臨戦態勢
どれほどの時間を呆然としていただろうか?
私は多数の現地人に注目されていたようだった。
足早にその場を後にして、人気の少ない場所に移動する。漆黒の外套をなびかせて余韻に浸る夢は消え去っていた。
ようやく落ち着きを取り戻した私は体内にある魔塵粒子をかき集め、右手の人差し指から空中に放出させる。
ふわりと浮かんだ青白い煙が集まると、小さな子供を形取っていく。
『おぉ、リクやん。瞬間移動成功やな。なんや、そのツラは? もっと喜んだらえぇやん』
頭の中にアカさんの大きな声が響く。
精霊との会話は念波で行うのだが、あまりに話してると頭が痛くなるのが難点である。
『アカさん、ここはどこだ?』
『ここか? んー、知らへん。ほらリクやんのリクエストは転移出来る場所の探索やったやろ? 条件の当てはまる波を探しただけで、それ以外のことは調べてへんよ』
やっぱりか。
私も瞬間移動に集中していたので、転移先の事など気にしてはいなかったが、この精霊は頼まれたこと以外+αのフォローがない。
『じゃあ、改めて頼むよ。世界の記録からここの情報を引き出してくれ』
『えぇよ。うーん。……あのなリクやん。情報なしやな。記録されてへんわ。つまりワイらの知っとる世界から外れてるっちゅうこっちゃ。なんでワイがここの波を拾えたかも分からへんわ』
世界から外れてる……。全く違う時空世界へと瞬間移動したってことか?
大きく息を吸い込むと、微かな魔塵粒子が肺へと吸収されていく。
元いた世界より薄いが、とりあえず問題ない。
呼吸も出来れば体に感じる重さも不自然さはない。ここがどこかは別として世界構造的には大きな違いはないようだ。
新しい研究だと思えば楽しめるだろう。
『……仕方ない。今から情報を集めるしかないな』
『おぉ、さすが前向きのリクやんや。ワイも手助けするで。っても周りの魔塵粒子も少ないし、もろた量だけじゃそんなにいられへんわ』
アカさんはいわば思念体である。
どこにでも存在しているが、どこにも存在してないとも言える。
私が魔塵粒子を使って意思疎通しやすい形を作っているだけで、その粒子を使い切れば霧のように消えてしまう。
もちろん何度でも呼び出すことは可能だが、ここの魔塵粒子濃度では私の回復が間に合わなそうだ。
元いた世界ならともかくこちらの世界で乱発すれば、私の体内にある魔塵粒子が枯渇してしまう。
『リクやん、簡単な解析結果だけ送るで』
『あぁ、頼む』
煙が私の頭をグルリと1周回ると脳に情報が入ってくる。途端にズシリと頭を重く感じるのはその代償だ。
これがアカさんのすごい所であり、記録を冠とする精霊を名乗れる所以。
アカさんは世界の記憶から取り出した記録や、解析した情報を受け渡す事が出来るのだ。
情報は記憶の一部として残るのだが、この量が膨大だと脳が耐えきれず廃人まっしぐら。もちろんアカさんはその辺りを弁えて送ってくれる。
『ここらが限界やな。んな、リクやん、また呼んでーな』
アカさんは頭の上で敬礼のポーズを取ると、風と共に掻き消えた。
私は記憶を探るように情報を取り出していく。
元いた世界と比べて大気中の魔塵粒子濃度は12%で極微小な毒物も確認される。しかし体内治癒で十分対応出来る範囲だ。
大気中には別の微弱粒子が飛び交っているが、大きく人体に影響を及ぼす程ではない。
地面や建物などの物質も元いた世界とそう変わらない。だがそれは根源的なという意味であり、組み合わせや加工といった変化に富んでいるようだ。
アカさんから送られた情報はこの世界の基本的な情報のみ。
生態系や文明などはまた調べて貰う必要があるだろう。
その為には安全に休める場所と、食を確保しなければならない。
つまり魔塵粒子の安定した回復が最優先事項である。
私は周囲に注意を払いながら、あてもなく歩き出した。
歩くうちに気づいたのだが、立ち並ぶ巨大な塔は居住空間のようだ。何人もの人が出入りしている。
そして幸いなことに、現地人は攻撃的では無いようだ。
私の姿に好奇の目を向けてくるのは仕方ないにせよ、いきなり襲いかかってくる事はない。
私が昔、隣国へ探査に行った時などは問答無用で自警団に取り押さえられそうになったものだ。
やれ「お前は指名手配されている」などとふざけた事を言う連中は魔道でぶっ飛ばしはしたが、あれに比べればなんと平和な世界なのだろうか。
私はふと、誰も居なさそうな塔と塔の間へと入っていった。
美味しそうな匂いがしたからではない。人目がなさそうな場所に思えたからだ。
外であろうと、寝る場所を確保しなければならなかったからだ。
薄暗く細い通路を進むと、不意にヒリつく空気を感じて警戒を強める。
前方の何かの上、闇の中に浮かぶ二つの眼を発見した。
左右色の違う瞳は少ない光を反射して輝き、私の動向を観察している。
僅かな魔塵粒子で小さな光源を作り打ち上げると、私の目にその姿は曝け出された。
おおよそ赤子程の体躯。
全身は毛に覆われ、ツンとした耳を持ち、立ったままシッポを大きくゆっくり振っている。
ーー魔獣。
この世界にも魔獣がいたのだ。
その小さな体に流れる魔塵粒子を感じる。
瞬間移動した直後の私でも魔獣の数倍の魔塵粒子は残っているが油断は禁物。
相手が一体とは限らないのだ。
私はゆっくりと息を吐き出し両足を開くと、臨戦態勢をとるのだった。