決意
飾り気の無い、石造りの大きな納屋のような見た目とは裏腹に、工房内は非常にごちゃごちゃと物で溢れていた。牛乳を加熱する際に使うであろう大鍋や様々な調理器具、何に使うのか見当もつかない物などなど。
それらに埋もれながらも大柄なダンテは頭ひとつ飛びぬけており、すぐに居場所が分かった。
「うん? どうした二人とも。散策は終わりか?」
「愛しい父上のお顔を少しでも早く拝見したく、急ぎ帰った所存です」
父を前に戯けるニーナ。ダンテはまたいつものか、と言わんばかりに肩をすくめため息を吐く。二人の様子からもニーナは見た目道理普段から剽軽な性格なことが伺える。
「俺が頼んだんです。前居た世界ではチーズ作りを生業としていたので興味あるんです。よければ見せてもらえませんか?」
「本当か!? ニーナ信じられるか? 俺達の出会いは偶然なんかじゃなかったんだよ! 運命だよ運命!」
「流石に気持ち悪いよ父さん……ほら、ショウが驚いて固まっちゃってるでしょ」
人が変わったように目を見開き、鼻息荒く俺の肩を鷲掴み揺するダンテ。この巨漢の男の豹変振りに恐怖し、ドン引きしているとニーナが言った。
「父さん、チーズの事となると人が変わるから、ここには案内したくなかったんだ……」
「いや~うちの家族はニーナ以外チーズに興味を示さなくてね。だからこそ! 同士が増えて嬉しいぞ、ショウ!」
「興味ないのはうちの家族だけじゃないでしょ! そもそも世の大半の人はチーズなんて食べないし……」
ニコニコ嬉しそうに俺の左肩を叩き出したダンテ。今、そんなことすら眼中から吹き飛ばすような言葉が聞こえてこなかったか?
「ニーナ、今チーズが食べられてないって言ったけど、まさか大げさに言った、とかじゃなく本当に食べられてないのか?」
「えっ? うん。余程のことがないと普通は食べないよ。文化的なものかな」
「残念だが本当のことだ。この世界じゃチーズは貧乏人の食べ物として定着しちまってる。肉も買えないような貧民が、肉の代わりの保存食として食べていたことから貧者の肉、なんて蔑称まで付けられてる」
「女神のキュリオス様がチーズ嫌い、っていうのもあるんじゃないかな? 帝国はキュリオス教が主流だし、昔から信徒はチーズを食べないって、よく聞く話だよ」
貧者の肉……まさか自分が曲がりなりにも携わってきた事が、心血を注いできたものが真逆の扱いを受けているなんて。日本どころか世界中で並の肉より高級なチーズが…………
待てよ。確か昔フランスの方でも似たような事が――
「貧者の肉だなんて……俺のいた国じゃ肉より高価ですよ……」
「そうだとも! そうあるべきなんだよ! あまりにも冷遇されすぎている。そうは思わんか、ショウ!?」
右手の拳を強く握り締めるダンテからは熱い思いが漏れ出ていた。ニーナもチーズに対して熱い思いを持っているようで――
「実は私もチーズ大好きなの! 世界中を旅して、父さんのチーズを……いや、チーズ食文化を広めたいと思っているの!」
チーズをこの世界に広める、か……ニーナのその一言が俺の胸を熱くさせる。
俺が他の人より秀でている事は何だ? チーズに対する知識なんじゃないか? この世界にチーズ文化を広め、プロセスチーズをこの世界で作ることが俺に与えられた使命なのではないのか?
そんな考えが湧き上がり止らない。
だが、異世界にならではの騎士や、冒険者といった世界に飛び込み成り上がる、そんなサクセスストーリーを夢見たい気持ちも強い……
「ダンテさん、俺はこの世界で何がしてみたいのか、何ができるのか、正直まだ分かりません。よければそれまでは……この世界での身の振り方が決まるまでは、この牧場に置いて貰えませんか? チーズ作りを手伝わせて欲しいんです! なんでもします! 牧場仕事もやります!!」
ダンテが言ったようにこの出会いはきっと偶然なんかじゃない。他にやりたい事が見つかるまでは、彼らと手探りの夢を追いかけるのも、きっと有意義なものに違いない。
この世界にチーズを広められたなら、きっと俺の生きた足跡は大きな物になるに違いない。そのための小さな一歩目が、きっとこの出会いなんだ……
「もとより追い出す気なんてさらさらねぇよ。できる範囲で手伝ってくれればいいさ、歓迎するぜ!」
「改めてよろしくね、ショウ!」
二人と握手を交わした時、俺はようやくスタートラインに立った様の思えた。