二十一話 ナトラ帝国の建国神話
リーファスは恐る恐る本棚から本を抜き出した。中身を確認していいものかと逡巡の末、開かずに腕の上に積み上げる。
ちらりと視線を彷徨わせれば、フィリアが同じく本を手に取っていた。ぺらぺらとその場でめくり、お気に召さなかったのか全てに目を通す前に棚へ戻している。
金色の髪に金色の瞳。公爵家の人間だと説明されれば、誰だって納得する容姿だろう。リーファスも見かけたとき、思わず息を呑んでしまった。それこそアリスティアと生き別れの姉妹だと言われたなら、受け入れていたとも思う。
「違う……これも、きっと違う……」
ぼそぼそと気がはやるような声が耳に届く。
窺うように見ていると、ふいにこちらを向いた金色の瞳と目が合った。
「リーファスは書斎に入ったことがあるかしら?」
「以前にも、何度か入ったことがあります」
「じゃあ、珍しい本とか知らない? それこそ……禁書とか」
リーファスはぎょっとするが、顔には出さない。ぐ、と表情を殺す。
「存じ上げません」
「そうよね……あ」
俯きかけたフィリアの顔がぱっと上がる。目で追うようにきょろきょろと動き、またリーファスを向いた。
「探してほしい本があるの」
「なんでしょうか?」
「ブロンネージュの本よ」
「ブロンネージュ王国の、なにについての本でしょうか」
フィリアは一瞬、ぴたりと動きを止めた。
「なんでもいいわ。見つけたら手当たり次第持ってきてちょうだい」
「承知いたしました」
無理難題を言う。しかし、リーファスに拒否権はない。ここは都の図書館ではなく、一屋敷の書斎にすぎないのだ。
ナトラ帝国や精霊についての本だけならまだしも、王国について書かれたものなどあるのだろうか。
ナトラ帝国の北に位置する王国ブロンネージュ。一年のほとんどが雪に覆われる地形だが、資源が豊富な国である。
帝国とは戦をしたこともなく、むしろ近隣国の中では仲がいい国だ。だが、帝国からすれば受け入れがたい信仰がある。
それは妖精を悪とせず、精霊と同列に語ることだ。
ナトラ帝国において妖精は悪である。その理由は建国時に遡り、今となっては建国神話となって広まっている。
昔々、尊い血筋の子が忽然と姿を消した。子を亡くした母を哀れに思い連れ去ったのが、この地に住んでいた妖精だった。
見つけ出したのは精霊とその精霊と親和力の高い民であった。
以来、ナトラ帝国では妖精は悪しき魂、精霊は善き魂とされている。
この建国神話に登場する『精霊と親和力の高い民』こそ、リガーレの祖先である。だから決して、リガーレの地位は揺るがない。危ぶまれるときが来たとすれば、国が傾くときだろう。
「リーファス、見つけたかしら?」
「まだ見つけられておりません」
本棚の向こうから声がかけられ、リーファスは返事をする。
背表紙を読み落とさないように目を凝らした。本棚には目印がなく、一つの棚に置かれている本の系統もばらばらだ。場所を知っていなければ、目的の本を探すのにも苦労する。
「……」
以前、アリスティアが言っていたことを思い出す。この書斎で本を探したいのなら、その本を探そうとしてはだめだと。意味を理解できず真意を尋ねれば、「いたずら好きな精霊が隠してしまうのよ」と楽しそうに教えてくれた。
それを試してみるが、やはりブロンネージュの本は見つからない。考えないようにすればするほど、リーファスは考えてしまっているからだ。
リーファスは眉間を指で押さえ、深く息を吐く。深く吐きすぎて、ふらついてしまった。
「あっ」
ふらついた拍子に本棚に肩が触れた。
「え?」
本が一冊、己を主張するかのように飛び出していた。
「いや、まさか」
手に取り、ぱらぱらと捲る。本から頭を遠ざけながら、薄目で見る。リーファスなりの配慮であるが、中身を読めている点で全く意味がない。
「どうかしたの?」
「ちゃんとは読めていませんが、ブロンネージュについて書かれていると思います」
リーファスが渡すと、フィリアは目を通した。次第に口角は上がり、目が輝いていくのがわかる。
こういうところは年相応に子供らしいとも思う。
「私はしばらくこれを読んでいるから、好きにしていて」
アリスティアに不利になるようなことをしてしまったのではないかと不安になるが、拒むこともできない。
それならばせめて、見張っていよう。壮年の騎士に忠告もあるのだから。
リーファスは気配を消し、そっとフィリアの後ろに控えた。絵や図が書かれている。字は小さく、読むことは難しい。
中盤にさしかかったところで、フィリアの手が止まった。その横顔、唇が僅かに震える。
――アーティファクト。
たしかにそう動いたのを、リーファスは見逃さなかった。
がた、とフィリアが席を立つ。すぐ後ろにいたリーファスに目を丸くしたが、すぐに表情を整える。
「部屋に戻るわ」
廊下に出て、ふと窓の向こうを眺めたフィリアが呟いた。
「今夜は、満月ね」
まだ青い空に、丸い月が薄っすらと浮かんでいた。