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23.奴隷と誕生日


 九月七日。火曜日。

 家を出てすぐのところに昴が立って待ち構えていた。


「櫂くん櫂くん! おはよう! 今日なんの日か覚えてる?」


「え…………あ、誕生日か」


「よく覚えてたね! 愛だね!」


「い、いやぁ……まぁ」


 本当は今、聞かれて思い出した。母親など毎年そうだが、わざわざもったいぶってカマをかけてくるので、その瞬間まで忘れていてもそこで思い出す。昴は小学生のころは一週間前から予告してきていたので毎年恒例でふざけた祝いをしていた。


「まぁ、おめっとさん」


「ありがとありがと。でね、誕生日だし、今日だけ私が王様になってもいい?」


「え? なにそれ」


「いやだから、櫂くんが今日一日私の奴隷になるんだよ」


「えぇ……」


「いいかな? 一日交代」


「なにをする気だよ……」


「ひどいことは一切しません!」


「じゃあなんだよ」


「それは交代したら教えてあげます」


 交代というにはもともと俺に権威がまるでないが。しかし、いったいなにがしたいのか、こわいもの見たさで気になって、とりあえず頷いた。


 その日の昴は異様にご機嫌で、廊下などでものすごく遠くにいるにも関わらず、ブンブンと手を振ってきたりした。しかし、特に命令はされなかったので、これは学校生活のこまごました用事を言いつける類のものではないと察した。


 放課後になって、昴が呼びにきたので一緒に校舎を出た。


 校門を出る前に肩をつかまれて、立ち止まって向かい合う。


「あの、じゃあ、命令するね」


「簡単なのにしろよ」


「大丈夫、大抵の人にはできることだよ」


「ならいいけど……」


「昴、好きだよ、って言ってみて!」


「ブッフゥー!」


「櫂くん?」


「うがあぁああぁぁ」


 しょっぱなから、こんな恥ずかしいことを要求してくるとか……ドSすぎる。せめて校門を出てから言って欲しかった。


「バカ! そのくらいの芝居できなくてどうするの! この先社会に出たらつきたくない嘘つかなくちゃいけないんだよ! こんなの序の口だよ! 社会はうんちみたいなご飯を美味しい美味しいって食べなきゃいけないことだらけなんだよ!」


「いやお前社会出てないだろ! 適当なこと言うな!」


「うぅ……我慢して言ってよ! ……言え」


 我慢していう類のものなんだろうか。後半声が低く、ドスの効いた感じになってるし。


「音声として聞きたいだけなんだよ。深い意味はないんだよぉ!」


「お前……そんなん軽々やれるのかよ!」


「私はやれる。櫂くん、大好き!」


 ドヤ顔で愛を宣言された。

 そういやこいつは演技がやたらとうまいやつだった。


「櫂くん、好きだよ」


「ちょっと……やめろ」


「なんで? 好きよ」


「うぐぉおおぉおぉぉ! やめろおぉぉ!」


「女の子が好きって言ってるのに、呪いの言葉かけられたみたいな反応するのやめてくれるかな?」


 その、やたらと可愛い女の子の顔で言われると混乱するんだよ!


「言えないの? はは……まぁ櫂くんはその程度の人間だよね」


「くっそう……わかったよ! 今日だけ特別に言ってやるよ!」


「やったー!」


 深呼吸をする。

 目をつぶり青い空をイメージして心を無にする。


 目を開けると昴が真顔でスマホを俺に向けていた。

 動画を撮るときのぴこんという音が聞こえた。


「……撮影するのやめろよ」


「えっ、駄目なの?」


「うん」


「わかったよ……くそう」


 舌打ちしそうなふてくされた顔でにらまれ、険悪な雰囲気になった。こんな殺伐とした空気の中、愛の言葉を要求されるなんてどういうことだ。


 考えた結果、俺は開き直ることにした。

 俺は今、俺ではない。なんなら人間でもない。ヒトならざる生きものだ。ガッと顔を上げて昴の両手を自分の両手で包むようにしてにらみつける。


「昴、好きだよ……」


「ゴフッ、ありがとう櫂くん! 私も……! 私も好き」


 なんでちょっと吹き出してんだよ! 腹立つな!

 しかしめげずに追撃する。


「愛してる! フンッ!」


「鼻息荒い! 最高! 私も愛してる! もうずっと前から愛してる!」


「ウオォー! 好きだー! 離したくない!」


「うん! 離さないでねぇぇぇー! うがぁー!」


「だいッ好きだぁー!!」


「ぎゃあぁー! 好きー!!」


 熊の威嚇のような格好で立ったまま、愛を叫びあった。なんだこの暑苦しいバカップル……いや、こんなの……カップルなのか? なにかが……おかしい。森の動物の威嚇会の会場のほうが絶対近い。


 昴は自分の頬を両手で包み、「……ふう」と息を吐くと、なにごともなかったかのように落ち着いた。


「ありがと。櫂くん」


「満足したか?」


「え? えっと、まだケーキも一緒に食べたいし、誕生日プレゼントも」


「……」


「大丈夫、お金は渡すから! 櫂くんはしれっと買って、自分ひとりで買ったものみたいに渡してくれればいいんだよ!」


 なんでそんなわけわかんないことを……。

 それじゃ奴隷じゃなくて……。


 そこまで考えて、はっと顔を上げる。


「おい、これどう考えてもこれ奴隷じゃなくて彼氏だろ!」


「ヒェッ、奴隷! 奴隷なの!」


「お前言ってることおかしいぞ!」


「私は奴隷! よき奴隷! 今日はあなたが奴隷です!」


「変な節つけんな! 指もチョキチョキして踊るな! 忌々しい!」


 昴は蟹のチョキのままで動きを止めて、俺をにらみつけた。チョキをグイッと近づけてくる。


「うわっ」


 目の前でピタリと止まったそれは避けられない見事な太刀筋だった。無駄な運動神経と打撃センス。


「櫂くん、そんな態度で……私がほかに彼氏作ったらちょっと嫌なくせに……」


「……ぐがッ」


「……嫌だよね? ね? ね? ねっ!」


「……ぐギィ」


「はーい……じゃあこのまま、『櫂くんが奴隷の私の誕生日』を決行しまーす!」


 どんな誕生日だよ……。


「十六歳の誕生日は一度きりだし、ここ三年櫂くんとは過ごせてないし。思い出に残る素敵な感じを演出しようと、私は張り切ってるよ!」


「お前が自分で演出するのかよ!」


「当然。ほかに誰がやるというのだ。モテない櫂くんが演出するよりはよっぽどいいでしょ。正直櫂くんにはまかせられない」


「そこに辛辣な理由つけてくるなよ……」


「小四のときに櫂くんが企画した白米食べ放題……つらかったなぁ……」


「お前がノリノリで茶碗十杯制覇をキメようとしたからつらかったんだろそれ!」


 白米食い放題は卵、ふりかけ使用可能。一杯ごとに景品が違った。昴は十杯制覇の景品を熱く狙っていたが、結局九杯目で倒れた。でも結局景品はやった気がする。確かビー玉三十個入りの瓶。だいたい覚えている。

 そのほかだと小二のときは泥団子を作って砂場でお祝いした。

 小三のときには俺が自作した人形を使ったショーをやった。自分で思い出してもストーリーがシュールで、むちゃくちゃだったけれど、昴はお腹が痛くなるほど笑っていた。

 というか、あのころは笑いの栓が極端に緩かったのでだいたい毎日腹が痛くなるほど笑っていた。


「櫂くんといるときは毎日笑っていたのに、いなくなると毎日がすごく普通で、ぜんぜんふざけてなくて、世界がこんなに味気ないなんて思ってなかったから、中学のときはびっくりした。私、ギャグ漫画の世界から急にシリアス映画に放り出されたみたいだったなー」


「すごい落差だな」


「今年からはラブコメにしていきたいからよろしく!」


「ジャンル変更に俺を巻き込むのはよせよ……」


「櫂くんがいるのは前提であって巻き込んではないよ。買い物したいからこのまま駅前に行きます! 櫂くん金髪になってるしお母さんがびっくりするといけないからお祝いの場所は櫂くんちにします!」


 人の話聞く気なし。





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