29.わかりやすすぎる、押して駄目なら
秋が深まるといよいよ文化祭の日が近づいた。
俺のようなひまな人間は何日かは残って、クラスの出し物の設営準備などをガッツリするはめになった。
俺のクラスはお化け屋敷だった。簡易の通路を作ってゴールするだけのやつ。
昴のクラスはメイドカフェをやるらしい。
そして昴はクラスの模擬店にも参加しつつ、吹奏楽部と演劇部、軽音部の助っ人があるらしく、ここ最近は大忙しのようだった。
昴は朝早くに出かけて、夜遅くに戻っているようだ。昼休みもどこかに行って練習やら準備やらをしているようで見かけない。俺は俺でやることもあり、最近は行き帰りも別々だった。
それにしても妙に姿を見ないなとは思っていた。
放課後になって、俺はお化け屋敷の設営に足りない道具を借りにいくため、廊下を歩いていた。途中、少し離れた前方に昴のうしろ頭が見えたので、なんの気なしに声をかけた。
「昴」
「櫂くん……っと!」
一瞬で笑顔を作った昴が慌てたように真顔に戻して顔を背けた。そして、シュタッと走って階段の陰に姿を消した。
なんだあれ……。
一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐに走ってそちらに行ってみた。
昴は階段を登ってはおらず、ぼんやりとそこにいた。追いかけてくるとは思わなかったのだろう。ぎょっとした顔で俺を見た。
怪訝に思って近寄ると「ひぇっ」と小さく叫んで後ずさった。
「なにやってんだ?」
「い、移動中だけど、なんの用?」
なにか態度がおかしい。そう思って距離を詰めると、同じだけじりじりと後退されて、立ち止まった。
「あのさ、私、しばらく……櫂くんとは……会わない」
「……なんだそれ?」
「私も忙しいから、櫂くんにばかりかまけていられないんだよね」
「んん?」
ぱっと見ごく普通に感じるが、しゃべりかたに違和感を感じる。
なんだこの、ほのかに優等生みを感じる、真人間みたいな声のトーン。表情も自然に真剣だが、なにかおかしい……そう思って顔をさらに覗き込む。
昴がそれに対して一瞬目を見開いたあと、逃走経路を探すかのようにキョロキョロしだしたので、両手を壁に着いて閉じ込めるようにした。
「ひゃっ! 櫂くんこれ壁ドン!」
「はぁ? 壁ドンて……アパートとかで隣がうるさいときにやるやつだろ! 俺はそれ以外断固として認めねえぞ!!」
「み、認めたくないならいいけど……」
その技はイケメンしか許されないと聞いたことがある。むちゃくちゃ恥ずかしいから絶対認められない。できれば一生やらずに過ごしたかった。すぐに手を下ろした。
ふと見ると昴がまた真顔になっていた。
静謐さをたたえたような冷静な顔は、あまり見たことのないものだった。
「櫂くん、あのさ、私、最近もういいかなって思ってるんだ」
「ほう」
言いながら俺の片方の手を取って、両手でぎゅっと握ってくるの、なんなんだろう。
「そろそろ、ほかの人にも目を向けてみようと思って……」
真顔で話しながらめちゃくちゃにぎにぎしてくる。
「私のこと好きになってくれる男子はほかにもいるし」
「うん」
手が離されたら今度は俺の胸やら腕やらをペタペタ触ってくる。
「私もそろそろ櫂くんに興味なくしてきたんだ」
「う、うん」
そして今度は鼻面をシャツに近づけてふんふんと犬のように嗅いだ。
「いつまでも振り向いてくれない人にしつこくくっついてても仕方ないしね」
「はぁ……」
それが終わると、また両手で俺の手をマッサージでもするようにもてあそびだした。
「櫂くんも、私のことはもう忘れて」
「それはわかったけど……さっきからその動きはなんなんだ?」
「えっ?」
「えっ、じゃねえよ……この手はなんだ」
昴がはっと気がついたように、俺の手を包み込む自分の手を見た。
「ぎゃあぁ……! 久しぶりに櫂くんを見たから……体が補充しようとして脳を裏切る……ひどいぃ……」
「顔と声の演技はなかなかだったけど……その落ち着きのない動きでほんっと台無しだったぞ……」
「また……改めて再挑戦する……」
昴がガックリと肩を落とし立ち去ろうとした。
「……俺、わかるから無駄だぞ」
「えっ」
「再挑戦しようが、演技してるうちはたぶんわかる」
昴はぽかんとしていたが、やがて上目でこちらをチラ見したあと、口元を押さえて静かに赤面した。
「なんでそこで赤くなるんだよ!」
「えっ、だって……櫂くんが私の本質をわかって見抜いちゃうなんて……そんなのもう夫じゃないか……」
「は、はぁ……」
よくわからんところでポジティブなんだな……。
「でも、もう遅いよ。私はもう櫂くんに……興味ないから! じゃあね! さよなら夫の人!」
切り替えた。
情緒不安定なくらい再挑戦するのが早い。昴はさっと歩き出した。
しかし、しばらく行ったところで振り返った。
「いいの?」
「……」
また少し行って、振り返って確認する。
「本当にいいんだな?!」
「……いいよ」
さらに数歩行って、また振り返った。
「本当に後悔しないのかな?」
「いいって」
だんだん遠ざかっていくが、数歩ごとに確認が入る。
「櫂くーん! 今ならまだ間に合うよー!」
黙って手を振った。
昴はさらに先に行ってからまた振り返って大声で叫んだ。
「櫂くんのバカー! 終わったぞー!」
そのまま黙って見てると、急にものすごい速さで走り戻ってきて、タックルしてきた。
「ゲボォッ!」
「もうぜんっぜん好きとかじゃないわーーッ!!」
「グギェー」
力強くぎゅうぎゅうされながら叫ばれて、とても苦しい。
「好きじゃないし興味もないし……はぁーあったかい……櫂くんの匂いする……」
後半が完全に感想になった。そのあと無言で鼻面をシャツにつけてスーハーしている。
「というわけだから、あまり私にまとわりつかないように」
「はい……」
体が離れて向かい合う。
「あのさ……櫂くん……」
昴がまた口を開こうとしたときに、人の気配が現れた。
「いた! 明日河さん!」
昴を探していたらしい女子が来て、とたんに昴が真顔になった。
「明日河さん、急いで。毎日参加できないんだから」
「ごめん。すぐ行くね」
女子生徒に謝った昴は今度こそ去っていった。




