三話 祈り
「いったい、なんなんですか!?」
そう声を荒げるのは侍女のマリアンだ。
あのあと、後見人のケドリックは、フィリアの爵位継承権を主張した。リガーレ公爵家では精霊術師が生まれれば精霊術師に、生まれなければ嫡男に爵位が継承される。
つまり、父親が縁を切られていようとリガーレの血が流れているフィリアにも継承権が発生するのだ。
まだアリスティアが精霊と契約できるかも確定していない。精霊術師になれるかは精霊の意思に依存する。
そのため、フィリアを無碍に追い返すこともできないのだ。
「公爵さまも公爵さまです!」
自室に戻り、マリアンに事情を説明してからずっとこの様子である。
「あの二人を追い返さないなんてお嬢さまを信じていないと言っているようなものじゃ……ぁ。で、出過ぎた発言でした。申し訳ありません」
「いいのよ。フィリア令嬢はたしかにリガーレの血を引いているもの。これは帝国に関わることだし、お父さまにも強引に帰らせるなんてできないわ」
とはいえ、手放しで歓迎することはできない。万が一にもフィリアが精霊と契約するようなことがあれば、アリスティアの地位は一気に転落してしまう。
「けれど、いくらなんでもフィリアさまを別邸に住まわせるなんて」
「お父さまが決めたことよ」
代わりに怒ってくれるマリアンをいさめ、アリスティアは静かに息を吐く。いくらアリスティアが抗議したところで、決定したことはもう変わらない。
それならアリスティアは、これまでと同じように精霊術師になるための努力を惜しまないだけだ。
マリアンは渋々といった様子で納得してくれた。
「このタイミングでおばあさまに連絡を取るのは……きっと悪手ね」
現精霊術師でありアリスティアの祖母であるシルビア・リガーレ。帝国の唯一の称号を持つ彼女の所在を知っているものは、片手で数えられるほどしかいないだろう。
身の安全を考えてのことだ。アリスティアもアイザックに許可を取り、連絡してもらうしか手段がない。
会いに行く際は窓の外が見えないようになっている馬車を使い、毎回、移動時間もずらされている。距離から推測し、特定できないようにする徹底ぶりなのだ。
「どうしてですか?」
「私が焦っていると思われかねないもの。堂々としていなければ付け込まれる隙を与えるだけよ」
アリスティアは立ち上がる。
「どちらへ行かれますか?」
「お祈りよ」
「すぐに準備します」
マリアンはクローゼットの一角にしまわれている白いキトンを取り出してくる。それから馬車の手配をさせ、アリスティアはある場所へと向かった。
公爵家の裏手にある森。心ばかりに整備された道を行くと、透き通る泉が迎えてくれる。木々の間から光が差し、水面を輝かせている光景は神秘的だ。
アリスティアは馬車の中でキトンに着替え、裸足になった。
「リーファス卿。もういいですよ」
マリアンが声をかけると、おずおずとリーファスが木陰から出てくる。
泉へ赴くときは御者の代わりとしてリーファスが手綱を引いている。大人数で来るような場所でもなく、万が一のことを考えて騎士を同行させているのだ。
「それじゃあ、静かにしていてね」
アリスティアは足の指先を静かに泉に入れる。水温はかなり低く、冷たさを帯びた一枚の布は容赦なく肌へと張りつく。
泉の中心で、アリスティアは膝をついた。ちょうど胸元当たりの水深だ。
胸の前で指を組み、瞑目する。
「――」
木の葉の擦れる音、波紋が広がる水面、差し込む光芒。あたりを包むような静けさに、祈りを捧げるアリスティアを見守る二人が息を呑む。
毎日、この姿を見ているというのに。女神が降臨したのではと錯覚してしまうほどに美しい。
世界と一体化すかのようにアリスティアは意識を、精神を研ぎ澄ませた。閉じた視界は暗くとも、自身の周りに淡い輝きたちが飛んでいるのがわかる。
淡く発光する小さな存在。その正体は準精霊だ。準精霊は精霊と違って意識を持たない。ただそこに存在し、けれど親和力の低いものには目にも映らず、親和力の高いものしか姿形を捉えられないのだ。
準精霊は親和力のあるものの傍におり、互いに親和力を高めながら、精霊として開花する瞬間を待っている。
「――ふぅ」
祈りを終え、ぱち、とアリスティアは目を開ける。そして傍に漂う準精霊たちに笑いかけた。心なしか労ってくれているような気がする。
この準精霊たちが開花したとき、自分と契約してくれるかはわからない。もしかしたら、あまり考えたくはないがフィリアを選ぶ可能性だってある。
だが、アリスティアはなんとしてでも自分の手を取ってもらうつもりだ。
「横やりが入ろうと関係ないわ。精霊術師になるのは、私よ」
そのために今日まで、これからだって努力し続けるのだから。
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