまでして。
だからなんだと言う話でしかないこの考えはまた右の方に追いやることにして私は手元の小説に意識を移した。前の席では先程以上に男子二人が白熱している。全く羨ましいね。なんでそんなに他人の思考を傾けることが出来るのか。次こそ彼らの渦に飲まれまいと私はバスの窓を開けて風に当たった。うん、とても気持ちがいい。さっきまでの鬱な気持ちが嘘のようだ。
これなら前の雑音も無視できる。
小説の内容は主人公が修学旅行中のバスで事故にあって異世界で吸血鬼に転生する話らしい。棺桶から出てくると主人公は周りにある血溜りに反射した自分を見て絶叫し、ショックを受けた主人公は自分を見なくなるよう血溜まりの血を飲み干し、さらにそこで謎の光と共に進化する…と。うんうん、なるほどね。一つだけいいだろうか、少なくとも転生ものなんだから生まれるところから始めくちゃ。これじゃ転生というより入れ替わりじゃない。1話目から地雷の予感がするよ…まあ、私には1度読み始めたら絶対に最後まで読むという掟があるので途中で投げ出したりはしないのだが。
「……さん……シ……ね?」
という訳で読み進めるのだがこの森を結局この主人公はどうしたいんだ!と言うかキャラクターの意識以前に日本語がおかしい。
「……さん……シ……ね???」
なんだ後で後悔するって何が私は嘘つきなの(はーと)だ。キャラクターがブレブレなんだよ
「……さん」
ああもううるさいっ。今私のツッコミがいい所なのに
「さっきから死ね死ねってうるさいんだけどもしかして私に言ってるの?」
どうやら私に死ねと言ってきていたのは前の男子のうち窓側に座っていた方の男子だった。器用にも鼻でペンを回しながら......はぁ?
「違う違う、いや、話しかけてるのは僕なんだけど窓にくっついてるカブトムシとってくんね?って言ったの」
未だこちらを見ず鼻でペンを回す男子は左手を上げて銃の形にするとすぐ左横の窓を指した。そこには確かにカブトムシがくっ付いていた。とってくんね?馴れ馴れしいやつだな。私の認識が正しければこの男子と私は初対面のはずなのだが。それにしてもカブトムシがなんでバスに。
ああ、そういえば今は阿蘇山か。
バスの進む道がだんだん上に向いているのが耳の張りで分かる。
「…いいよ」
私は謎の気迫に押されてしまい、了承して窓に少しだけ身を乗り出した。別に無駄にイケメンな男子からたのまれからやってあげてもいいかなと思ったわけでは、決してない。てか阿蘇山ってカブトムシいるの?
「ありがとう!……さん」
少年のようにキラキラしたお前は本当に高校生なのか?私は少しだけカブトムシから目を離し男子の方を見てそんなことを思う。目線を戻すとカブトムシは少し上にのぼっていた。いやいや、どうしてこんなツルッツルの窓の上をまるで木の上かのように登れるのかね。私は少しづつ身を乗り出し捕まえようとする。するとまたカブトも5センチ、5センチと上に上がっていくでは無いか。
ぐぬぬ、往生際の悪いカブトだ。毎回あと少しというところで逃げられる。私はまた少し乗り出そうとしたのだがどうやらこれがもう限界のようでこれ以上体を出すにはシートベルトを外すしかないらしい。ええい、ここまで来たらもう取るしかないと私はシートベルトをすぐに付け直すつもりで外し体を乗り出した。この時私はまだ、自分が徐々に隘路に追いやられていることなど知る由もなかった。
「ほっ!とれたーーーー…え?」
その時である、山道を登っていたバスは突如起きた落石に急停止した。それも右にくねった道を行っている最中に。そして私たちの座っている座席は左側。そう、言わずもがな、体を乗り出していた私は急停止した反動と右ハンドルの遠心力で窓から放り出されたのだ。頭を下にして…
異世界転生なんてのは私自身、現実に魔法を信じられなくなった可哀想な大人達が生み出した特撮の代替品なんて事は分かっているのだが、それでも消えかけている少年のような心の最後の灯火を繋いでくれたジャンルだと勝手に納得している。子供の頃は現実の魔法を信じ、そして大人になってそれが信じられなくなると死という未知の向こう側に転生という魔法を見出すのだ。だから私は別に転生なんてものが存在しなくても人々の幼心の受け皿になる転生というジャンルはそう悪くないと思うのだが…いやいや、まさか本当に転生するなんて誰が分かっただろうか。私は死に際に全く薄れない意識に確かな確信を持ちながらその暗闇に身を投じた。
『転生者ヴァルに対し世界の言葉が望みを問います。』
は?バ↓ル↑?誰やねん!私には……という大事な名前が、いやこれはバルさんに対しての問いでつまり私では無いということか。そうだよな、多分、きっと、十中八九そうに違いない。で、世界の言葉?これは某スライムとか某蜘蛛の異世界転生と同じ類というわけかね。だったらそうだな。おーいバルさんとやらー早く願いを言った方がいいですよーっ、多分私の知ってる通りなら今は大賢者とか炎熱耐性とか貰えますからー。
『転生者ヴァルの返答が確認できません。記憶よりオートモードに移行し変換を行います。』
オートモード?何を言って…っていだあ゛あああああああい!頭があ゛ああああああああぁぁぁッ!うおおおおおおおおあおおおおあ、ふざけんなあ゛あぁぁぁぁ!
『オートモード終了、記憶のステータス化が行われた際の変換率は直近から109.9.9.9.60.9.3となっています。』
うるさいッ!ていうかやっぱりバ↑ル↓って私の事かい。違いますー私の名前は……ですーだ。全く使えないシステムだな、人の名前くらい間違えないで欲しいね。
『…』
おっと、どうやらそんな事を考えている場合では無いらしい徐々に私の意識が暗闇からフェーズアウトしていくのが分かる。本当に転生しちゃうんだ。私は今度こそ薄れゆく意識の中かすかに聞こえる無機質野郎の愚痴を聞きながら新生へと旅立った。
『来世ではマシンガントークを控え、人の話を聞くことを推奨します。』
…余計なお世話である。私はその言葉に少しだけ傷ついた。