18.海を見た青
走っているうちに海方面に出たので、当初の予定通り海に向かうことにした。
太陽に雲がかかり、風が吹き、一時的に呼吸が楽になった。
「ヒェー……この風ずっと吹いていて欲しい……」
同感だが相槌を打つのも暑くてめんどい。
さっきからペットボトルの水をガブガブ飲んでるのに、尿気がこない。全部汗で出てるんだろう。昴は日焼け止めを塗りたくっていたが、あまり黒くはならない体質らしく、代わりに肌が赤くなっている。これはこれで痛くてつらそうだ。
そこから俺と昴はものも言わず海までの道を歩いた。なにかしゃべると暑さで消耗しそうだったからだ。
やがて、ビーチに着いた。
大混雑でもなく、閑散ともしていない。中にぎわい。水着も持ってきてないので、靴を脱いで足だけをつけた。
その遊びは最初の一瞬だけは楽しかったが、やがてすぐに背中と脳天が暑くて痛くなった。昴と顔を見合わせる。
「よし、海、見たな!」
「うん! 見たね!」
終了。二人とも証拠写真をパシャリと撮って、親に送信した。そんなことしろと言われてないが、それくらいしないと海に来た意味がない気がしたのだ。
うちの親には昴を入れて撮って送ってやった。
うっとうしいハートマークのたくさん入った返事が即来たので薄目で流し見してポケットにしまった。
「いやあ、海、すごかったねえ!」
「本当に海だったな!」
「さすが海だった!」
せっかく来た手前、海を適当に褒めちぎるが、あんな暑さでキャッキャできる人たちの気が知れない。
海、撤退。
駅前に戻る途中でまた暑さに耐えられなくなった。うつろな目で近場のカフェを見て昴を見ると、うんうんと頷くので、そのままフラフラと入った。
エアコンは素晴らしい。
もうエアコンと結婚したい。
店内は広くて天井が高く、ほんの少し薄暗く、小さな音楽がかかっている。でかでかしいシーリングファンが回り、椅子の種類が多い。少し大人向けなところに入った気がする。
ともあれ腰掛けて、二人そろってアイスコーヒーを頼んだ。
「あれ、櫂くんコーヒー飲めるようになったんだ」
「お前こそ……こんな苦いものは人類の敵だとか言ってなかったか」
「えへへ……お互い大人になったんだねぇ」
「コーヒーくらいでなれるもんかよ」
軽口を叩きながら息を吐いた。もう二度と外に出れる気がしない。
そこでぐだぐだと時間をつぶし、三時間ほど経ったころ、飲み物は三杯目になり、すっかり氷が溶けたグラスの下には結露が垂れていた。
俺はストローの袋と紙ナプキンで謎動物を作っていて、昴はミルクの殻をその動物の帽子としてそこにつけようとしていた。
「あれ、頭大きすぎる?」
「ガムシロップのほうがサイズ的に合うかもしれんな」
「うん。そっちにしよう」
やがて四つ足の、帽子を被った動物が完成した。
「なかなかカワイイ! 櫂くん名前つけよう」
「剛田さん!」
「却下。もっと可愛いの」
「山本さん!」
「うーん、適当だなぁ。横文字で頼む」
「ジャイアントボロゴッフ」
「なんか可愛くない。うーん、シロちゃん」
「完全に犬の名前だけど……こんな犬いないぞ」
「うん犬じゃないかなぁ。……でも、櫂くん昔からこういうの作るの無駄にうまいよね」
「無駄は余計だ」
高校生にもなったのに、こいつが相手だとついつい小学生のような遊びをしていることが多い。そもそも俺以外の普通の高校生男女ってなにして遊んでいるんだろう。ふと思い立って気になったことを聞く。
「なぁ、女同士ってふだんどんな遊びしてんの?」
「え、おしゃべりの比重が高いけど……お店見たり、美味しいもの食べたり、遊びにいったり、普通だよ」
そう言われても、想像がつくようでつかない。女同士で遊ぶ昴も、どことなく想像できない。クラスが違うので、昴が女子としゃべっているところは遠目にしか見かけないが、俺といるときよりは落ち着いていて、どことなく大人っぽい空気感をかもしている。気を使うと言っていたのでそこまではしゃいではいないのだろう。きちんと優等生をしている。もしかして中学時代も、そんな感じだったのだろうか。
「あ、ねぇ。櫂くん、さっきの搾乳にいたおじさん、なんか言ってたじゃない?」
「あぁ……」
ぜんぜん聞き取れなかったけど。
「あれなんか……すっごく滑舌悪かったけど、十八歳未満は入れないよ〜、みたいなこと言ってた気がする」
「……空耳じゃねえの。ただの雄叫びに聞こえたぞ。それに従業員にしては背が高すぎるだろ」
「塀の向こうの高さわからないから。なにかに乗ってたのかもだし」
「あんなとこで覗いていたら客は入りにくいだろ」
「でも、そもそもあそこ入りにくいし」
そこには同感だ。
それから、もしそうならどちらが十八歳未満に見えたか少し言い合ったが、どちらも頑として認めなかった。
カフェを出ると日が傾いていた。
じりじりとした暑さはまだあったが、全盛期の太陽に比べればいくらかマシだった。
「そろそろ行くかー」
「帰る」という表現はあえて使わなかった。
昴は「うん」とだけ頷いた。
昴は長く伸びている自分の影を、俺に寄せて攻撃したり、くっついたりを模してけらけら笑いながら遊んでいた。
*
電車を降りて、見知った街に帰ってくると、さっきまでの遠い街の冒険があっという間に過去になるような感覚があった。
俺と昴は家のほうに向かって歩いていたけれど、歩道橋の途中、なんとなく歩行を止めていた。
たくさん遊んだ日の夕方。今日が終わるのがもったいなくて、遊びは終わっているのに、まだムズムズした気持ちが終わらず、なかなか帰れなかった。そんな名もない日の感覚だけを思い出す。
それでも、日が落ちていき、時間が刻々と過ぎていることを伝える。
「じゃあ。帰ろうか……」
言い出したのは昴だった。
「もういいのか?」
「うん、三日の約束だしね」
「大丈夫そう?」
「うん。すごく楽しかったから、もうしばらくがんばれそう」
「そうか」
「櫂くんありがとうね。お礼にキスする?」
「うん」
「えっ……」
笑いながらの冗談みたいな口調の問いに頷くと、予想外だったらしく、びっくりされた。
できるもんなら、してもらおうじゃねえか。