7.動物園の蜘蛛
「おはよー! 櫂くん!」
翌日、午前十一時。昴は予告通りスカートで家から出てきた。
スカートは予想通りというか、俺の期待するほどは短くなかった。よく考えたらスカートの私服姿なんて小学生時代は一度も見たことがないので、ここ数年で買ったのだろう。膝よりは多少上、上品なデザインのスカートから、すらりとした眩しい太ももが少し見える。
あくまで見た目の話を客観的に評価すると、ものすごく可愛かった。
俺は張り切って一番ダサい服を着てきたのに、こんなのと一緒に歩いたら問答無用で俺のほうが奴隷に見える感じじゃないか。
「櫂くん、そのへんちくりんな柄のシャツ、似合うね!」
手持ちの中で一番へんちくりんなシャツ、褒められる。
このシャツは中学のころ、家出中にアジア雑貨の店で買った。なんでこんなの買ったのか自分でもわからない代物で、スイカと雪だるまの模様が付いている。誰が見てもとてもへんちくりんな、赤い半袖シャツだ。
「櫂くんの顔とへんちくりん感がよく似合ってるよ!」
手持ちで一番ダサいと思ったシャツをお似合いと褒められた俺は喜べばいいんだろうか。
「あ、ねぇ、結局どこになったんだっけ? 動物園だっけ?」
「……もうそこでいーよ!!」
「わあい! やったー!」
結局昨夜は決まらなかった。ふざけていたら遅くなったので諦めて寝た。あまりに動物園推しがしつこいので、もうどこでもよくなり、そうすることにした。
六月の休日。幸い雨にも降られず、心地よい風が吹いていて、いろいろ面倒なことを忘れれば動物園日和だった。門をくぐると昴が急いでるかのように園内マップを広げてチェックする。
「キリンとゾウは外せないよね。櫂くん見たいのある?」
「……べーつーにないでーす」
「じゃあ行こう! あ、シャトルバス乗って奥まで行ってから帰り道でいろいろ見ていくと効率もいいね!」
「お前人の話聞く気ないだろ!」
昴は「はい」と言って手を差し出してくる。
「なにこれ」
「手を繋いで行こう」
「なんで!」
「なんでって……デートでしょ? そういう命令だったと思うけど」
ろくな承諾も取らずに速やかにガッチリと手が繋がれた。たしかに言った。俺はなぜかこいつをデートに誘った覚えがある。全部雲井が悪い。
「……デートだけどさぁあ……」
「櫂くんなに怒ってるの?」
お前が……無駄に可愛いことに……腹を立てているのだ!!
張り切った昴に先導されて移動した先には、ゾウが見えた。しかし、こちらに尻を向けていた。顔はよく見えない。
でかい。なんか尻がでかい。飯を催促でもしてるのか唐突に吠える声もでかい。鉄がきしんだような悲鳴だ。
「櫂くん、ゾウ、大きいねー!」
「お前は昔からいつもそれしか言わないな……」
「え、だって、すごい大きくない? 大きいよね。大きいなぁ」
「成績いいのに……それしか出ないなんて……バカだろ」
思わず笑うと、昴は目を丸くしてきょとんとしていたけれど、やがてつられたように笑った。
しばらくゾウの尻を見てそこを離れて、キリンに行く途中通りすがりの虎を見た。
……写真みたいだ。写真じゃなければ屏風に描いてある感じの絵。デジタルの情報に慣れすぎていると本物を見た時の感想が鈍る。
それでも、虎は俺のイメージよりは優雅で強そうだった。
「櫂くんは、虎っぽいよね」
「えっ、どこがだよ……」
どこが!? 自分で言うのもなんだけど、もうちょっと……ナマケモノとかのが近くないか。
「えー……か、かっきょいいところ?」
どもった上に噛みやがって……信憑性薄れるわ。思わず目を細めて睨んだ。
「あとなんか……根底に飢えた感じとかも!」
「急に生々しくなったな……」
「写真撮っていい?」
「撮れば?」
てっきり虎のことかと思ったら昴は「よし、櫂くんと虎ー」とか言いながらスマホを構え写真をぱしゃりと撮った。思わず真顔でレンズを見た。
「はい今度は笑ってー」
え、まだ撮るの?
昴は呑気な声音に反して表情が真剣だ。
カシャ。カシャ。カシャ。枚数、多くないか?
「今度はちょっと右向いて」
「も、もういいだろ……」
パシャパシャパシャ。今度は連写してやがる。
「ダメ、今度は虎があっち向いちゃったし」
通りすがりの人間がちらりと見ていく。
もう駄目だ。
「お、おい……代われよ!」
「えっ」
「えっ、じゃねえよ! どっからどう見ても被写体はお前のほうだろうが! 恥ずかしいだろ」
「私、ぜんぜん恥ずかしくないよ!」
「俺が恥ずかしいんだよ! たとえば猫が地味なハゲリーマンのおっさんの写真撮ってたらおかしいだろ!? それ逆だろって思うだろ?!」
人前で美少女に写真を撮られる金髪のふてくされた男の気持ちにもなれというものだ。
「えぇーまだあと三十枚くらい欲しい……欲しい……欲しい」
小さなエコーのようなつぶやき付きで嘆かれた。
「いいからそこに直れえい!!」
「う……はあい」
時代劇ばりに叫び昴を移動させ、直立を促すと俺は自分のスマホを構え、写真を撮った。
なぜ俺は写真など撮っているのかと一瞬思ったけれど、とりあえず何枚か適当に撮った。昴のほうもまだちょっとしょんぼりしているのか、小さく唇を尖らせた、写真に写るのはどうでもよさそうな顔をしている。どうせだから変な顔の写真を撮ってやる。
むちゃくちゃ可愛いのが撮れた。
思わず自分が名カメラマンかと錯覚しそうになるできばえだった。ていうか何枚撮っても、どの角度からでも可愛い。なにこの人。人外? いや、虎のほうがたまに間抜けな顔になってる瞬間もあったので、もはや化け物である。この写真、どこかで売れるんじゃないか。
「……撮れたー?」
本人の、やる気のなさを隠そうともしない声だけが状況にそぐわない。
「すいませーん。写真お願いできますかー」
俺がたった今撮った写真を眺めているうちに妙な動きをしている女がいる……! 昴は通りすがりの人にさっと声をかけてさっとスマホを渡していた。
「櫂くん櫂くん! 隣に来て」
苦々しい顔で少し離れた隣に並ぶと、忍者みたいな動きでさささと距離を詰めてきた。
「ありがとうございましたー」
昴がスマホを受け取って、撮ってもらった写真を俺にも送りつけてくる。さきほどとは違って、えらくうれしそうな笑顔の昴が写っていた。顔は可愛い。あと、やたら悪目立ちする位置に邪魔なのがいると思ったら俺だった。
昴を見るとニヤニヤ笑いながらスマホの画面をスライドさせて自分で撮った写真を見ていた。
「櫂くんの写真……たくさん撮れた」
「そんなに撮って、なにに使うんだよ……」
そう言って昴の顔を見ると、頬を赤くしてきょろきょろした目で、俺を見上げた。
「櫂くんのえっち! そ、そんなことに使うわけないじゃん!」
「いやお前なに考えたんだよ! スケベは間違いなくお前だ!」
こいつは最近美少女優等生のふりをしているが、実際は思ったよりくだらないことを考えていることが多い気がする……。そこら辺は小学生の時と変わっていない。
「ねぇ、小学生の頃、一回だけ二人で来たの、覚えてる?」
「覚えてない」
即答したが、本当は、覚えている。
昴の誕生日に、一度だけ来ていた。
当時、小六の子どもだけで入るのはかなりの冒険だったから記憶に残りやすい。
観た動物の感想を述べたりしながら一日中園内を駆けまわった日の記憶はわりと鮮烈だ。
暑い日に、ゾウと、虎と、キリンと、カンガルーと、なんかいろいろ見た。今となっては前世の幻みたいな思い出だ。
昴が「お腹減ったね」と言って昼食を取ることにした。近くの売店にはカレーやうどん、唐揚げとポテトのセット、動物の形を模したお弁当などがメニューになっている。
「私、オムライスにする!」
「……俺も」
ライオンの形を模したオムライスを買って、外のテーブルと椅子に腰掛ける。
食べててなんとなく思い出す。
そういえば前に来たときにも同じように、ここのオムライスを食べたような気がする。
ただ、目の前でスプーンを持つ女は成長していて、つい昨日の地続きで、あのころの感覚はさほど思い出せない。よく知らない誰かのようにも見えた。けれど、この女は俺の幼馴染みと同じ記憶をもっている。妙な感覚が交差していた。
ゆるい風が吹き、昴のなびいた髪の毛が唇に数本張り付いて、彼女の指先が少し不快そうにそれを取り除けた。なんてことない仕草なのに、白くて細い指先と綺麗な爪と、やわらかそうな唇は妙に生々しかった。
なんでこの女は俺なんかと出かけてるんだろ……。あぁ、俺が命令したんだっけ。なんで命令したんだっけ。
「あっ、櫂くん、頭に……」
「えっ」
「でっかいクモ」
「ぎゃー!!」
「すごーい! 結構大きめだよ」
「取ってくれ……! 取って……!」
俺はそこら辺の女並みに虫は苦手なのだ。
昴のほうはそこそこ古い家に住んでいて、裏手に緑が豊富なエリアが隣接していたから家にムカデが出たから逃したとか言って笑っているようなやつだった。
「おお……変わってないんだねぇ」
「早くとって、とって!」
「いいよお。これくらい」
昴はくすくす笑いながらそれをひょいとつまみあげて、逃した。なんだこいつカッコいい。不覚にもときめいてしまった。
「これくらい、いつでも、とってあげるよ」
「ど、どうも……」
「ねえ、櫂くん。私といたら、ずっと、いつでも櫂くんについた虫取ってあげるよ」
「なんのセールスだよ」
「口説いてるんだよ。わからない?」
昴はすごく楽しそうな屈託のない笑顔でくすくす笑って言う。
口説き文句としてはまったくもって効かないし、どうかと思う。こいつは見た目は成長しているのに、やっぱり中身には知ったアホが住んでいる気がする。
だから、なんだか力が抜けて、笑ってしまう。
「そんな口説き文句、聞いたこともねえわ……」
それで、最初に腹を立ててた理由だとか、忘れそうになるから非常にまずい。