新天地
『でもなリクやん。ミズはんやったら男の安全は大丈夫や。絶好の実験対象を粗末には使わへんて』
『死ぬことはないだろうが、トラウマは植え付けられるだろ?』
魔女の事だ、すぐにどうこうするよりも男の持つ情報を知りたがるだろう。
サンプル扱いで丁重に扱われるとは思う。
『それにワイが世界の記憶を使えへん以上、瞬間移動でもっかい入れ替わるのは無理やわ。今はやれる事しとかんとしゃーないって』
正論ではある。
信じたくはないが魔女を信じるしかない。
いずれ私が元の世界に戻る時に入れ替わるしかないのだ。
風吹には悪いがどうすることも出来ないのだった。
翌日の夜のことだ。
私の住む部屋に親分さんがやってきた。
「リクさん、体調は戻りましたか?」
「おかげさまで。風吹には献身的な看病をしてもらいありがとうございました」
親分さんが「それはよかった」と私の横に座ると、付き人の男が襖を閉める。
親分さんが頼み事をする時、必ず2人っきりになりたがるのだ。
アカさんとソラは人として数えていないが。
「病み上がりのところを申し訳ないが、リクさんに頼みがあってな」
「私で良ければ」
今までにも2度、親分さんからの頼みを聞いている。
魔道のことは話していないが、海斗から私が怪我を多少なりとも治したことは伝わっていた。
1度は海斗の同僚が怪我した時に。
もう1度は怪我はしていなかったが、歳のせいか体の調子が悪いという親分さんに。
私も衣食住を世話になっているので、頼みに応じていた。
「海斗の仕事場で怪我をした人がいるんだが、また治してやって欲しい」
「分かりました、海斗の所に行けばいいんですね?」
「いつもすまないな。明日の朝、海斗が迎えに来る。しばらくはそっちで寝泊りになるだろうがよろしく頼む」
親分さんは私の肩を叩くと笑顔で部屋を出ていった。
風吹には合わせる顔もなかったので、ありがたい話だ。しばらくという言葉も変だが、行ってみれば分かるだろう。
『リクはおかしいと思わないにゃ?』
ソラは私の横に来ると、あぐらをかいている膝の上に飛び乗った。
『この世界の医療はリクの魔道よりよほど進んでるにゃ。何かあるにゃ』
『じゃあソラはここを出て行くか?』
『……そうは言ってないにゃ』
ソラの言ってることは私にもよく分かっている。
簡単な治療スピードなら魔道の方が上だが、重い怪我であれば私の出番などない。
私の回復魔道など、ちょっと便利な程度でしかないのだ。
『アカさんはどう思う?』
『ワイに言えるのは、リクやんの環境は恵まれとるってことだけや』
『だな』
衣食住だけではない。
親分さんがいなければ、あれほど大量の書物など私たちが持つことなど出来なかった。
私の病にしても、ここにいなければどうなっていたかは分からない。
『分かったにゃ。もうこれ以上言わないにゃ。なんかあったらあちきに任せるにゃ』
『それやったらワイやろ?』
戯れる2匹を横目に、私は床に就くのであった。
朝になると元気な声が飛び込んでくる。
「リクさん、おはようございます! さっ、行きましょう」
「海斗、よろしくな」
門の前には黒塗りの車が用意され、後ろの扉が開かれる。
見送りに親分さんも出て来ていた。
「それではリクさんお願いします」
私は会釈をして車に乗り込んだ。
運転席には海斗。
後部座席には私とアカさん、ソラ。
海斗がボタンを押しエンジンがかかると、アカさんもソラも落ち着きなく周りを見渡す。私もだ。
なにせほとんど親分さんの家で過ごしてきたので車に乗るのは初めてなのだ。
細かな振動も車が動き出すと徐々に小さくなっていく。
流れる景色。思った以上のスピードだった。
「海斗の仕事場は遠いのか?」
「車で20分くらいですよ。すぐに着きます」
そんな会話をしていると、アカさんがグッタリとした顔つきでこちらを見上げる。
『リクやんこれはあかん。これはあかくぼぇー!』
私の腿の上で盛大に吐くアカさん。
まだ走り出して3分程度だが、これが車酔いなのだろう。
「すまん、海斗。ちょっと止めてくれるか?」
「あっ、はい」
車を止めてアカさんを見た海斗は急いで大量のティッシュを取り出した。
「猫って酔うんですね。どうします? どこかで着替えますか?」
「いや、近いのならこのままでいい。車を汚してすまないな」
「車のことは気にしないで下さい」
置いて行くことも出来ず、目的地に着くまでにアカさんが吐くこと3回。
車を降りる時には一言も喋らぬ廃人のように横たわっていた。
『ソラは大丈夫か?』
『あちきは大丈夫にゃ』
ソラはアカさんに『ご愁傷様にゃ』と前足を乗せていた。
着いた場所は自然にあふれていた。
ここは山なのだろう。
見下ろすと小さくなった街が遠くに見える。
大きな門をくぐり砂利道を少し歩くと木造の建物がいくつか建っていた。
建物を通り過ぎさらに細道を奥へと向かうと、もう1つ2階建ての建物が見える。
「いったんあそこに入りますね。まずは着替えましょう」
中に入ると一室に案内され、私は用意された白い作務衣に着替える。
部屋を出ると海斗が待っており、別の部屋へと案内される。
アカさんを横に寝かせ私が座ると、対面に座る海斗。
いつになく真剣な表情だ。
「リクさん、しばらくすると何人かが下の建物にやって来ます。リクさんは何も言わず、その方達の痛みを和らげて欲しいんです」
「……海斗」
「すいません。夜には事情を説明します。今はまだ何も聞かないで下さい」
私は続く言葉を飲み込んだ。
ソラも私を見上げたが何も言わなかった。
「分かった」
安堵の表情を浮かべる海斗。
私は一抹の不安を覚えながらも、海斗に連れられて下の建物へと向かうのであった。