一話 天性の才
父親譲りの金色の髪に母親譲りの碧眼。十六年前、両親の美しい特徴を一身にアリスティア・リガーレは公爵家に生を受けた。
リガーレ公爵家ははるか昔より、ナトラ帝国に多大な功績を残している家門である。リガーレ公爵家の地位は決して揺るがない。その理由の一つ。リガーレの血筋を引き継いだ女性が生まれ持つとされる、ある天性が起因している。
「――」
渡り廊下を歩いていたアリスティアは、練武場で剣の稽古をしている騎士たちを横目に見た。
それからすぐにはっと目を見開き、声を上げる。
「手を離して!」
叫ぶような甲高い声に、鍛錬していた騎士たちは手に持っていたものを一斉に離した。それは真剣や木剣であったり、ぶら下がっていた棍棒であったり。色んなものが地面へと落下した。
「お、お嬢さま。どうなされましたか?」
真っ先に前へ出てきたのは、昨年に第二騎士団の副団長に就任した茶髪の男性、リーファス・グレイだ。彼は二十九歳の若さで栄光を手にした実力者だが、性格が控えめなところがある。
大層な肩書を持っているというのに分不相応に委縮しているようで、目上の人間と話すときには若干、猫背になる癖があった。
「少し、いいかしら」
つかつかと躊躇うことなく歩みを進めるアリスティアに騎士たちは頭を下げた。
「急に大声を出しちゃって申し訳ないわね」
「いえ」
「ねえ。あの木の棒を取ってくれるかしら?」
アリスティアが指さしたのは、ぶら下がって握力や筋力を鍛える棍棒だ。組んだ金属棒に棍棒を乗せただけの簡単な器具である。
「承知しました」
今しがた鍛錬していた騎士がアリスティアにそれを渡す。ぎゅ、ぎゅ、と幾度と握るアリスティアを、騎士たちは固唾を飲んで見守る。
それから端と端を両手に持ち、ぐ、と力を入れた。
「えっ!?」
ばき、と潔いほどの音がした。
人の腕の太さもある棍棒が、十六歳の少女の手によって軽々とへし折られてしまったのだ。騎士たちは目をむき、あんぐりと口を開けた。
「これ、耐久力がまるでなくなっているわ。あのままぶら下がり続けていたら、あなたはきっと地面に落ちていたと思うの」
衝撃から抜け切れていない騎士たちを見て、アリスティアはきょとんとする。そしてあることに気づき、慌てて弁明を始めた。
「あ、こ、これはその! ちが……う、ことはない、けどっ。でも、危なかったのは本当よ!? 本当にこの木の棒は、とてもじゃないけどあなたを支え続けることはできないほどに……」
必死に捲し立てるアリスティアの様子に、誰かが耐えきれずに笑い声を漏らした。それは連鎖するように広がり、練武場は笑いに包まれた。
アリスティアは自分が棍棒を易々とへし折るような怪力だと思われたと勘違いし、顔が真っ赤になってしまう。
「この場にお嬢さまを疑うものはおりませんよ。お嬢さまは次代の精霊術師であり、我々の主君なのですから」
リガーレの血筋を引く女性はみな、この地に住む精霊との親和力が高い。
精霊とはすなわち自然そのもの。万物の根源とされる存在だ。
精霊と心を通わせれば、おとぎ話に出てくる魔法のような自然的な力を使うことができるとも言い伝えられている。
「お嬢さまのおかげで騎士が一人、余計な傷を負うことを回避できました。これからは備品にもより気を遣うことを約束いたします」
「じゃ、じゃあ私はこれで」
アリスティアはそそくさとその場を立ち去った。ひと気のない場所までやってきて、ふう、と一息つく。熱くなった頬を冷ますようにぱたぱたと手で仰ぐ。
それからぱっと周囲を見回して、アリスティアは礼を述べた。
「おかげで誰も怪我をしなくてすんだわ」
アリスティアの周りで蛍の光のような、淡く発光するなにかがふよふよと宙を漂った。様々な色の輝き。つかず離れず、それらは常にアリスティアの傍にいる。
「お嬢さま! お嬢さま!」
人の声に反応し、輝きたちはぱっとアリスティアの背後に逃げ隠れた。
「そんなに慌ててどうしたの? マリアン」
夜のように深い黒髪を揺らし、侍女服に身を包んだ女性が駆け寄ってくる。アリスティアの専属侍女であるマリアンだ。
だが、どうも様子がおかしい。黒瞳は見開かれ、その顔には焦燥が乗っていた。
「至急とのことで公爵さまが……お呼びです」
ごくりと唾を飲み込んだマリアンは、神妙な面持ちで告げる。
いつになく険しい表情に、アリスティアは心の底をかきたてられるような不安を覚えた。
なぜ、とこの場で尋ねる時間も惜しい。アリスティアは探しに来てくれたマリアンへ手短に返事をし、公爵の元へ急いだ。