十八話 足音
「ランドルフ、片づけは終わったかしら?」
「はい。最後の一冊残すことなく、しまいました」
「そう。それじゃあ……入ってこないわね」
アリスティアはてっきりフィリアたちが書斎に入ってくると思っていたのだが、扉は一向に開けられない。
「通りすぎたようです」
「焦りすぎたわね」
「なにを読まれていたか伺っても?」
「過去に存在していた精霊術師の日記よ。あまり気持ちのいいものではなかったけれど」
「邪魔は入らないようですので、もう一度じっくり読まれてはいかがでしょうか」
アリスティアは振り返る。
「だめね。もうどこにあるかわからないもの」
「失礼」
よほど興味が引かれているようだ。無関心だったランドルフが積極的に知ろうとしている。
あれだけ斬新な装丁だったのだ。見落とすはずもなく、そもそもしまった本が消えるなどあるわけがない。
アリスティアの背後の棚をくまなく探していたランドルフが、怪訝な顔をする。
「ね?」
「どういうことだ」
素が出てきている。ぽつりと呟かれた声には驚きが含まれていた。
「精霊術師の……それがたとえ素質があるだけの人の日記であろうと、精霊術師でない私たちはそれを読むことすら難しいのよ。読もうとすれば精霊の意思によって、のらりくらりと避けられるの」
「ではなぜ、私は見つけられたのでしょうか?」
「それはランドルフが日記を見つけようとしていなかったからよ。私は以前に日記を読んだことがあるの。だからそれに意識を持っていかれて絶対に見つけられないと思ったから……無関心なあなたにお願いしたのよ」
十年ほど前、日記を見つけたのは偶然だった。たまたま手に取ったのが、百五十年前の精霊術師の日記だ。そのときはじっくり読むことができたのだが、それ以来、アリスティアはさっぱり日記を探し出すことができなくなった。
祖母に尋ねれば、先ほどランドルフに教えたことを説明されたのだ。ここに来るたびになんとか探し出せないかと試行錯誤した結果、なにも知らないものに任せればいいと悟った。
ただし、相手は信用できるものでなくてはならない。予定ではリーファスに頼む予定だったが、護衛騎士にはならなかった。
ランドルフに頼むかも迷ったが、口数も少なく面倒ごとを嫌う。そんなランドルフは適任だと思った。
「おかげで日記を読むことができたわ」
「役に立てたのなら幸いです」
まだきょろきょろと本棚を見ているあたり、もう頼むことはできないだろう。その分、他のところで役に立ってもらうつもりだ。
「ところで、どうしてリーファスとフィリア令嬢だと思ったの? 姿は見ていないのよね?」
「足音でわかります」
「足音?」
ランドルフは首を縦に振る。
「リーファスはなるべく足音が立たないような、慎重に歩きます。フィリアお嬢さまは堂々と、突き進むような足音に聞こえます」
思い返してみたが、足音など覚えていない。
「じゃあ、私はどんな足音に聞こえるの?」
「お嬢さまは規則正しい足音に思います。ですが、感情が大きくなった場合には乱れているかと」
アリスティアは感心したようにランドルフを見る。それが正解かは判別つけられないが、正しいのではないかと思った。
公爵の娘としての矜持があるし、常に人に見られ、様々な視線を注がれる立場でもある。よく見せようと歩いているのはたしかだ。
「ランドルフは耳がいいのね」
「近づいてくるのが敵か味方か、すぐに判断せねばなりませんから」
「じゃあ、足音がない場合はどうするの? ほら、忍び足みたいに、足音を立てないように歩かれたら?」
「殺気を感じ取ります」
「殺気って、感じ取れるものなの?」
アリスティアは首を傾げる。
「雰囲気が違う。息遣いが荒い、または静か。挙動における機微。ありとあらゆる、普段と異なる些細なものから感じ取れるように訓練しております」
「剣や弓腕を磨いているだけだと思っていたわ。勉強不足ね」
「お嬢さまは知らなくていいことですから」
「いいえ。いずれ私はお父さまのあとを継いで公爵になるのよ。私が知らなくていいことなんてないわ」
斜め後ろを歩いていたランドルフの足音が止まる。アリスティアが振り返ると、ランドルフは深く頭を下げていた。
「申し訳ありません」
「え?」
なぜ謝られているのかわからず、目を丸くする。
「浅はかで愚かな発言でした」
アリスティアの許しを得るまで頭は上げない。ランドルフは姿勢を崩すことなく体勢を保っていた。
「頭を上げてちょうだい。私は怒っても気にしてもいないから。それでも悪いと思うなら、ここにいる間だけ私の手足となってもらうわ」
「仰せの通りに」
ランドルフはようやく前を見た。
「行きましょうか」
アリスティアが再び歩き始めると、ランドルフもついてくる。
耳を澄ませてみれば、ランドルフの足音は大きい。歩幅を合わせてくれているのだろう。ゆっくりと、はっきりとした音が耳に入る。
後ろに控える彼の姿は視界に入らない。けれど、たしかにそこにいるのだと、安心させるような。
わざと響かせているのだとアリスティアは思った。