1. 追憶 ~ 黄昏のプレリュード ~
あの女性と私が出会ったのは、ちょうど10年前。
秋の夕暮れ時だった。
夕陽が投げかける銅色の光も段々と消えていき、宵闇がそろそろと辺りを浸し始める時刻。
「えーん、えーん、えーん……」
細い路地で、私はひとり、泣いていた。
犬の散歩中にリードが切れ、逃げられてしまったのだ。
――― 一生懸命、名前を呼んで、あちこち探しまわったのに、犬は見つからなかった。
周囲は次第に暗く、寒くなってゆく。
当時10歳だった私は、悲しさと心細さで、ついに泣き出したのだった―――
よく通る女の人の声がしたのは、そんな時だった。
「どうかしたの、お嬢ちゃん?」
細い黒縁の眼鏡とおとなしめな服装。長い黒髪を黒いゴムでひとくくりにした女性。
地味だが、その姿勢はまっすぐで、きれいな言葉遣いにも、一本通った芯のようなものが感じられるひとだった。
「……迷子ですか?」
一呼吸おいて、彼女の連れの男性も、丁寧に聞いてくれる。
こちらは、整い過ぎてともすれば冷たく見える顔立ちを、柔和な雰囲気と薄くなりかけた頭が絶妙にカバーしている。
――― なんだか、ものすごく 『お似合い』 のカップルだと思った。
私は、泣くのを忘れて彼女らに見とれ、それから、ぐずぐずと鼻をすすり上げつつ訴えた。
丸きり信用したわけではなかったが、頼れる大人というと、その時は、この人たちしかいなかったからだ。
「リードが切れて、ポチが逃げちゃったのー」
「ふむ、それは困ったわね」
その女性は、形良く整えられた長い眉を跳ねあげ、それから―――
その後に彼女がとった行動は、鮮やかに私の心に焼き付いて、離れないものとなったのだ。
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「ほれ、とっておいで! ワンちゃん!」
「あおん!」
舞台の上では女王・シヅルが見事に客を亀甲縛りに処し、靴を投げて四つ這いで取りに行かせている。
それを見て、静那はまた、クスリと笑みを漏らした。
「そういえば…… あの子も、もう、これくらいの年ね……」
「ああ、あれから、もう10年になりますね……」
昭野が静那の足下で、懐かしげに振り返る。
10年前の、ある秋の夕暮れを。
――― それは、ふたりが婚姻届を役所に提出した帰り道での出来事だった。 ―――