15.木嶋櫂の部屋
「わあ! すっごく汚いね!」
それが俺の部屋を見た昴の第一声だった。
俺の部屋は混沌としている。
住んでいるうちに生活で汚れたというよりは、引越してからその片付けをしないまま使うものだけ段ボールからあさって出すという動きをしていたら、こうなった。
そもそも引越し準備のときもふてくされていて、目につくものをろくに選別もせず段ボールにぶちこんだ。そこから片付けるタイミングを逸してこのありさまだ。この間は昔着ていたパーカーを探していたら食べかけのポテチの殻が出てきた。もう自分でもなにがどこに入っているかわからないし、掃除とかいう次元のものではないのだ。
入ってしばらくはエアコンが効くまで、ただ座っていた。
「櫂くん、この間言ってた本ある?」
「え、どれ」
「えー、夏休み前に言ってたやつ。死んだ人が蘇って富士山と融合してお尻からロケットが出てそれが渋谷の街を壊滅させるんでしょ? そんなの絶対絶版だしちょっと読んでみたい」
「あれか……部屋が汚くて、どこにあるかわからん」
「あ、ねぇ、私が掃除する! それで自分で探す!」
「なんでわざわざそこまでして……本当につまらない本だって言ったろ。主人公が前世の記憶持ちだけどゾウリムシの生まれ変わりで、その設定まったく生きてないんだぞ! おまけにその……ただ生きてるだけの前世の生活の記憶だけで百ページ以上も……」
「掃除する! それこそ可愛い専属奴隷ちゃんのお仕事だと思うな。櫂くんからしたら部屋片付くし、悪いことないと思わない?」
あまりに役に立たない奴隷設定のことをすっかり忘れていた。ていうかこいつ今自分でぬけぬけと可愛いって言ったぞ。確かに顔は可愛いけど。
昴はいまだ雑に散らばる段ボールの群れを覗き込んで言う。
「ねぇねぇ片付けていい?」
「うーん、まぁいっか」
こいつに見られて困るようなものはパソコンの中にしかない……はずだ。
「櫂くん、タンスの中のもの、一回出すよ」
「え、なんで」
「一回着たものがぐっちゃぐちゃに入ってるから、畳まないと全部は入らないんだよ」
「好きにして」
「うん。櫂くんは座って漫画でも読んでてよ」
そう言われて手持ちぶさだったので、もう何度か読んだ漫画を広げる。しかし集中できずにちらりと見てしまう。
ものすごく鮮やかな手さばきで服を畳んでしまっていた。おお……これ、変に手伝おうとすると余計時間がかかるやつ。
なんとか漫画に意識を戻すと声が聞こえてくる。
「櫂くーん、この服、冬物だからこっちでいい?」
「いいよ」
「櫂くん、この服さすがにもう入らないと思うから捨てていい?」
「いいよ」
「櫂くん、これ嗅いでもいい?」
「やめろ」
「あれ、ちゃんと聞いてたんだ」
一応聞いてる。自分のものいじくられてるんだから、意識もチラチラ向けてる。
「あ、そうだ。この捨てる服、私がもらってもいい?」
「なんでそんなボロボロの……」
「いいでしょ。櫂くんはもう入らないけど私は着れるし、おさがり。部屋着にするの。文句あるのか」
語尾だけ言葉が強い。そして妙にキリッとした顔で言われて、気圧されて頷いた。
素晴らしい速度で衣料品を片付けた昴は今度は本類をまとめ出す。一応本棚はあるが、適当に置きすぎて入りきっていなかった。
「櫂くんこれ、小学校の教科書、どうする?」
「捨てる」
「あっ! この、中学のノート見てもいい?」
「やめろ」
「ぷくく……この落書き……先生なの?」
「見るな!」
「あ、ねえ、これ中学の卒業アルバム? 見たい。見ていい?」
「やめろ」
「櫂くん髪の毛ピンクだったんだね。でも、今とそんなに変わんないかな」
「やめろって……」
「あ、これ! 櫂くんの描いてた魔眼使いのノート漫画! これ最高に盛り上がったよね! 続きどうなったの? 賢者イグェンフィード様が“額に傷がある男”の魔眼で“黒色のマテリアル”に呑まれてから先……」
「ぎゃああぁあ! やめろぉおぉおーーーーー!!」
「イグェンフィード様、筋肉すごいよね……」
「だからやめろってえぇぇーー!!」
「櫂くん物持ちいいね。このノート漫画もらってもいい?」
「駄目に決まってるだろ! もういい! そっちは俺がやる!」
「えー、私がひとりでやりたいー。まかせてよ!」
「まかせられるか!」
落ち着かないので結局一緒になって片付けた。
数時間後、部屋はなんとなく人間の住処らしさを得た。本と衣類がメインだが、そこが片付くと残りの場所もだいたい決まってくる。あとは適当に空いてる引き出しに放り込めば終わるだろう。
そこらへんからは俺にしか配置がわからない領域に入った。手持ちぶさになった昴はすっかりくつろぎモードで、俺のベッドで読書をしていた。
「櫂くん、この本書いた人、ゾウリムシなのかな……。前世のゾウリムシ部分だけ臨場感がすごいね」
「それ半分くらい続くよ。……面白いか?」
「面白いよ。導入にちょっとあった人間のパートよりよっぽど面白い。ねぇ、これ本当は作者ゾウリムシだけで本を出したかったんじゃないかな」
「なるほど。そんなものは出せっこないから……前後に冒険を付けてそれっぽくしたと……」
「うん! これ、もしかしたら世界で一番面白いゾウリムシのフィクションじゃないかな」
「ほかになければ世界一かもな……」
俺の言葉に小さく笑いながら本から顔を上げた昴が「あ、部屋、だいぶ綺麗になったね」と感想を述べた。
「あぁ……ありがとなー」
引き出しの中はまだぐちゃぐちゃだけど……今日は疲れたからもういい。なんか飽きた。
午前中の猛暑と掃除でくたびれたのもあり、しばらくふたりで部屋にころがっていた。昴はベッドで本を読み、俺は床でスマホのゲームをしていた。だらしない夏休みの過ごしかた。
時計を見て、親が戻る前に少し早めに出ようと声に出そうとした時、玄関でガチャガチャと音が聞こえた。
「暑い、溶ける〜」と間の抜けた声がして、母親が玄関から入ってくる気配がして、心臓が飛び跳ねた。
「大変だ! 隠れろ!」
「えっ、まずいの?」
「普通に在宅時に連れてくるならまだしも、留守なのわかってて連れ込んで……シャワー浴びて俺の部屋にいるとか……なに言われるか……猛烈に面倒くさいから隠れろ!」
昴は忍者のような動きで素早くベッドの下に隠れた。
「櫂くん、櫂くんも急いで!」
「え、あ、わかった」
せかされてベッドの下に入る。
本当に狭い。
子どもの頃はこんなんじゃなかった、と思って自分の体のサイズがでかくなったからだと当たり前のことに気がついた。おまけに先客までいるのだから閉塞感は増す。
薄暗くて狭いベッドの下で昴と密着して息を殺す。
俺の喉に昴の息がかかる位置で、鎖骨のあたりが湿っていくのを感じる。
トントントン、と足音が近づいてくる。
昴が俺のシャツをぎゅっとつかんだ。
顔を見るとくすくす笑っている。
「なんか、こういうの……懐かしくていいね」
呑気なやつだ。
この状態で発見されたらなお悪いことになるというのに。
母親は半分くらいの確率で、俺の部屋のドアを開けて無意味に存在を確認することがある。今日は、どっちだ。
息を潜める。無意識に腕に力が入ってしまったのか、抱きしめられる形になった昴が「んっ」と苦しそうな息を吐いた。
足音は部屋の前を通り過ぎていった。
「なぁ……よく考えたら、俺は隠れなくてもいいんじゃないのか?」
「あっ」
「えっ、なんだよ」
「どうしよう……玄関に靴……」
「大丈夫だよ。あの母は雑で大雑把だから……気づかないだろ」
目の前の廊下を足音がパタパタと横切っていく。そして、そのあと玄関の扉が閉まるバタンという音がした。帰ってきたばかりだというのに、なぜか出ていった。うまくすればこの隙に出られる。
「俺、ちょっと見てくる」
「もう少しだけ……」
「え? う、うん……いいけど」
首のあたりに唇と息がほんのり触れるような感触があった。ぞくりとする。
「やっぱ駄目、出る」
「えー」
なんだか焦ってベッド下から這い出た。
狭いところにいたから酸素が薄く、少し息がきれているような感覚があった。
扉を出て、なんとなく確認するように玄関のほうを見ると、腕組みをした母親がこちらを睨みながら立っていた。
「うわ」




