十三話 これくらいは
疑問も解消され、執務室に沈黙が生まれる。
フィリアは部屋に入ってからというもの、一言も発していない。先日の一件が相当こたえたようだ。
「みな、出発の日までに準備しておくように」
三人は部屋を出る。
「緊張しました」
リーファスが深く息を吐いた。
「ね、言ったでしょう?」
「早速、ランドルフ殿の元へ行ってまいります」
猫背だった背がまっすぐになっていた。
軽くなった足取りで向かうリーファスを見送り、部屋へ戻ろうとしたところをフィリアに呼び止められる。
「おばあさまって、どんな方かしら。アリスティア、教えてくれる?」
フィリアはにこりと笑みを浮かべる。
フィリアが祖母のことを『おばあさま』と呼んでもおかしくはない。実際、祖母と孫の関係なのだから。
けれど、それがアリスティアにとってはどうにも不快に感じた。顔には出さない。思うだけにとどめる。
「そうね、穏やかな人よ」
アリスティアはフィリアに先手を取られることが多い。挑発されるときも陥れられようとするときも、いつだってフィリアからしかけてきている。
「それに」
だから、これくらいは許されるだろう。
「喧騒を嫌う人でもあるわ。だからくれぐれも、あの日のように騒ぎを起こしてはだめよ?」
「なっ」
フィリアは顔を歪める。
「あれはあなたが大ごとにしたんじゃない!」
「仕方ないじゃない。大ごとだったんだから。公爵閣下の判断が間違っているとでも言いたいの?」
「それは……っ」
アリスティアが諭すように言うと、フィリアは悔しそうに唇を噛む。
ここは別邸ではなく本邸で、執務室からそう遠くはない場所だ。どこで誰が耳を澄ませているかわからない。
「自分の非を認めないなんて往生際が悪いわ。謹慎したにも関わらず、なにも反省していないのね。ここは公爵家で、あなたの家ではないの。フィリア令嬢に合わせていたら、培ってきた秩序が乱れてしまうのよ」
フィリアは顔を俯かせ、体を抱くようにドレスの袖を掴んだ。
金色の瞳がじろりと向けられ、アリスティアはそれを真っ向から見返した。
「余裕綽々でいられるのも今のうちよ。精霊術師になるのは私なんだから」
「残念だけど、それは精霊しか知らないわ」
「ケドリックおじさまが言ってたわ。あなたは公爵家の一人娘だから持ち上げられているだけだって。私こそが精霊術師に相応しいと」
アリスティアは眉をひそめる。
「それは侮辱と捉えられてもおかしくないわよ」
「事実よ」
フィリアは顎を引き、口元を歪めた。
「世間はリガーレの血を引くものをアリスティアしか知らなかったから。あなたが精霊術師になると信じて疑わなかったようだけど、今はどうかしら?」
たしかに、フィリアが精霊術師の素質と爵位継承権を主張してから風向きは変わったかもしれない。けれどそれは、一過性の嵐にすぎないとアリスティアは考える。
「――あなたって、可哀想な人ね」
「なんですって!?」
フィリアは目を見開き、ぎゅっと体を強張らせた。手のひらに爪が食い込みそうなほど手が強く握られている。
「あなたはダンベルク侯爵から教えられるまで、リガーレの人間だと知らなかったそうじゃない。あなたのお父さまがどうして絶縁されて、そしてあなたが今までどんな立場で生活していたかは知らないけれど……」
アリスティアの碧い瞳に、激昂するフィリアが映る。
「持ち上げられているのは、どっちかしら?」
かっとフィリアの顔が赤くなる。
「何度も言うけれど、決めるのは世間でも陛下でも、あなたでもないわ」
アリスティアはすっとフィリアの横を通り抜ける。
「おばあさまや精霊に失礼がないように、ちゃんと勉強しておくことね」
「ふざけないで……っ」
フィリアの足音が遠ざかっていくのが聞こえる。アリスティアは、はあ、とため息をついた。
「少し、むきになっちゃったわね」
誰に言うでもなく呟く。淡い輝き――準精霊がふわふわとアリスティアの顔の周りを漂った。
「ふふ。慰めてくれているの? それとも、労わっているのかしら?」
準精霊に意識はないが、意思がある。
アリスティアに嬉しいことがあればともに喜んだり、辛いことがあればともに悲しんだり。準精霊も感情が豊かなのだとアリスティアは思う。
そしてなにより、危険を知らせてくれることが大いに助かっていた。合図を出すようにちかちかと発光し、それに伴い、アリスティアは不安に襲われるのだ。心がざわついて、もどかしく感じることもある。
「もしあなたたちが開花したら、私の手を取ってくれるかしら」
思わず、不安が口から零れ落ちる。あれほど強気なフィリアを見ていれば、少しばかり自信を失ってしまう。
フィリアが現れるまで思ってみなかったこと。
――もし私を選んでくれなかったら、お父さまやみんなは――。
「弱気になってはだめね。まずはおばあさまと話をしなくちゃ」
考えないようにすればするほど、意識は持っていかれてしまう。ふるふると頭を振ると、準精霊たちは寄り添うようにして辺りを漂った。