九話 同じ穴の狢
華やかな会場に似合わず、あたりが凍りついたようにしんとしている。ライラに至っては泣き出してしまいそうなほどで。
そんな空気を切り裂くように、ジェイドが話し出す。
「アリスティア令嬢とライラ令嬢は大丈夫でしょうか?」
先ほど、飛び散った破片などは侍女たちが掃除をしていった。
「私は大丈夫です」
「わ、私もなんともありません!」
ジェイドは頬に手を添え、ふう、とため息をついた。
「少し考えごとをしておりまして……怪我がなくて本当によかったですわ」
「なにを考えていたか伺っても?」
「それは……両親のことを考えていましたの。ご存じかもしれませんが、ランカスター家は昔より商売を生業しております。最近では成功を妬み、邪魔をしてくる方もいらっしゃるとか」
ジェイドは困ったように眉を下げる。
「酷い人たちがいるんですね」
「ええ。やはり由緒正しい血筋でなければ余裕を持てず、浅ましく短慮な考えに至ってしまうのかもしれませんね」
寄り添おうとしたライラは口元を小さく引きつらせる。
ジェイドが誰のことを言っているのか、アリスティアはすぐに理解した。
ランカスター伯爵家とローレンス伯爵家。どちらも商家だ。だが、この二家には決定的な違いがある。
ランカスター家は元より貴族。帝国内でもいち早く外国との貿易を開始し、今代まで成功を収め続けている。近々、侯爵位を取得するのではないかという噂もあるくらいだ。
たいして、ローレンス家は二十年前まで爵位を持たない庶民であった。だが、爵位を賜ったエミールの父の才覚は相当なもので、一代にして富を築き上げた。
商会を立ち上げてから最も早く、他国からの輸入品を皇室に流通させ、その名を轟かせたのだ。
由緒正しきランカスターと成金貴族のローレンス。陰でそう揶揄され、二家は並べられている。ランカスターからすれば、比べられることなど屈辱以外の何物でもないだろうが。
「アリスティア令嬢もそう思いませんか?」
ジェイドは薄っすらと微笑み、同意を求める。
なにを言いたいのか、言わせたいのか。手に取るようにわかった。きっと、ジェイドはアリスティアを同じ穴の狢とでも思っているのだろう。
「お待たせいたしました」
アリスティアが答える前にエミールが戻ってきた。ドレスも着替え、靴も履き替えている。
「申し訳ありませが、体調が優れないので本日のサロンは終了にさせていただきますね。みなさま、お気をつけてお帰りください」
「お招きいただきありがとうございました」
アリスティアは形だけの礼を述べ、伯爵家をあとにする。ジェイドは何事もなかったかのように振舞い、ライラは終始おどおどしていた。
「いかがでしたか?」
帰りの馬車。向かいに座るマリアンに聞かれ、アリスティアは少し考える。
人伝に聞いていたことではあるが、実際に目の当たりにし、エミールとジェイドの仲は修復できないほどに悪いと確信する。
「努力もせずに得ようとするなんて、それこそ浅はかね」
ぼそりと呟いたアリスティアにマリアンが不思議そうな顔をする。
「よからぬことが起きなければいいけど」
エミールとジェイドの共通点は多い。
一つ、伯爵位の父を持つ。二つ、商品を皇室に流通させる商家の生まれ。三つ、うら若く整った顔立ちの女性。
皇太子妃の候補として、もちろんジェイドの名も挙がっていた。しかし実際に選ばれたのは見下していたはずのエミールで。
皇帝陛下の意向としては権力のバランスをとるという意味でも、ローレンスを選ぶほうが、都合がよかったのだろう。
それがジェイドとエミールの、決定的な軋轢を生むことになったのだが。
自信満々だったに違いないジェイドのショックや屈辱は相当なものだっただろう。
「マリアンはいじめられていないかしら?」
「は、え?」
思ってもいなかった質問にマリアンは目を丸くする。
「ほら、マリアンが私の侍女になった経歴は少し特殊じゃない? 少し、心配になっちゃったの」
マリアンがアリスティアの侍女になったのは五年前のことだ。短くも長くも思える期間。だが、信頼関係を結ぶには十分な時間だとアリスティアは思っている。
「公爵さまの推薦がありましたから、不自由することはありませんでした。むしろ、掃除や洗濯のできなかった私に、他の方々が懇意に教えていただいたことを感謝しています」
「また、矢をつがえたいとは思わないかしら?」
マリアンは目を見張り、驚いた顔をする。膝の上に乗せていた手が僅かに動いた。
「この腕と肺では無理でしょう」
右肩をさすり、自身の胸元を見下ろすマリアン。
「弓を引くことしか知らなかった私はもう、それ以外のことを知り、覚えもしています。それに今は、お嬢さまの傍にいられることがなによりの幸せなんです」
目を伏せ、脳裏になにかを思い浮かべているマリアンは、本当に幸せそうな顔をしており、なにも言えなくなった。
あまりにそんな表情をしているから、怪我したことすらよかったと思っているのではないかと、アリスティアは少しの心配ごとが増えてしまった。