十四話 試合
どくどくと心臓が早鐘を打っている。これほどまでに心臓が大きく暴れたのは、戦場で人を抱えて走ったとき以来だ。
頭上に上がる太陽にじりじりと身を焼かれながら、リーファスは視線の先で体をほぐしている壮年の騎士を見た。
短く整えられている白髪に、見るもの全て射殺さんばかりに鋭い三白眼。目を凝らすと頬や額には傷痕が見受けられた。
まさに、歴戦の戦士という風貌だ。
身につけられた濃紺の鎧はここからでもわかるほど重厚感がある。実際、彼が足を上げるたびに地響きが聞こえてきそうなくらいで。
しかも、手にしている槍はランドルフの身長の二倍あるかないかほどの長さがある。柄の部分は木製で、しなるほどの柔らかさはない。
槍頭は石だろうか。灰色の三角錐状のそれは、研がれているというよりも削ったと形容したほうがいい。鋭利ではないが、突かれたら間違いなく肌が青くなるだろう。
「ランドルフ殿。このような機会を設けてくださりありがとうございます」
「閣下からの命だ」
だから仕方がない。と言わんばかりの渋い面持ちだ。心底面倒くさいという感情を隠そうともしていない。
「本当に真剣でよろしいのでしょうか」
「あ?」
ドスの効いたしゃがれ声に、リーファスは生唾を飲む。
「若造が粋がってんじゃねぇぞ」
鋭い眼光に凄まれる。
リーファスは今年で二十九になる歳だ。第二騎士団の副団長にまでなり、そろそろ若者扱いされなくなってきていたが、第一騎士団の年齢層と比べればリーファスなどまだまだ雛同然なのだろう。
最初はちらほらいただけの見物人が、準備運動の間に多くの野次馬に増えていた。第一と第二関係なく、警護などの任務がない騎士たちが集まっているようだ。
「勝敗の確認を」
審判としての役割を担ってくれている騎士が声を張る。ざわついていた野次馬たちの声がぴたりと止んだ。
「相手の意識を奪う。戦意を喪失、すなわち投了を宣言させる。試合の終了はこの二点に限る。が、怪我を負い、今後の任務に支障をきたしそうになった場合は私から止めよう」
「わかりました」
ランドルフは答えない。しかし、それを了承と捉え、リーファスの反応を確認した審判は高く手を挙げた。
「それでは」
ランドルフが体を横に向け、槍を構えた。向けられた槍頭に、リーファスも抜刀で答える。
「始め!」
審判の手が下がった瞬間、ランドルフが踏み込んだ。
突っ込んでくる槍をリーファスは剣の背面で弾き返す。それから反撃しようと踏み出そうとした足が止まった。止まるどころか、後ろに押されていた。
「っく!?」
前後に動かされる槍をいなそうとするも追いつかない。リーファスは後退を余儀なくされるが、それでも胴に何発かを受けてしまう。
「ぐ、ぅ……っ」
剣と槍とでは、間合いがまるで違う。槍頭よりも内に入れば刃が届くと思っていた。しかし、近づくことすら許されない現状に、リーファスは震える。
痛みに耐えるリーファスと息も荒げないランドルフ。
猛獣の王者のような風格をまとうこの男には、勝てない。一太刀も振るうことなく、それを理解してしまった。
「はあっ……は、っ……」
リーファスは今一度、剣を構える。折れずに立ち向かおうとする姿に、周りから歓声が上がった。
「さっさと諦めりゃあいいもんを」
ランドルフが腰を低く落とす。
力の差は歴然だというのに、面倒だと思っているくせに、適当で嗜めるような試合にしないでくれることを感謝する。
「は!」
一歩でも近づこうものなら目まぐるしいほどの突きに跳ね返される。
腕を、腹を、腰を、激しく打たれた。鈍い痛みを感じる前に、もう次の猛攻が来ている。ランドルフの調子が上がってきたのか、リーファスの調子が下がっているのか。胴を打つ回数が増えていく。
「ふ、う!」
避けようと後ろに下がろうとするリーファスの体が、がくんと沈む。柄で足を払われたのだ。尻もちをつき、急いで体を起こそうとするリーファスの胸に槍頭が当てられる。
「終わりでいいか?」
気だるげなしゃがれ声が、鼓膜を撫でる。
涼しい顔をしたランドルフに対し、みなの目にリーファスは満身創痍に映っているだろう。実際、そうだ。この短時間で息が上がり、足元はおぼつかず、腕が下がりつつある。
しかし、ここで審判に止められたくはない。中断されて、みっともなく怪我の心配などされたくはない。
だから、柄にもなく、叫んでいた。
「っ……まだ、気を失っておりません!」
リーファスは槍頭に近い柄を掴み、横にずらす。リーファスという壁がなくなった槍は地面に刺さり、ランドルフも僅かに前のめりになる。
これを逃せばもう好機はない。リーファスは這うような体勢から立て直し、かいくぐり、剣の先を喉元に――、
「ぁ……ぅぐあ!」
強引に前に進んだリーファスの肩から首にかけ、槍がぶつけられた。なにが起きたのかもわからず、リーファスの体は宙に浮く。浮いて、回って、落ちた。
「青ぇな」
痛みと苦しさで声も出ない。悲鳴を上げる余裕もない。砂埃の向こうから生死を確認しにやってくる男の輪郭がぼやけていく。
ランドルフが槍を持ち上げ、堅い柄で首元を殴りつけられたのだと、意識を飛ばす寸前にして、ようやく気がついた。
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