猫二匹
「リクさん、ご飯の用意が出来ましたよ」
「分かった。今行く」
髪を後ろに流し額をあらわにする青年、海斗が私を呼びに来た。
海斗はあの時に助けた男である。
あれから1ヶ月。
私がこの世界の言葉や常識を覚えることが出来たのは、海斗の存在は大きい。
海斗に出会ってからの出来事を、少し記しておこう。
――――
海斗に案内されたのは大きな建物だった。
知識の増えた今なら説明出来るが、純和風で歴史のありそうな平家で、庭には池がある豪邸。
海斗の家ではなく、血の繋がらない親の家。
もちろん当初は言葉が分からなかったので後から知ったのだが、海斗の仕事では働くうえで頭である人間と親子の契りを交わすらしい。
ヤクザと呼ばれる職業なのだが、話を聞く限りでは元いた世界でいう傭兵に近い。
店などを守ってお金を貰ったり、街が災いに襲われた時に先頭に立つ仕事だ。
中に入ると屈強な男達が出迎え、しばらくした後に海斗と契った親が出てきた。
私が現在、親分さんと呼んでいる男だ。
親分さんは割腹が良く顔に傷のある初老の男だが、静かな迫力と雰囲気を持っている。
海斗がなにやら話をすると、私を一瞥し軽く頭を下げた。
別の部屋に案内されると、すぐに料理が用意される。
1つ大事なことを言っておこう。
この世界の料理はめちゃくちゃに美味い。
元いた世界で食べてきたのはペットの餌かと思える程に。
見たことのない食材に、至福の味。
ちなみに私を虜にしたのはジャガイモ。その時出されたのは筑前煮と呼ばれるものだったが、あの感動は生涯忘れないだろう。
食事が終わると色々と話しかけられた。
言葉は通じないが、海斗が身振り手振りを駆使してコミュニケーションをとってくる。
どうやらここで泊まれと言っているようだった。
一宿一飯にあずかり、朝方出発しようとしたのだが、またしても海斗に引き留められる。
ソラとも相談して、しばらくは厚意に甘えることになった。
私は休息地を得て頻繁にアカさんを呼び出した。
アカさんから現地語を習ったのだ。
海斗の喋りから出る空気の震えを素早く解読して、情報を私に流す。
ついでにソラも情報を貰っていたのだが、不慣れに加えてかなりの情報量。
『もう限界にゃ』と何度もくじけていた。
1週間もすると、辿々しくも現地語を話せるようになっていた。
不思議な事にソラが何を喋っても、現地人には「ニャー」としか聞こえないらしいが、今にして思えば幸いだった。
やはり喋る猫などいないのだから。
そう、ソラは猫と呼ばれる動物だと知ったのもこの時だった。
言葉を覚えると、次は世界の情報を覚える。
やはり最適なのは書物だ。この世界にも広く普及していたが、文字を覚えるのは言葉以上に大変だ。
そこで問題が起きる。アカさんは書物を読めなかった。
『あかんわリクやん。ほらワイって視覚がないやろ? この世界の書物は手書きで書かれてへんねん。筆跡があれば読み取りやすいけど、平面過ぎて苦労するんや。もろてる魔塵粒子量じゃ解析には足りへんわ』
そこで出てきた案がソラである。
いっそアカさんも猫に融合してしまえ作戦である。
生き物に融合してしまえばアカさんにも感覚が宿る。
ソラが私と同じ視界を持っているのは確認済みだ。
ソラを離脱させる事が最初の課題だ。
実験にあたりソラが一番心配していたのは、抜け出た後の猫の体である。
離脱出来てもそのまま猫が死亡してしまえばソラには帰る体がない。そのままソラが消滅する可能性もあるため、『あちきの命が最優先事項にゃ!』と喚いていた。
いっそ人造人間の実験も同時に行いたいところだが、さすがにそんな設備はなかった。
念のために海斗にお願いすると、弱った若いキジトラ模様の雌猫を用意してくれた。首を傾げながらも頼みを聞いてくれる海斗はいい奴だ。
『ほな実験開始といこか』
ソラの体に両手をかざし魔塵粒子を注いでいく。
ソラ自身、魔塵粒子の扱いが慣れているのですんなりと受け入れていくのだが「はにゃ。こ、これは天にも登る気持ちにゃ」と違う意味で昇天しかけていた。
しばらくすると猫の体から青い粒子が立ち昇り、かろうじて女性と分かる姿を形成していく。
ボヤけているわけではない。少々起伏の少ない体つきの為に判断しずらかったという意味だ。
精神体に近い存在なので何も身に纏っていないのだが、少し膨らんだ胸では判別しづらく、股間にあるべきモノが無いので女性と分かるだけだ。
『ちょっと、ジロジロ見ないでよ!』
言葉遣いから「にゃ」が消え、とっさに胸と股間を手で隠すソラ。
安心して欲しい。興味があるのは離脱の結果であって君の裸ではない。
初めて見るソラの人間の姿は、切れ長の目に鼻筋の通った整った顔つき。
顎まで伸びた髪に、前髪は眉毛のあたりで切り揃えられている。
顔つきや体の大きさを見る限り大人と呼ぶにはまだ早い年頃のようだ。
『リクやん、成功やな。さっ、戻してみよか』
そのまま猫に戻る実験に移行しようとすると、ソラが拒否をする。私やアカさんの力を借りずに自分でしたいというのだ。
本当の目的は思念体をいかに猫の体に融合出来るかなのでその経緯をソラが独占では不味いのだが、アカさんは情報を読み取れるとオッケーを出していた。
私は渋ったのだが『ちゃんとリクやんにも情報渡すさかい』との言葉に渋々了承した。
短時間の離脱のおかげか猫の体に問題はなく、ソラは簡単に融合を果たす。
『うまくいったにゃ。これであちきも……』
と独りごちるソラを横目にアカさんの実験が始まる。
『ワイの入る肉体は選ばれへんのか?』
などとアカさんは言っていたが、せっかく海斗が用意してくれた猫がいるのだ。
私のはやる気持ちは抑えがきかないし、文句を言ってるようでアカさんに拘りがあるわけでもない。
猫の体に魔塵粒子を馴染ませると、アカさんを形取っていた煙がスッと中に入り込む。
グッタリとしていた猫は起き上がると、元気に走り出した。
『リクやん、すごいでこれ! ワイ、動いとるで! 景色が見えるで!』
初めて手にした感覚にはしゃぎ回るアカさん。
こうして私のそばにいる猫は2匹に増えたのだった。