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26.推定いい人とヒーロー登場


「あ、きじまー」


 放課後の廊下で元気な声に呼ばれて振り返るとクラスメイトの女子がいた。明るくて、あまり女子同士で群れないタイプの子で、最近は顔を見るとよく挨拶されていた。


「今帰り? 途中まで一緒に帰らない?」


「あー、まだちょっと」


「あたし木嶋と少し話してみたかったんだよね。ね、どっか寄ってかない?」


「悪い……まだ人待ってるから」


「そっかぁ。じゃあまた今度ね」


 手を振って見送った。

 背後にぬっと巨大な人の気配を感じる。


「ぎじまぁー……見たぞおぉー」


「お前はドッスン・クモーイ……」


「今のは藍田さん!」


「あの人藍田さんていうのか」


「お前まだクラスメイトの名前覚えてなかったのかよ!」


「まだ全員は……半分はいったと思う」


「今のなんで断ったんだ? ああ……藍田さん可愛いよなぁ……」


「あの人たぶん性格もいいぞ」


「わかるぞ! こう……空気感がいいよな! ドライな感じなのに自然に優しそうなんだよな。いいなぁ……なんでお前なんかに……」


「ちょっと気が合いそうと思ったんじゃねえの」


 そんなに話したことはないが、テンポとかペースとかが、無理なく噛み合う感じの人だ。他人とのコミュニケーションに興味が薄めなところがちょっと近い。


「……木嶋、お前は今人生における痛恨の判断ミスをしたことをわかってるのか?」


「なにが?」


「黙っていても女の子が吸引されていく種類のイケメン以外は日々全身全霊で身を研ぎ澄まし、コバエほどの小さなチャンスを捉え、全力で捕まえていかねばならないんだぞ……。そして今のは関係を進展させるかなりのチャンスだった。数年後一人の部屋で、あのとき行っておけば……俺の青春も違ったかなと思う種類のやつだぞ! あーもったいない……」


「え、俺は昴待ってるからまだ帰れないってだけだよ」


 雲井がじろりとこちらをにらんだ。


「……なぁ、木嶋。お前、明日河さんのこと好きなんじゃないのか?」


「……は?」


「お前、なんだかんだいつも明日河さんの帰り待ってるし……でなきゃ今の空前絶後のお誘い断る理由まるでないだろ! なぁ! 本当は好きなんだろ!」


「……」


「なぁ、きじ……痛いッ」


 雲井の頭を思い切りはたいた。


「お前に答える義理はない。先に帰るとあとでギャアギャアうるさいから待ってるだけだ」


 雲井は黙って面白くなさそうな顔をしてみせた。それから時計を見て言う。


「今日はまた……明日河さん遅いんだな」


「文化祭が近くなってきてるからな……」


「おっし、迎えにいこうぜ!」


「雲井、お前は一体なんなんだ……もしかして……ひまなのか?」


「その通りだ! 俺は部活が人数不足で廃部寸前で、顧問もやる気がなく、最近はろくに活動がなくてひまなんだよ……」


「お前なんでこんな高校に来たんだ。もっと柔道部強いとこあるだろ」


「それは、そこを基準に選ばなかったからだ!」


 部活にそこまで気合を入れてないのはこいつも同じらしい。しかし、ひまな雲井は家に帰ってもひとり。結局意味なく残ってることが多かった。


 ひまなのは俺も変わらない。

 結局連れ立って校舎をウロウロと徘徊することになった。


 最上階まで行って、屋上の鍵が閉まっているのを確認して、結局下に降りようとしたときだった。


「うおおおおい! イケメンと明日河さん!」


 小声で叫んだ雲井が勢いよく戻ってきて、俺を押し戻した。

 言われて階段上から覗くとたしかに、つるんとしたイケメンと昴が一階で話していた。


「おい、あの人相は、性格もよさそうだぞ」


「顔で性格がわかんのかよ……」


「だいたいわかる。お前の性格は悪い。当たりだろ……痛いッ……俺のやわやわほっぺをつねるな!」


「なにがやわやわほっぺだ気色悪い!」


 ここは四階なので、姿は見えるが話まではよく聞こえない。なぜ俺はこんな物陰で雲井とイチャイチャするはめになっているのだ。とても不快だ。


「あれ、明日河さんとどういう関係の人だろうな」


「さぁな」


 昴の交友関係は男も女もとにかく広いのでいちいち把握してはいない。


「よし、木嶋、もう少し近づいて盗み聞きしてみよう!」


「なんで俺まで……」


「なに話してるか聞きたいだろ! 気になるだろ!」


「……」


 雲井と一緒に二階に移動した。そっと身を潜める。イケメンのイケボが聞こえてくる。


「……のことなら、相談に乗れるよ」


「ありがとうございます」


「いつでも声かけてくれていいからね」


 その、名も知らぬ先輩のしゃべりかたは、たしかにいい人な感じがした。好意は感じられるが、押し付けがましい下心は剥き出しではなく、声のトーンにきちんと遠慮も感じられる。まっとうな感じがする。昴も邪険にはしていない。


「おほっ、木嶋……あれ、お似合いじゃないのか」


 雲井がムンクの叫びのような格好で俺を見た。

 たしかに、ニュー明日河昴の優等生部分にはああいった顔よし性格よし物件が似合うだろう。


 今度は昴の声が聞こえた。


「あの、先輩、私……」


 俺と雲井と名も知らぬ先輩(推定いい人)が昴の言葉に耳を澄ます。


「私……もうその人じゃなきゃ駄目な、すごく好きな人がいて……だから相談にのってもらえるのはとてもありがたいんですけど……やっぱりこれ以上仲良くするのは遠慮しておきます」


 そう言って、照れたように笑った昴の顔は、どこか大人びていて、見たことがないものだった。

 なんだかんだ俺と対峙するときの昴は小学校時代の影響で少し年齢退行しているのだろう。そのときの昴は普段の茶化した感じがカケラもなかった。

 本来俺の前では見せることがないはずの、見たことのないもうひとつの素の顔だった。


 だからなんだか見てはいけないものを見た気がして、猛烈に恥ずかしくなった。


「きーじーまー」


 雲井が忌々しげに脳天をゴリゴリ攻撃してくる。


「痛い……俺のこととは言ってないだろ」


「今のがお前のことではなければ、俺はどんなに心晴れやかだったろうか……」


 雲井がどことなく呪いのポエムのようにつぶやいた。


 そのとき先輩と別れた昴がゆっくり階段を登ってきた。俺はなぜか気まずくなって猛ダッシュで上階へ逃げた。


 少しして昴の声が聞こえる。


「あれ? 雲井くん。もしかして聞いてたの? 盗み聞きとか趣味がよくないよー」


「いや、素敵な方と見受けました!」


「うん。あの先輩すっごくいい人だよ。かっこよくて優しくて……たぶん誠実だし、勉強もできるし……」


「うんうん。今の方はきっと素晴らしい方です。木嶋なんて二学期にもなってまだクラスメイトの名前も覚えてないアホですからね」


「い、いや、櫂くんは昔から興味ないことには無関心だから……きっと人の名前に興味が薄いんだよ。でも、好きなものには異様に詳しかったりするよ!」


「木嶋の詳しいことって……」


「んー、小さいころはドングリの種類にすごい詳しかった!」


「なんですかその、へのつっぱりにもならんモテない特技は……」


「はは……」


「しかし、もったいないっすねぇ……きっと素敵な青春がそこにありましたよ」


「それはわかってるけど……」


 小さなため息を吐く音が聞こえた。


「櫂くん見た? 今日はさすがにもう帰っちゃったかな……」


「いや、まだいますよ」


「本当? 私最近はかなり遅くなること多くて、先に帰ってもいいよって言ってるから……今日はもう帰っちゃったんじゃないかなあ」


「はぁ……近くにいると思いますよ」


「そうだね。最近遅くても残ってフラフラしてること多いし……女の子とでも話してたりするのかなぁ」


「いや、あいつさっき……」


「遅かったな昴!! 雲井、行くぞ!」


「木嶋……なんだそのヒーローみたいな登場は!」


 階段の上階から腰に手を当てて登場した俺に雲井がのけぞった。というか、さっきからすっかり登場タイミングを逸してしまっていて、いい加減気づいて欲しかった。


「すごい! ヒーロー櫂くんだ!」


「はっはー! 待たせたな!」


「いや、ずっと待ってたのお前だろ……」


 三人で歩いていると、昇降口を出たあたりで雲井が涙目でプルプル震え出した。


「く、雲井くん?」


「なんでお前泣いてんだ。薄気味悪いぞ」


「ぐ……お、おォ……俺の青春は……どこだぁ……」


「雲井くん、泣かないで。今度可愛い女の子紹介するから!」


「ほ、ぼんどでずがぁ……俺……おでのせいじゅん……おでだっでぜいじゅん欲ぢぃ……」


「でも私の友達に変態はいないんだよなぁ……」


「変態じゃなくていいですからぁー!」


「お似合いの変態を見つけてあげたいんだよなぁ……」


「そんな狭い範囲で探してたら何百年もかかってじまいまずようー!」


 それから雲井の恋愛について検討、討論して帰った。もちろん実りはまるでなかった。


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