34.見つけた先で
山頂へ続く道は明かりもなく薄暗かった。
昴の言う通り、舗装されたコンクリートではあった。だが、倒木、落石のあとがたくさんある荒れた道だった。
おそらく数年前の台風の影響で、それからずっと補修されずこの状態なのだろう。日が落ちてくると、うっそうとした感じは増す。
こんなところにいるんだろうか。昴どころか人なんてここには誰もいないような気がしてくる。
雨の音が聞こえる。体にビシャビシャ付くそれと、音がなぜだか一致しない。
こんなとこにいないだろうと思う気持ちと、ここしかないような気もしていた。
懐中電灯であたりを照らすが、雨で視界が悪く、広すぎてポイントを定められずにいた。どの辺まで行ってるのかわからないが、もう少し先なのかもしれない。
「あれ、櫂くん?」
間抜けな声が聞こえてそちらを見ると、少し先に探していたやつを見つけた。
昴は大きな樹の枝が傘になって、雨が当たりにくくなっている場所に、制服のままぽつんと座っていた。想像してたよりもだいぶ手前にいた。
見慣れた顔に、おそろしいくらいホッとした。
逃げられないよう、野生動物にするようにそちらにそうっと近づいたが、ここで走られると心底嫌なので声が届く位置で立ち止まった。
「こんなとこでなにやってんだよ」
「うん。気分転換だよ」
「……」
雨の音で声の端っこがかき消される。
「いろいろ、考えてた。お母さんのこと、お姉ちゃんのこと、お父さんのこと、櫂くんのことも……全部、ぜんぜんうまくいかないなぁって」
「……うん」
俺だってそうだ。思うようにいかないことだらけで、そのどれもが、どうにもできないことばかりだ。だからその鬱屈が手に取るようにわかってしまう。
どれも大人になればたいしたことではないのかもしれない。それでも膨れ上がったそれは、ずっと持ち歩いているわけにもいかない。
「昴、帰るぞ……風邪ひく」
「ちゃんと帰るよ。でも、もう少しだけここにいる。櫂くんは先帰ってて」
「あのさぁ……すっごい雨降ってるの、知ってるか?」
「さすがに知ってるよ」
ここまで来て、帰れと言われてほいほい帰るわけにもいかない。黙って少し離れた場所に突っ立っていた。
昴は知っていると言ったが、激しく降る雨にまるで気づいていないかのようにしゃべる。
「私、がんばってなんでもできる優等生になったつもりだったのに……結局欲しいものはなんにも手に入らなかったよ……」
「欲しいものって……」
「みんなが笑っている、普通の家……」
「……」
「でも、最近は……こっちが普通で、前のほうがおかしかった気がしてきてる……。お姉ちゃんが失敗しただけでこうなったのは……きっと今までお姉ちゃんひとりがずっと我慢してがんばることで平和が維持されてただけなのかもって……」
「……」
「それで、私にはたぶん、お姉ちゃんの代わりはできない。能力も足りないし……お姉ちゃんも……それは望んでない」
大きな音が鳴って、どこかに雷が落ちる音がした。
「すごいねぇ、雷」
「あぁ……」
「櫂くん、雷苦手だったよね。帰れば?」
「帰らない」
もう昔のことだ。今はあのころのようには怖くない。昴は昔からどんなに大きな音が鳴っても、けらけら笑っていた。
思い返せば、昴は俺がつまづく些細なこともすべて軽々とやっていた。俺が悔しがっても、そんなことは意に介さずにいつもヘラヘラニコニコしていた。あのころ、そんな能力差は関係のない世界にいた。今は違う。
素養だけじゃない。昴が家族のためにできることを全力でやっていたころ、俺はふてくされて暴れていただけだ。
その結果は目的に対して同じものだったとしても、積み重ねてきたものは、如実に人間の形を変えていく。
だから、なにを言っても届かない気がしてしまう。
「私、軽音部のお手伝いも……中途半端にやって結局迷惑かけちゃった。ぜんぜん駄目……結局自分がなにがやりたいのかも、わからない」
再会してからの昴はずっと、焦ってなにかを探しているように見えた。
ただ、なまじなにをやらせても器用にこなしてしまうのと、活動的で興味の幅が広いせいで、なかなかこれと決められないようだった。
せっかちで、すぐになにかを解決して得ようとする性格は、それが敵わないときに追い詰められやすいだろう。
「……て」
雨脚が強くなって、昴の小さな声がかきけされた。
黙っていると、立ち上がった昴が今度は雨に負けないような大きな声で叫ぶ。
「櫂くん、帰って! 帰れ! 関係ないんだから私のこと放っといて!」
「帰るかよ! お前、いくらなんでもいじけすぎだろが! ひとりで家出なんかしやがって!」
「うるさい! うるさい! 私にだっていじける資格はあるんだ! もういいから! 私、ひとりでなんでもできるし! 家出だって、ひとりでできるし!」
「意味がわかんねえよ!」
「私、櫂くんがいないときのほうが、ちゃんとうまくやれてた! だからもう関わらないで! どっか行って!」
俺がいないとき。それは中学時代のことだろう。あまり楽しそうではなかったと、さっき聞いたばかりのそのころ。
「俺は……中学時代より、今のほうがずっと楽しいよ」
「……」
「昴とも、また会えた」
小学生時代のように、憂いひとつなく、はしゃげるものではないけれど、それでも俺はもうあのころほど、どこにも行けない鬱屈を持て余してはいない。
それは肉体が成長して、薄い経験値を積み、少しずつ自由度が上がったからというのもあるだろう。
それから、昴とまた会えたこともある。
かつて完全になくしたと思っていたもの。形は少し変わってしまっていたけれど、確実に同じ記憶を共有していて、少し重なる部分で笑い合える。そんな懐かしい塊が戻ってきた。
昴が生きて、近くにいる。それだけで、それは大きな影響だった。
また少し雨脚が強まって、遠くの空が光った。
「……いい加減もう帰るぞ」
「嫌だってば! 櫂くんだけ帰ればいい!」
「まだ言ってんのかよ!」
「私も帰る! でも櫂くんとは絶対帰らないんだ! 先に帰って!」
「駄目だっての!」
「しつこいな! 帰ってよ! 私のこと……好きじゃないくせに!!」
「……んなわけ」
「……なに」
「んなわけねえだろうが!!」
こんなビッチャビチャの雨の中、いるかいないかもわからないのに、さびれた山になんか、本当は誰に頼まれたって俺は来たくない。どうでもよければすぐ帰れるのに。
「お前が……昴じゃなきゃ絶対こんなとこ来ねえんだよ!」
そのとき、雷がまた落ちて、爆音に声がかきけされた。
それがおさまると、唐突に雨が止んだ。
めりめり、というような妙な音が頭上からして、ほうけたような顔をしていた昴が顔を上げる。
そこまで大きな音ではないけれど音の幅がでかい。大きなものが、小さな音を立てて、ゆっくり動いているような音。
上を見上げると傾いて不安定に立っていた樹木の一本が、ひとつのきっかけで、支えを失い、倒れてきていた。頭上にその大きな影が見える。
その大きさゆえにスケール感がしっくりこなくて、昴と俺は一瞬だけ危機感なく見つめ合った。
日常に非日常な危険が突然降って湧いたことに、切り替えができなかったのだ。
危機感は、姿が近づいてやっとわいた。巨大なそれは鈍くて重い音を立てて、昴の立っている歩道に向けて倒れてくる。
こちらに引き返せばいいのか、そのまま進めばいいのか、ためらった昴が確認するように、救いを求めるようにこちらを見た。
途中スピードを増した大きな影が、一気にざっと降った。
俺がとっさにどう動いたのかは、自分でもきちんと把握していない。
昴のいるほうに走って、手を引いたのか、突き飛ばしたのか、それだってわからない。とにかく安全と見える方向に昴を追いやった。そして、その反動とでかい振動、足元にあった石でバランスを崩し、気がつくと俺は通路の向こう側に落ちていた。
暗い、夜の空が見えた。
落ちる途中、視界の端で、あと少しで昴に直撃する位置に黒い塊が落ちているのを見た。
運動神経も反射神経もよい昴のことだ。もしかしたら、余計なことをしなくても、ひょいと勝手に避けられたのかもしれない。だとしたらアホすぎる。
でも、万が一。万が一昴が死ぬようなことがあったら、後悔ではすまされない。たぶん、自分が死ぬほうがずっと楽だろう。




