30.ダンボールの化け物
文化祭が近づくにつれて、いよいよ昴との接触がなくなった。
これはおそらく昴の作戦でもなんでもなく、たまに見かけても常にクラスメイトやどこかの部活の人間が周りにいて、本気で忙しそうだった。
遠目に見かけるその表情は、真剣そのものではあったけれど、笑顔のない疲れたものだった。
なんでも真剣にやるのはいいことかもしれない。しかし、昴の場合なにがやりたいのかよくわかってないせいで、手当たり次第全力で、少しオーバーワークになっているようにも見えた。
六月までは同じ学校にいても、まったくの無関係だった。
今は、同じ校内にいるのに日に一度も顔を合わせないというのが、どこか不自然に感じられてしまう。
昴と関りなく過ごす日々は、今ではもう、少し物足りなく感じられた。けれど、存在感だけはずっと感じていた。
*
文化祭前日の放課後、廊下で急ぎ足にどこかに行こうとしている昴を見かけた。手には楽器のケースを持っているので、練習かなにかに行くのだろう。
昴は俺に気づくと立ち止まり、張り詰めていた表情を少しだけ緩めた。
そこから、口を開こうとしたとき、俺の背後から女子生徒が声をかけた。
「木嶋くん、ダンボールまだある?」
「もうないけど……まだなんかあんの?」
明日の本番前にお化け屋敷の設営がついさっき完成した。ダンボールはかなり使ったのでギリギリ足りてホッとしていたところだった。
「田中くんがふざけて激突して、通路の一部が壊れちゃったんだよね」
「どこ?」
「入口のすぐの曲がり角、やぶけて完全につぶれた」
「うーん……貫井んとこ行ってみる。なんとかして補強するわ」
「ありがとう! 助かる! 木嶋くん、最初は絶対手伝ってくれないかなと思ったけど……結局ほとんどやってくれて女子株爆上がりだよ!」
たまたまうちのクラスは男が部活や委員会で駆り出されてる人間が多く、放課後しっかり動ける人間が女子ばかりだった。決まったのはいいが気がつくと周りが雑談まみれになっていることが多く、仕方ないから進めていただけだ。
「じゃ、行くわ」
話し終えてふと見ると、昴はまだ少し離れた場所にじっと立っていた。その顔を見てびっくりした。
なんちゅう暗い顔をしているんだ。
なにか声をかけようと口を開こうとした直後、昴は楽器を持った女子に声をかけられはっとそちらを向いた。
「明日河さん! そんなとこでなにやってるの? 急ごう」
背中を押されて、歩き出した昴が一度だけこちらを見たが、そのまま行ってしまった。
教室に戻って壊れた通路をチラ見して、美術教師の貫井のところを訪ねた。
この先生は普段からボサッとしたやる気のなさそうな教師だったが、校門前のアーチを作るのを指導をしていて、ダンボールだろうが、ベニヤ板だろうが五寸釘だろうが、たいていのものをリスのように備蓄していて、常にいろいろ持っている。
小さめのダンボールが欲しいと言うと、すぐに頷いてくれた。
小汚い準備室の中を漁りながら、貫井が世間話のように口を開く。
「木嶋、お前ちゃんと協力してやってるんだな。ほとんどやったって聞いたぞ。意外にえらいな」
「はぁ」
「意外に」は余計じゃないか。いらんとこで正直な教師だ。
「入口にあるダンボールのでかい化け物、あれ、お前がひとりで作ったんだろ」
「はぁ、立体物作るのわりと好きなんす」
「あれ、面白くていいな。よくできてる」
「……」
「お前、絵もうまかったよな……絵を描くときに平面でなく立体で捉えて描いてるだろ」
「はぁ」
絵に苦手意識はないけれど、正直そんなにうまくはない。もっとうまいやつはゴロゴロいる。
貫井がダンボールを手に出てきて渡してくる。
「お前、美術系の大学に行く気はないのか?」
「はぁ……うち、母子家庭なんで、なるべく早めに就職したほうがいいかなーって……美術系行ってもつぶしきかなそうだし」
そこまで金に困ってるわけでもなさそうだが、進学はしないにこしたことはないだろうと勝手に思っていた。特に相談はしてない。
「そういう大学はべつに芸術家になるだけのところじゃないぞ。立体はゲームだとか玩具だとか建築だとか、いろんな業界で関連する職種はあるし……それに、仕事に直結しなくても好きなことをやってみてもいいんじゃないか?」
「……」
「まぁまだ一年生だからそこまで考えなくてもいいが……お前みたいなエネルギーもてあましてそうなタイプはなんかやると強そうだと思うけどな」
「もてあまし……」
なにその言い草。
昔からひまつぶしに絵を描いたり立体物を作ったりはしていたが、遊びの範疇だった。そんなものが将来に繋がるなんて、考えたことはカケラもない。ただ、そんな方向もあるのかと、少しびっくりした。
教室前で自分の作った大きな化け物のオブジェを眺める。フランケンシュタインのようなそれに服を着せて、目のところには点滅する赤いライトを仕込んでいる。作るのはなかなか楽しくて、ここ何日かはずっとひとりでそれを作っていた。
なんとか形にはなっているけれど、正直なところ素人丸出しでそこまで上手とはいえない代物だった。
そもそもあまり上手いとか下手とかを気にしていなかった。
それでも、褒められたら少し気に入ってきた。
*
その晩、寝入り間際に電話がかかってきた。名前の表示は明日河昴。
「櫂くん? 私だよ!」
「うん。まるで俺がかけたみたいになってるが……なんでお前はいつも睡眠時間を狙ってかけてくるんだ……?」
「最近櫂くんにぜんぜん会えないし……いや、会いたいと思ってるとかではぜんぜんないんだけど……」
「そのツンデレにしかならん補足はいるのか?」
「……でも、櫂くんは楽しそうだね」
ぽつりとこぼしたそれは、当て付けというにはあまりに力ない口調で、素直な感想のようだった。
「私ね、今日は失敗して……みんなに迷惑かけちゃった……」
「どれ?」
「吹奏楽部……」
誰でもミスすることはある。ただ、普通の人間のそれと違って、昴の場合いろいろ掛け持ちしてるせいだと言われやすいだろう。
だからこそ手を抜かないようにどれも全力でやっているのだろうが、人の体はひとつだし、時間は有限だ。
好きでやってることだと思うし、いまさら止めろとも言えない。ただ、見ているとやや心配にはなる。
「なぁ……お前、なんでそんなに焦ってるの?」
「えっ」
「その、なんかやりたいこと探すにしても……なんでも……すぐになんとかしようとしてるだろ」
口には出さなかったけれど俺とのこともそうだ。昴はずっとなぜか焦っている。焦る要因はなにもないのに焦っている。
「あぁうん……私、焦ってるつもりはないんだけど……せっかちだから、結果がすぐに欲しくなっちゃうとこがあって……」
昴のそのせっかちさはエネルギーでもある。だからこいつはそのエネルギーで中学時代からいろんなところを駆け上がったのだろうとも。でも。
「無理のない範囲でやれよ……」
「うん……」
黙っていると、そのあと、そこから応答がなくなった。
もしやと思ったが、眠っているようだった。
通話を切ろうと思って、思い直し、小さな声で「がんばれよ」と言って切った。




