チーズ作り
この異世界に飛ばされて2週間ほど経っただろうか。今はダンテの計らいで牧場に住ませて貰っている。
俺は午前中、牧場の手伝いをしている。牧場の朝は早く、日の出よりも前から牛舎の清掃や、乳牛達への餌やりなどの力仕事に勤しんでいた。
牧場では牛以外にも少数だが羊や鶏、馬に犬、豚なども飼っているため、同様に世話をしていくと、とてつもない仕事量になった。
初めこそ、動物好きで楽しんでやっていた俺だが、2時間もするとナメクジのように地面を這いつくばっていた。
研究職で身体を動かす機会が少なかった俺には、あまりにもハードで死を覚悟することもしばしば。
最初の1週間は半日働いただけで身体が動かなくなるほどだった。
そんな俺を見かねたのか、ダンテは午後からは自由にしていいといってくれた。
元々従業員の手は足りているらしく、好意に甘え午後はギルドで仕事を探したり、ニーナに文字の読み書きを教わっていた。ダンテさんには感謝してもしきれない。見た目に反してとても優しい人だ。
そんな中俺は今、工房でチーズを作っていた。
「ちょっとショウ! 鍋から目を離さないで。危ないでしょ!」
「……!? 悪い! 少し考え事をしていた」
牛乳を火に掛け、チーズのことを考えているとニーナに怒られてしまった。せっかくの牛乳を駄目にしてしまっては元も子もない。加熱しすぎていないか急いで指で温度を確かめる……どうやら無事なようだ。
「ところでショウはどんなチーズ作ろうとしてるんだ?」
「とりあえず簡単に作れるカッテージチーズを作ってみようかと思ってます」
俺の後ろから顔を覗かせ鍋の中を観察するダンテ。物で溢れ返っていた工房内の掃除を頼んだのだが、気になって仕方ないようだ。
ダンテの牧場で飼育されている牛はイグニア種と言うものらしく、脂肪分が多くコクのある乳を出す。
俺の居た世界で言えば水牛の父に近いだろうか。そのまま飲んでも非常に濃厚で上手い一品だ。
「ただこういったナチュラルチーズ作るのって、初めてなんですよね。知識としては多少知ってるつもりなんですけど……如何せん経験が無くて……」
「ちょうどいいじゃねえか! 俺達は経験だけなら豊富だからな!」
「胸張るところじゃないでしょ! ショウには美味しくないって言われちゃってるんだから……」
彼らが作っていたのは、保存性を重視している為かハードタイプのチーズなのだが、純粋に美味しくないのだ……水分が抜け切り、硬いだけでコクや風味といったものが感じられず、謎の酸味が口に残り、腐っているのかと思った程だ。
だが、これが彼らにとってはこれが普通のチーズらしい……もと居た世界のチーズと比べると雲泥の差だ。
こんなもの本場の生産者やチーズ熟成士が食べたら憤慨するか卒倒しかねないぞ。
想像出来ていた事だが、この世界のチーズの水準はかなり低い。
そもそも市場でチーズがほとんど売られていないのだ。貧困救済の一環として、捨て値で教会が販売しているらしく、ニーナ達も家で消費する以外は主に、教会に格安で卸しているそうだ。
「まあまあ、好みは人それぞれだからさ。ニーナ、そろそろいい感じになってきたからレモン汁取ってくれるか? そろそろ完成だ」
「はいどうぞ。ホントにそれだけでチーズができるの?」
レモン汁の入った皿を両手に持ちながら不思議そうに首をかしげる。無理もない。カッテージチーズは60℃程に加熱した牛乳に、酢や柑橘果汁を入れて水分を濾すだけという至って簡単なものなのだ。
俺は牛乳を火から外し、受け取ったレモン汁を入れると手早くかき混ぜた。
すると、牛乳に白いぽろぽろとした塊が浮き上がってきた。これは牛乳内のたんぱく質カゼインが、熱と酸を加えたことで変性し、カゼイン粒子同士が凝集した結果だ。その白い塊こそがカッテージチーズなのである。
「わあ、何か浮かんできたよ! 」
「ホエイとカードみたいだな。味見してもいいか?」
「少しだけ待ってください。水気を切って塩で加えたら完成ですんで」
二人は待ちきれんと言わんばかりに、スプーンを手に待ちこちらを凝視してきた。急ぎ布で濾し取り、塩で味を調える。
完成したと見ると、目にも留まらぬ速さで口へと放り込んでいた。俺も二人に続き急いで口に運ぶ。
「んん~、おいしい! クセも無いし、ほのかに香るミルクの甘い香りと、レモンの風味が爽やかでさっぱりしてるね!」
「うん、なかなかいけるな……もう少し塩気を足して、ワインでグイッとやりたくなってきた」
「ワインですか! いいですね~、俺も飲みたくなっちゃいましたよ。今回は牛乳を使ったんですけど、代わりにホエイを使ってもおいしいですよ。リコッタチーズって言ってカッテージチーズに比べて甘みが強いんです!」
ダンテは口をモゴモゴさせながら何やらメモを取っているようだった。俺がカッテージチーズを作っている際も後ろで覗きながらせかせかと走り書きをしていた。バレると怒られるかもしれないが、ダンテがメモを取っていることに心底驚いた。見かけによらず意外とまめな正確なのかもしれない。
「出来立て食べたせいかな……なんだか身体の芯が熱くなってきちゃった……」
そう言うとニーナは、右手で服の襟をパタパタと仰ぎ熱を逃がしていた。
確かにチーズを食べてから熱を持ち始めている。何故だろうか、身体の底から力が湧き上がってくるような不思議な感覚が全身を駆け巡る。
手足を眺めて見ても、何も変化はない。しかし、よく見ると薄らとだが光を帯びていないか?
目を擦ってみても変わらない。こんなこと、今までに経験したことのない現象だ。
自身に起きている異常に困惑していると、突如工房の外から空気を切り裂くようなモニカの悲鳴が飛び込んできた。