8:まちがい
「悠兄」
「あったよ、緑のパステル」
町の画材店でも、悠兄の顔色は蒼かった。色とりどりの絵の具や、大小さまざまな筆が並ぶなか、彼は何度も深い息をついた。
僕の気持ちも、どこか重い。
「これが、パステル。色鉛筆じゃないんだ」
「そうだよ」
パステルは太く、微妙な色の差で順番に並んでいる。綺麗な濃淡はそれだけで価値がありそうだ。試しに手にとって用紙にこすりつける。芯は粉になり、蝶のリンプンのように細かい。
「じいちゃんも、ついにボケがはじまったか」
「そうかな」
山荘では、小夜子さんが僕達の帰りを待っていた。頼まれていた物をさしだすと、受けとって笑う。
「ありがとう。今日の夕飯はね……」
「お姉ちゃん、じいちゃんに会ったよ」
「おじいちゃんに?」
その続きは悠兄が口にする。
「そう。おかしなことを言っていた。少し、ぼけはじめたのかな」
「暑いからじゃないの?」
「そんな感じじゃないんだ」
「――そうなの」
小夜子さんがキッチンへ姿を消すと、悠兄も仕事部屋へ向かった。彼を追いかけて部屋へ入ると、椅子に腰かけた悠兄がこっちを見ている。顔色が蒼く、表情も硬くこわばっていた。
「貴史」
まるで貧血をおこしたような彼の様子に戸惑いながら、側まで駆け寄ると肩をつかまれた。指が食いこんで骨でとまる。
「痛いよ、悠兄」
「どういうことなんだ」
うつむいた彼から、かすかに声がもれた。力のこもった指先が小刻みにふるえ、白くなっていた。やがて顔をあげて、悠兄は僕を見すえる。蒼白な顔は像のように動かず、整っていた。
「じいちゃんが、ぼけているんだ。そうだな、貴史」
流れる汗が、硝子細工のように滑りおちていく。
「小夜子はここにいる、そうだろう?」
「うん」
泣きたくなった。どちらが間違いであるかは、明きらかだった。
「お姉ちゃんはここにいるよ。じいちゃんがぼけているんだ」
悠兄は力なくデスクに顔をふせた。つかまれていた腕が赤くなり、熱を帯びる。それでも、悠兄の指の冷たさが残っている。