研究対象
魔獣は低く唸りを上げると頭を低く沈め、背中を丸ませる。尻尾は根元から立ちあがり先端が垂れるような弓なりの形をとると、魔獣の身体に流れる魔塵粒子が活発に廻り始める。
これは面白い。
私が今まで対峙した中で、これほど巧みに魔塵循環させていた魔獣などいない。
魔塵循環とは魔道を使う者にとって基本であり基礎である。
体内に無駄無く循環させることで、魔道発動時間の短縮や肉体強化に繋がる。
新たな出会いに喜びを覚えた私は、更に精度を上げて魔塵循環を行う。
少ない魔塵粒子量とはいえ、活発な循環は体表面にも現れはじめ青い粒子が煌めくように舞い上がる。
「まっ、待つにゃ! あちきは敵じゃにゃいにゃ!」
――この魔獣……喋ったぞ! しかも私に分かる言葉で!
好奇心が膨れ上がり、思わず笑みを浮かべてしまう。
生唾を呑み込み笑顔を見せた私に恐怖を覚えたのだろうか? 魔獣は耳をペタンと倒して姿勢を低くする。
降参のポーズだろうか?
「お前、私の言葉が分かるか?」
「わ、分かるにゃ。逆にあちきの言葉が通じてビックリにゃ。それよりその荒ぶったモノを鎮めるにゃ」
これは大きな収穫だ。魔獣に逃げられるわけにはいかない。
私ははやる気持ちをこらえて魔道循環を抑える。
魔獣は安心したのか、地面に降りるとペタリとお腹をつける。
「で、お前はこの世界の魔獣なのか?」
「そう魔獣……って違うにゃ。詳しくは言えにゃいけど、これは仮の姿にゃ」
真っ黒な体躯は魔獣と呼ぶに相応しいのだが、仮の姿とは……。
魔獣が逃げ出さぬように捕まえると、じっくりと話を聞くために地面に腰を下ろす。
魔獣は私の腕の中で「クチャッ」と短く舌打ちした。
手っ取り早く調べるために再びアカさんを呼ぼうかとも思ったのだが、まずは話を聞いておこう。
「そんなに警戒するな。私はリクアスラ=バッジアン。魔道の探究者だ。とある魔道の実験でここにやって来た。この世界の情報や仮の姿の説明を貰えるかな?」
「あちきはソラミスにゃ。ソラって呼べばいいにゃ。リクには悪いけど、あちきも余りこの世界の事は知らないにゃ」
いきなり呼び捨てとは馴れ馴れしい魔獣である。
まぁ私も似たようなものか。
私の質問にソラはゆっくりと答えていく。
曰く、ソラ自身は元いた世界では絶世の美女で、何一つ不満の無い生活を送っていたらしい。
だが、それを妬む魔女にこの世界に飛ばされてしまった。
見た事も無い場所で目覚めたソラは自分が透けている事に気付いた。肉体ではなく精神体として飛ばされたのではないかと。
時間と共に透け具合が増していく体。
死を直感したソラが咄嗟に行ったのは、この世界の魔獣の中に取り入ること。恐らく憑依と呼ばれるものだろう。
興味をそそる話だが、ソラは何故そんな事が出来たのかは分からないそうだ。
魔獣と融合する事でこの世界に定着したのだろうが、魔獣から抜け出すことは叶わなかった。
それから昼と夜を7回繰り返す中でこの世界を観察したが、言葉もこの世界の事もさして分からない。
そこで魔塵粒子を混ぜたフェロモンを撒き散らしていたところに私が現れたらしい。
魔塵粒子を使えるソラは、私と同じ世界の出身かもしれない。
言葉が通じるのだから可能性は高いだろう。
だが話の中で特定の共通点は見つけられなかった。
「今まで食べ物はどうしてきたんだ?」
「飯かにゃ? あちきがチョコンと座ってるだけで飯をくれる人間は多いのにゃ。食うには困らないにゃ。この世界の飯は美味いのにゃ」
ソラはゴロゴロと喉を鳴らす。
それって物乞いでは?
元は絶世の美女だったと豪語しているソラだが、意外とプライドは低そうだ。
「食べ物の事は分かった。他に情報は……なさそうだな」
これ以上ソラから得られる情報はないとの結論に至った私は、再びアカさんを呼び出す。
人差し指から出た煙が形作られると、陽気な声が頭に響く。
『おっ、リクやん。えらく早いお呼び出しやな。どうしたん? あー、なるほど。新しいオモチャを見つけたんかいな』
私は念波でソラの話をアカさんに伝えた。
ソラはアカさんに警戒してか「ウウウー」だの「ニャー」だの威嚇している。
『なるほどな。まぁ、このネェちゃんの話に嘘は無さそうやな。ソラミスなぁ。確かに世界の記録に記録されとるわ。リクやんと同じ世界の住人やな。えっと――』
言葉を遮ってソラが「シャーッ」と大きく鳴いた。
アカさんがその煙を歪ませ、一瞬口角を上げたような気がする。
『まぁ、ネェちゃんの素性は別にええやろ? リクやんが知りたいのはこの世界の有機体にネェちゃんが入り込んだ事やろ?』
まぁ、ソラが何処の誰だろうと関係は無い。
気になるのは魔獣との融合の方だ。
『普通ならあり得へんわ。元々の精神体に追い出されるのがオチや。偶然やな』
『偶然?』
アカさんは実体も無いのにポリポリと頭を掻く仕草をする。
『そやな。これは推測やけど、元いた宿主が弱り切って亡くなる寸前やったんやないかな。そこにたまたま波長の合ったネェちゃんが入り込んだっちゅう訳や。そんな記録は今までにあらへんかったし。今のワイの魔塵粒子量じゃ調べる事も出来へんわ。ただ……』
アカさんはやけに長い間を取った。
『理論上、ネェちゃんがその身体から出るのは可能や。もちろん話聞く限りじゃ長時間離れたら消えて無くなるんやろけどな』
『そうか。実験が必要だな』
『リクやんも好きやなぁ。おっ、そろそろ時間や。またなリクやん、ネェちゃん』
それだけ言って少年の形をした煙はかき消えた。
結局、進展はなし。この世界の情報も無しだ。
ソラはアカさんがいなくなると安堵したかのように力を抜いた。
「リクはすごいにゃ。今のは精霊かにゃ?」
「あぁ、そうだ」
もちろんアカさんとの会話は念波を通してあるので、ソラが内容を知るはずもない。
私としてはソラを手元に置いておきたいところだ。
「リクはこれからどうするにゃ?」
私が話すよりも先にソラから今後の事を聞かれる。
「まずは魔塵粒子の回復だな。安全な寝床と食事の確保が急務だ。回復してからこの世界の情報を集めるさ。ソラはどうするんだ? このまま魔獣生活か?」
「それは嫌にゃ。リクについてくにゃ。ついでに元の世界に戻して貰うにゃ」
元の世界に戻るとは一言も言っていないのだが……まぁいずれはそうなるか。
それよりも新たな魔道の発展にはソラが必要だ。
「分かった。よろしくな、ソラ」
「よろしくにゃ」
こうして私は、この世界を共に渡り歩く相棒を得るのだった。