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20.花火


「ねぇねぇ、花火大会あるんだって、夏休み、どこも行ってないし、連れてってやろうか」


 夕食時、母親が珍しくそう言った。

 花火大会といっても有名なやつではなく、隣街の河原付近でひっそりと催される小規模なやつだ。母は開催を職場で聞きつけてきたらしい。


「……行かね」


 高校生にもなって、母親と二人で花火とか、知ってるやつに見られでもしたら猛烈に恥ずかしい。手元の味噌汁を飲み込んで簡素に返事をした。


「ははーん。知ってる人に見られたら恥ずかしいんだな」


「ングっ」


「したらさー、昴ちゃんも呼べばいいよ。それならいいでしょ。うちで浴衣着せてさ、車で行こ!」


「えっ」


「浴衣姿も絶対可愛いわよ。アンタが誘いにくいなら、あたしが誘うけど」


「は? やめろよ。それは息子の交友関係に立ち入りすぎだろ」


「じゃあアンタが誘ってね! あたしが会いたがってるって言っていいから」


 うまく乗せられた気がする。

 しかし、最後に会ってから一週間ほど経っていて、元気にしているかも気になっていた。ときおりスマホにそうめん食べた、道端の猫を撫でたなどと緊急性のまるでない連絡は入っていたが、しょせん文字。しかもあいつは演技上手だ。無駄に暗くなってないかだけ気になるところだ。


 部屋に戻って電話をかけた。


「ふは……櫂くん?」


 俺なことは画面の表示でわかってるはずなのに、確認するように出た。しかも謎の擬音付き。


「なんだそのテンション」


「……え、なんか照れてるの。照れない?」


「照れない」


 なぜなら目の前にいるわけではないからだ。

 俺だって多少気まずいような気持ちはある。だからほいほいと誘うつもりはなかったのだが。あまり強く拒否すると逆に怪しまれてしつこくいろいろ聞かれたりしそうだったので、さっさと承諾した。


「私は照れる。なんか恥ずかしい……でもうれしい。え、櫂くん私のことが好きで、かけてきたの?」


「どういう思考の飛躍なんだよ……。うちの親が会いたいから花火行こうだと」


「わぁ、行く行く!」


 通話を切って母親に報告しにいく。


「行くってよ」


「よっしゃあ! じゃあアンタ三時ごろ迎えにいって」


「あいよ」


 普通に返事をしたはいいものの、なぜ俺がわざわざ迎えにいくことになっているのか、さっぱりわからない。どうせ徒歩六分くらいの距離なのだから、普通に来させればよいものを。


 連絡して家の裏の公園に行くとすごい早さで走って出てきた。


「櫂くん、櫂くん! 久しぶりだね!」


「お、おう……」


「……」


「無駄に赤くなるのやめろよ!」


「櫂くんだって!」


「俺は赤くない!」


「赤いよ! 自分からは見えないだけでしょー!」


 言われて自分の頬に触れる。外が暑いからさっぱりわからん。変な汗は出てる気がする。


「櫂くん行こう。花火楽しみ」


 思ったより気まずくならなくてよかった。

 しかしいつもならやたらとくっついてくるそれはなく、昴は少し離れた場所を歩き出した。


 久しぶりに会った昴は、そこまで時間は空いていないのにどことなく違って見えた。

 今日は前髪をわけているからだろうか。ほんの少し大人っぽく感じられる。


「あれ、昴ちゃん、なんか大人っぽくなった?」


 それは俺の気のせいだけでもなかったようで、玄関に待ち構えていた母が同じことを言った。


「この年頃の女の子、こわいわねー……ちょっと見なかっただけで、絶妙な色気が出てるわ……危ない危ない」


「俺をにらみながら危ないとか言うのやめろよ……」


 母親はフンと鼻を鳴らし昴に猫撫で声を出す。


「昴ちゃんなんでも買ってあげるからね! あ、でも、おうちで行く予定とかあったかな……」


「あ、今うち年中無休でお通夜みたいなんで! そういうの、まったくないです!」


「え、なんじゃそりゃ……あ、浴衣でも着せながら話聞こうっと」


 母親がはりきって用意していた部屋へ昴を連れ込む。


「櫂、覗くなよ」


「覗くか!」


 しばらくして母親が「昴ちゃんです」と要らぬ紹介をしながら出てきた。昴もなぜか「昴ちゃんです」と言って笑った。

 母親が持っていたものなのだろう、白地に赤い金魚が描かれてる浴衣だ。髪の毛もそれっぽくまとめられていて、かんざしがぶっ刺してある。なかなかに手先が器用だ。そういや娘も欲しかったとか言ってたことある。


「櫂、どうよ! 可愛いだろ」


「……うん、まぁ」


 否定すると絶対に怒られるので適当に頷くと昴が赤くなってうつむいた。


「あれ? 昴ちゃんどうした? 元気ない?」


「い、いいえ! 元気はありあまってますっ……」





 花火大会は小さな街のものなので、まともに歩けないほどではないが、それなりに賑わっていた。おかげで会場からはかなり遠い駐車場に停めることになった。途中は出店がたくさん出ているので見ながら行けばいいだろう。


 母がさっそくタコ焼きを買ってくるというので、道の端で昴と待っていた。


「なぁ、妙に照れるのやめろよ……。母親に勘付かれるだろ」


「そんなこと言われたって……初めてだったし」


「なにが」


「櫂くんが…………可愛いって……その……言った!」


 モゴモゴしだした。


「わかったよ……。なるべく言わないようにする」


「ヒェー! それは駄目! そういうの、なるべく積極的に言ってくべきだと思うよ!」


「いや、言わない」


「そんなバカな! もう一生聞けないの? 録音しておけばよかった!」


「バカはお前だ!」


「今もう一回言ってよ! よく考えたら頷いただけで、ちゃんと言ってないし!」


「言わない!」


「ケチ!」


 ふざけて笑っているうちに、なんとなく少し残っていたぎこちなさがなくなり、すっかり普段の調子に戻ってきた。

 お店は人が並んでいるのだろう。母が戻ってくる前に最初の花火が上がった。


「うわぁ、始まったね」


 昴がはしゃいだ声をあげたけれど、後半花火の音にかきけされた。


 しばらくして戻ってきた母はいろいろ買い込んできていた。手に持ったカキ氷だけでなく、腕にも袋がぶらさがっている。そのいろいろな荷物をさっそく渡される。荷物置きとして連れてこられたとしか思えない。


 移動した先で腰を下ろせる場所を見つけて花火を見た。


 鼓膜を揺らす破裂音が夜の空に響き渡る。うっすら煙の匂いがする。


「櫂、ひとりでばくばく食わないよー」


「あまらせてもしょうがねえだろ」


 母はいつも自分はそんなに食べないくせに食い物を買いすぎる。カキ氷とタコ焼きとケバブ、広島風お好み焼き、焼き鳥、豚串、たぶん多い。


「あ、いただきます!」


 昴が気づいたようにタコ焼きに手を伸ばす。

 これは気を使って食べようとしてるんだろう。なんとなくわかる。


「無理して食うなよ」


「ううん、お腹減ってきた!」


 花火の合間に途切れ途切れに周囲の喜んでいるような話し声が聞こえる。この雰囲気は嫌いじゃない。


 昴が花火にスマホを向けて写真を何枚も撮っていた。母親はその昴と花火を撮っていた。俺はこれをさらに撮るべきなんだろうかと一瞬考えたが、面倒なので放っておいた。





 家に戻って着替えをすると、昴が普段の昴に戻ってなんだか少しほっとした。


「ありがとうございました! 楽しかったです!」


「昴ちゃん、また、うちにもいつでも来てね」


 また勝手なことを勝手に言ってる。

 昴はそれに微笑んで、ぺこりとお辞儀をして戻っていく。


「櫂、もう遅いから送っていきな」


「こんなに近いのにぃ……? ……わかったよ」


 徒歩六分くらいの道だ。なんとなく無言で歩いていたらすぐ着いた。少し手前で昴が「ありがとう、またね」と言って手を振り戻っていく。背中を見送って、家に戻った。


 家では母親が運転終わりとばかりにビールを飲んでいた。


「昴ちゃんちが大変なのはわかったけど、たぶん誰にもどうにもしてあげられないからね。息抜きさせてやるくらいしかできないね」


「そうなのか?」


「人のうちの家庭の事情だし。昴ママが変わるしかないのかもしれないけど……ご本人には悪気はなさそうだし……そういうのはもう性格だからねー」


「……」


「合わない親とは和解とか、よっぽどじゃないと難しいよ……あたしもなんだかんだで親とは縁切ってるし。もう大人になって、ほどほどに距離取って付き合っていくか、縁を切るか決めるしかないと思うね」


「……」


「まぁ、あたしも決していい親じゃない自覚はあるから……櫂、アンタも家出たら、その後親と関わっていくかは無理せず自分で決めな。あたしのことも、あっちのことも」


 なんとも答えようがないことを言われてしまい、黙って窓の外を見た。

 明るい花火に目が慣れてしまったのか、今日は夜の闇が濃い。


 自室に戻りスマホをなんとなく見ると、昴からメッセージが入っていた。


『花火、すごく楽しかった!』という文言と、その下に写真もあった。


 そこには満面の笑みの昴と、少しびっくりしたような顔で首だけ振り向いている俺が写っていた。


 花火、いっさい写ってねえ。




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