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5.Mな男


 明日河昴が俺の奴隷になったことは、ほどなくして学校中に広まった。昴が隠していないから当たり前だ。おかげで俺まで変態みたいになってしまった。


 授業も終わり、あとは帰るだけだがなんとなくさっさと体が動かない。

 教室の後ろの席で頬杖をついて思うさまメランコリックをしていたとき、同じクラスの男子生徒が声をかけてきた。


 最近頭の色を派手な金にした異端者の俺に声をかけてくるやつはいなかった。この高校には土地柄と気風から真面目なやつが多い。だから悪目立ちしても俺に絡んでくるやつもいなかった。せいぜい白い目で見られてヒソヒソされるぐらい。

 なのでこれはとても珍しいことと言える。おまけにそいつは敵意も害意も感じられないごく普通の表情をしていた。


 ごく普通に俺の席の前に来て、ごく普通に要件を切り出した。


「なぁ、木嶋。お前が二組の明日河さんの奴隷って本当か?」


 訂正。ごく普通の用件ではなさそう。


「……どこでそんな間違った情報つかんだんだよ。ドッスン」


「ドッスン?」


「どう見てもドッスンだろ……」


 このドッスンというのは今即席でつけたあだなだ。体がでかくて、体全体が岩でできているようなガッチリした風態から付けた。


「俺は雲井くもいだ。ドッスンはともかくとしてだな……」


 雲井、あだなには無頓着。


「お前が明日河さんの奴隷って本当なのか?」


「逆だよ……明日河が俺の奴隷なんだよ」


「えっ、お前そういう趣味なのか?」


「そういうって」


「いや、Sなの? てっきり俺の同類かと思ったのに」


「お前の同類って……」


 雲井はその質問には答えず、さわやかに、ニカッと笑った。


「いやあ、はは。俺も明日河さんの奴隷にしてもらえないかなぁと思ってな」


「……お前そういう趣味なのか」


「可愛い子限定だけどな。……踏まれたくなるんだよ」


 恥ずかしげのかけらもなく、堂々とハキハキと言い放つその姿はいっそ清々しい。俺もつられて清々しいくらい、引いた。


「……雲井くん、ちょっと、近寄らないでもらえる?」


「なんでだよ。あ、明日河さんだ……」


「おーい! 櫂くーん、ちょっと来て!」


 明日河が教室の後ろの扉のところに来ていて、大きく手を振っているのでそこまで行った。


「私今日遅くなりそうなんだけど、待っててくれる?」


「えー……俺もう帰るとこ……なんか用事あんの?」


「ないけど……一緒に帰ろうよ」


「だって遅くなるんだろ」


「うん。結構……なるかな」


「俺帰る」


「あ! 櫂くん、そのシャツ、今すぐ脱いで!」


「は、なんで?」


「ほら、ここのボタンとれそう。つけてあげるから、脱いで。ちゃっちゃとほら、はい」


「おい、ひっぱるなよ」


「早く脱いでよ。その、かったるそうなポーズが時間の無駄だから。そんな頭の色して恥じらいとかないでしょ。はい」


 昴はさりげなく人の頭の色をディスりながら、ぷつ、ぷつ、ぷつ、と俺のシャツのボタンを外す。くるんと回転させられて、鮮やかにすみやかに半裸にされた。


「これ、人質……シャツ質だからね。先に帰ったらこの子がひどいことになるよ」


 昴は言いながら俺のシャツを抱きしめた。


「おい、嗅ぐな!」


「えへへ。櫂くんの匂いがするー」


「やめろ! やめろ!」


「ボタンできたら持ってくるから、ちゃんといい子で待ってるんだよ。絶対だよ!」


 昴はちゃきちゃきした口調でそれだけ言うと、こちらにはものも言わせず立ち去った。


 しかたなく半裸で席に戻る。難しい顔で座ってじっと様子を見ていた雲井がおもむろに口を開く。


「……やっぱりどう見てもお前のほうが奴隷じゃないのか?」


「バカを言うな! よく見てたか? 奴隷のボタンつけるやつなんていないだろ!」


「ボタンはともかく……権威が著しく低い。プレイ内容的にも……お前が下僕」


「プレイ言うな! 下僕じゃなくて奴隷だっての」


「スマン、そこは間違えた……。そうだよな、役職は正確に言わないとな。お前が奴隷」


「そうそう俺が奴隷……ってそうじゃねえよ!」


「木嶋、お前……寒くないのか?」


「肌寒い……」


「やっぱ奴隷だな。ご主人様の命令で半裸待機とか、最高だな!」


「最低だっての!」


 俺はMでもなんでもない。なんでこんなことに。

 しかたないので裸の上にブレザーを着た。

 結構変態感ある。どうあがいてもどちらにいっても変態。


「いいなぁ……」


 ドMの雲井が呟いた。絶対になにか誤解をしている。


「なぁ、俺は奴隷じゃないからな……」


「なんでそんな美味しいことになったんだ?」


「あー……それはだな……」


 雲井にものすごく雑に説明した。

 俺と昴は元は幼馴染みで、奴隷になれと言ったら軽いノリで奴隷になったこと。


「……どう聞いても最初にそんなお願いをしたお前のほうが変態だな」


「最初は冗談ていうか……まさか本当に承諾するとは思わなかったんだよ!」


「いいな。美少女に命令し放題か……」


「なんも楽しくねえよ」


「いやいやそんなわけないだろ」


「だってなんか思いつくか? 雲井ならどうする」


「はあ?」


「だから、奴隷にしたとして……」


 雲井が真顔で答えた。


「俺か? ……足を舐めさせてもらう……とか」


「お前心底キモいな。だからそういうのは駄目なんだって……」


「奴隷はいいのに?」


「はりきって奴隷やるって来るけど……エロ関係の命令は却下される」


「性的なものが排除されてたら……女子に頼みたいことなんて……正直……なにもないじゃないか」


 なんて正直なやつだ。しかし、悲しいまでにそこは同意するしかない。


「もうあとは取れたボタンをつけてもらうとかしかないじゃないか……」


「……」


「あ、明日河さんなら、勉強教えてもらったりもできるぞ」


「うーん、俺はあいつとは縁を切りたい。そういうひどい命令しかしたくない」


 そう言うと、雲井は目を丸くした。


「なんでまた……。お前、ブサイクじゃないけどガラが悪い人相だし、女子への気づかいが一切ない顔だからこの学校じゃモテないだろ。あんな美少女に言い寄られてるなら素直に喜べよ」


「地顔のことはほっとけ! その、寄られたら俺が当然のように喜ぶべきみたいな空気がすでにムカつくんだよ! それに俺はあいつのペースに乗せられるのは負けるようで気に食わない」


「いやお前……話聞いてると現時点で乗せられまくって惨敗してるじゃないか……このままなしくずしに付き合うのも時間の問題だぞ」


「なんてこと言うんだよ……やめろ」


 そうなのか。俺は……あんなやつとは縁を切るとかいって息巻いてたくせに、向こうから好意的に話しかけられたらほいほいと仲良くするような情けないやつになってしまうのか。

 しかもあんな……鼻からうどん食えるとか大騒ぎしていたやつに……ちょっと美少女優等生になったからって、俺があいつに付き合ってもらえてよかったね、みたいな空気になるのか。絶対いやだ。


「俺としても学校のアイドルの明日河さんがお前のようなやつと付き合うのは本意ではない。よし、お前が嫌われてふられるように一考を案じてやろう」


「その言いかた、はてしなくムカつくが試しに言ってみろ」


「うーん。デートしてもらうのはどうだろう」


「は? そんなのノーパンデートとかしか思いつかんし……性的なものが排除された嫌がらせ行動が思いつかんわ」


「いや、木嶋、真面目な話、お前とデートするなんて、それだけで十分嫌がらせだと思うぞ。がんばれよ。やってみろよ」


「さらっととんでもなく失礼なこと言うな! あいつなに言っても嫌がらないんだよ! だから困ってるんだよ」


 そう言うと雲井は難しい顔で考え込んだ。


「いや、俺の友達は初デートの段取りが悪くて嫌われて振られたらしいぞ。あと、相手の苦手な場所に連れていって振られたやつもいる。つまり……モテない男が一緒にどこかへ行くと女は嫌ってくるということだ……お前にはその素養がきっとたくさんあるはずだ」


「なんだその身も蓋もない嫌われかた……」


「そう言わずに試してみろよ。デートはほかにも私服がダサいからとか、割り勘を提案したら振られたとか、緊張して腹具合が悪くなってトイレにばかり駆け込み振られるだとか、多種多様な例がぞくぞく報告されてるぞ」


 モテない男はデートしただけで嫌われるのか……。腹も壊せない。恐ろしい世界だ。だが、実例まで出されて熱弁されるとそんな気がしてくる。


「よし、いろいろ試してみよう」


「うん。がんばれ」


 話がまとまったところで昴がシャツを持って戻ってきた。


「櫂くん、思ったより早く終わったよ。帰ろ」


「よし行け、木嶋」


 友達に告白の後押しをされる女子中学生みたいな構図になって不本意だが、決めたらすぐ行動が俺のモットーだ。半裸ブレザーで意気揚々と昴のもとへ向かう。


「明日河……」


「うん?」


 多少警戒した表情になった。それだけでとっても気持ちいい。


「俺と……デートしろ」


「……えっ」


 困った顔をしていた昴の頬がぱあっと綻んで、たちまち満面の笑顔になった。


「え、わあー! やったぁあ! ねぇ、どこ行くの? いつ行く? 明日? あ、もう取り消しちゃ駄目だよ! 行こうね! わあい! やったあ!」


 飛び跳ねんばかりの喜びように雲井の細い目の奥も白目がちになり固まった。


 昴がちょっと落ち着いた顔で、首をかしげて俺を見る。


「あ、下着は履いていくからね」


「…………許可する」


「やったー!」


「お前のゲス思考……だいぶ読まれてるな」


 そう言われるとめっちゃ悔しい。ていうか許可なんておりなくても絶対履いてくるくせに。なにかひとつくらい命令したくなる。


「……ス、スカート!」


「ん?」


「手持ちのもので……一番短いスカートで来い!」


 昴はきょとんとしたあと、視線を上げて考えた。


「可愛いのあったかなぁ……なにと合わせれば……」


 虚空に視線をさまよわせ、どこかウットリした顔でブツブツ言っていた昴は思考がまとまったらしく、顔を上げて頷いた。


「ん、それくらいならいいよ」


 あっさりと了承されてしまった。

 よく考えたら手持ちのものなんて、自分の選んだものなので、十分履ける範囲のものだし命令としては破壊力が弱かったかもしれない。下手したら制服のスカートより長いのかも。でもいい。そこは我慢する。命令できたから自尊心が少し落ち着いた。


 背後から雲井がスッと手前に出た。


「ところで、明日河さん、俺をあなたの奴隷にしてくださいませんか」


 なにが「ところで」だ。それまだ諦めてなかったのか。紳士な感じに言っても変態は変態。


「ごめんなさい。私、櫂くんの奴隷だから」


 昴が上品に、にっこり笑って速攻で断った。

 なんだこのおぞましいやりとり。


「いいんです。念のため聞いてみただけですから」


 雲井も内容にそぐわないやたらとさわやかな笑顔で応えた。

 口調といい、表情といい、さっきまでの俺に対するものとまったく違う。誰だお前。なにが念のためだ。


「櫂くん帰ろう。早くシャツ着なよ。そんな格好でなにしてるの……変態みたいだよ」


「誰が脱がしたんだよ!」


 昴は目の前にくると、俺がひとつ止めていたシャツのボタンの残りを手早くとめた。手先も器用。至近距離で昴の頭が顎の下にあって、そこからいい匂いがした。





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