24.誕生日のお祝い
昴に駅前の雑貨屋へ連れていかれた。
そして現在アクセサリーが売っている一角にいた。大人向けの高級なものではなく、カジュアルでアンティークな装飾品を集めたようなお店だった。
「私のプレゼント、これとこれどっちにしようかな。櫂くんどっちがいいと思う?」
「お前のプレゼントならお前が選べばいいだろ」
「お金は私が払うけど櫂くんがくれることになってるんだよ!」
「じゃあ俺に選ばせればいいだろ」
「やだよ。櫂くん絶対ふざけたものしか選ばないもん」
「なんと面倒くさい……」
「これ、これにする!」
昴が選んだ小さなシルバーの飾りが付いているネックレスはたしかに俺が発狂でもしなければ選ばないようなものだった。俺なら愉快な形のおもいきりふざけたオブジェか人形を自作してしまうが、そんなものは許される雰囲気でない。これは面白さとはかけ離れたものを求められている。こいつは真剣に『彼氏みたいなもの』をやろうとしている。
「はい、じゃあ櫂くんこれ、渡して」
レジから戻ってきて綺麗にラッピングされたそれを渡された。なんとアホらしい。
「誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
「……こんなん形だけやって楽しいのか?」
「楽しいからやってるに決まってる! このスイカ雪だるまシャツ男め」
無駄な熱気に空まわりを感じる。
「じゃあ櫂くんのお家行こう」
「へいへーい……」
昴を連れていくと親に連絡をしておいたら、ケーキとケンタッキーが買ってあった。ちなみに五月にあった俺の誕生日は納豆ご飯だった。この差。なんなの。鼻から変な息が出そう。
「昴ちゃん、お誕生日おめでとう! お肉食べてね!」
母は若い子には肉を与えれば喜ぶと思っているふしがある。以前俺が、女はケーキが好きだと言ったら馬鹿にされて大笑いされたが、正直同レベルだと思う。
「ありがとうございますー。いただきまーす」
「お前んち、お前の誕生日もお通夜なの?」
「あー、なんかケーキは買ってくれるみたいだったけど……みんなで食べる感じじゃないかな。友達とお祝いするって言ったらそっち行ってきなさいって」
まぁ、無理に揃ってお祝いしようとしても気まずいだけかもしれない。
そういえば今朝学校で昴の机にはたくさんお菓子が置かれていたのをチラッと見た。それとは別にプレゼントらしきものもたくさんもらっていた。こんなとこにいなくても、ガチで友達とお祝いもできたんじゃないだろうか。
とはいえ昴の友達のことはよく知らない。何人かぼんやり顔はわかるが、名前までは知らない。昴の友人女子は優等生のマトモなやつが多く、みんな俺のことを動物園にいるゴリラのような距離感でジロジロ見はするが、決して話しかけようとはしない。俺もなるべく近寄らないようにしている。
陰で「脅されてるの? あんなのと友達付き合いするのやめなよ」とか言われていてもおかしくはない。それを想像するとちょっと面白い。
「櫂、アンタちゃんと、なんかあげたの?」
「なにが?」
「誕生日プレゼントだよ!」
「あげたことになってる」
「んん? アンタ……」
とてもいいタイミングで母親のスマホが鳴って会話がとぎれた。
少し離れた位置でなにごとか会話して通話を終えた母がしかめた面で言う。
「ごめん。あたし、今からちょっと職場に行ってくるわ……」
「わーい。いってらっしゃーい」
「なに喜んでんだよ櫂! 遅くなるかもしれないから食べたらすぐ昴ちゃん送っていくんだよ!」
こんなはてしなくうるさい母が退室したら、うれしいに決まっているじゃないか。
上着を引っ掛けて、車のキーを取った母はわりとスピーディーに出ていった。
バタンと扉が閉まる音がする。しばらく無言で目の前のものを食べていた。そうしてふと見ると、昴の顔つきがいさましいものに変わっていた。お肉を飲み込んで口元を拭うと立ち上がってテーブルに身を乗り出してきた。
「櫂くん! 櫂くん! 二人きりだね!」
「あ、あぁ……ゲフ」
なにかこわい。最近のこいつこわい。
いろいろなものを無視してなんとか肩書きだけ変えてやろうみたいな力強さがこわい。
「櫂くん、そこ座って」
リビングのソファを指差して言われ、嫌な予感がしながらもそこに腰掛ける。
「おわぁ!」
即座に昴が上に被さるように押し倒してきた。行動自体は予想外だが思考回路は予想通りすぎる力技だ。
そして唐突に、頬に昴の唇が触れた。
「ぎゃあ!」
「女の子がほっぺにちゅーしてるのに、ぎゃあとはなんだ! ぎゃあとは!」
「ぎゃあはぎゃあだよ! なにをする気だ!」
「櫂くんがかたくなだから、もう既成事実を作ってしまうしかないと思って……なんか、ちょっとひげ生えてる?」
そんなに生えないほうだが、最近は夕方ごろにチクチクする程度のものは生えている。それが当たって痛かったらしい。俺の成長の盾が発動した。昴は軽く眉根を寄せていた。
しかし、昴はすぐに持ち直した。キッと目力を強めて再度覆いかぶさってくる。
「くらえ! 既成事実!」
「くらうか!」
二度目はない。華麗に避けた。
「なんでだー!!」
絶望した昴が俺の胸に顔を埋めて嘆き叫ぶ。
服ごしに湿った息と振動がきてこそばゆい。
「そんなインスタントな既成事実とか、俺が悪人だったらやり捨てされるだけだぞ!」
「なにそれ! 意味わかんないよ! なんで?」
「なんででも! ちょっと上からどいて!」
「ムゥ……」
いさましい顔の昴が上からどいた。ソファを降りて正座で腕組みをして下からにらみつけてくる。付き合いたい懸想してる相手への顔とはとても思えない。
「なぁ……そんな焦る必要なくないか?」
「え、なにその概念」
「概念から説明が必要かよ……」
昴はずっと渋い顔をしていたが、やがて、ふぅと息を吐いて表情筋を緩めた。
「……じゃあ、とりあえず今日はもういい。既成事実も諦める」
「うん」
ホッとして胸を撫で下ろす。
「でも、誕生日だから」
「う、うん」
まだなんかあるのかよ……。
「ぎゅってして欲しい」
「い、今ここで?」
「誕生日祝いだよ……祝え……祝え……」
「わ、わかったよ」
また後半声が低くなってるし。
昴がソファに戻ってきて、向かい合わせで座る。
頭の中で念仏のように唱える。
こいつは昔、蝉の抜け殻でタワー作ってたやつ。
鼻からうどん食おうと奮闘してたやつ。
やたら奇声をあげて駆けまわり、ときに踊っていたやつ。
よし。
今だ、とばかりにガッチリ抱き寄せた。
「か、櫂くん……ちから強いよ……」
「わ、悪り……」
しかし、昴が突然女の子みたいな声を出すものだから念仏の効力が一瞬でどこかに消え失せた。
「蝉の抜け殻タワー……鼻からうどん……ごはんチャレンジ九杯……」
「櫂くんなにブツブツ言ってるの?」
感触は邪念につながるので絶対に気にしてはならない。しかしやっかいなのは鼻先をくすぐる匂いだ。ふわっとした、シャンプーなのか、洗濯洗剤なのかわからないが、温かな体温を伴った匂い。
「蝉のぬけがら……」
蝉の抜け殻に女体がついたバルタン星人のような生き物が頭に浮かんだ。
こいつ今、どんな顔をしているんだろ。
ふと、そう思って、顔を見てしまった。
……見るんじゃなかった。
頬が赤くて、目は少しだけ潤んでいる。
口元は困ったようにひき結ばれていて、さっきまでいさましくこちらを襲おうとしていたとは思えない顔だった。
「昴……」
「え、なに……」
なにも考えていなかった。無意識に、そのまま彼女の体を倒していた。
「か、櫂くん……?」
目の前にいる女の属性も、今までの関係性も、誰なのかも一瞬だけふっとんでいた。
倒したときにつかんだ細い両の手首、白くて華奢なそれが、ほんの少しもがくように動いた。それを動かないようにぐっと固定した。わりと簡単に動きを封じられて、びっくりした。
時計をちらりと見て、行き帰りの時間で母親が家に戻るまで最速でもまだ一時間くらいはあるだろうと計算する。そんなところにしか頭が働いていない。
赤く色づいた頬に、仕返しのように唇を寄せる。
昴が怯えたようにぎゅっと目をつぶった。
ゆっくりと、それが重なりそうになった。
───そのとき、ガタンと大きな音がした。
びっくりしてぱっと顔を上げる。
不安定な場所に置いてあったのだろう、母親が少し前に買った目覚まし時計が唐突に床に落下したのだ。
今時はあまり売っていないレトロな猫の目覚ましが落下のひょうしに音を立て出した。
『起きてよニャア! 起きてるニャン! あと五分! 眠いよニャア!』とあまり起こす気の感じられない台詞が鳴り響く。
一気に我に返った。
なにをやってるんだ俺は。
ハムスターみたいなすばやい動きで目覚まし時計に駆け寄り、それを止めて窓際に逃げた。無意味にカラカラと窓を開ける。まだ昴のほうは見れない。
「あっぶな……」
小さくつぶやいて、息を吐いた。
昴をちらりと確認する。突然離れたので直前までの威勢のよさなら怒りそうなものだったが、黙ってクッションを抱え、それに頭をうずめていた。
すごく小さな声が聞こえた。
「ひー……すごい……ドキドキした……」
誠に同感である。
ドキドキというよりは今になってヒヤヒヤしてきた。
昴が顔を上げて、目が合うと昴がてへへと笑った。
「冷静に考えたら……なんの準備もなしに……いつお母さんが帰ってくるかわからないのに……こんなとこで……櫂くんが踏み止まってくれてよかった……はは……」
もう少し早めに冷静に考えて欲しかった……。
「まだ、いろいろ……ちょっと早かったねー」
「……はぁー」
「櫂くん、ケーキ食べよ」
テーブルに戻り、ケーキを食べることにした。
何種類かあるそれを箱からひとつづつ取り出して、向かいあってもくもくと食べた。
「結婚したらこんな感じかなあ!」
さっきはまだ早いと言っていたのに、今度はさらに未来に飛躍しているようだ。




