秘めた心
「ああ――わからないでしょうね。真っ直ぐに生き、己の意思に殉じようとしていた、あなたには」
アルは目を細め、苦笑いした。
「とにかく、そういうことです。今日、ここで殺すつもりはなかったんですが……」
「それじゃあ、いつそうするつもりだったの? たとえば戦争が終わったら、かしら」
「ええ、それがいいでしょうね。平和になれば英雄は不要だ。あなたも古い戦友には気を許すはずですから」
背筋が寒くなる。
やあ、お久しぶりです――なんて、退役したわたしを訪ねてくるつもりだったのか。
確かにわたしは油断するだろう。お茶の一つも出すに違いない。
「いや、本当にやるつもりはなかったんですよ! あくまで妄想で……なのに、我慢できなかった。あなたがあんまりあれをかばうものだから、つい、許せなくなったんです」
話し始めるとアルの告白は止まらなかった。
「絞めたのは、せめて簡単に済ませたくなかったからです。両手にあなたを感じながら殺す方が、ずっと……親密な気がする。だからですよ」
冗談じゃない。そんな親密さは願い下げだ。
わたしは本当に男を見る目がなかったらしい。
アルは見せつけるように銃口を振った。
「あなたは強情だ。だが、撃ち殺すのはしのびない。簡単に処理するには、自分にとってあなたは特別すぎるのです」
不意に、咳き込む声が聞こえた。
見ればマユハが意識を取り戻し、上体を起こしていた。
肩の辺りが血に染まっている。先ほど受けた銃創だろう。
出血が激しくなるとまずい。
「……ロゼから、離れろ。この変態野郎……っ!!」
マユハは肩をかばいつつ、ふらりと立ち上がった。
軽く広げた両手には、石一つ持っていない。
だが乱れた前髪の間から、ぎらぎらした瞳がアルを睨みつけている。
あやうい。
あんな目を向けたら、彼は素手の女でも――
「逆にあれは自分にとってどうでもいいものです。邪魔なだけで無価値なものです。本当に目障りだ」
目をしばたくと、アルは滑らかな動作でマユハに狙いを定める。
「ですから、家畜のように射殺できます。こんな風に」
止める間もなく、アルは小銃を撃った。
壁に反響した銃声は鋭く轟き、鼓膜に痛みが走る。
しかし、マユハは無事だった。弾はあさっての方向へ飛んだらしい。
がしゃん、と音がした。
アルは小銃を取り落としていた。眼の焦点があっていないようだ。
続けて本人も地に崩れ落ちた。
完全に意識を失っている。
見れば、アルの背中には小さな血痕が沁みていた。
「麻痺毒?」わたしが聞くと、マユハはうなずき、
「知ってたの、ロゼ?」
「固有能力のおかげで結果だけ見えたのよ。君が立っていて、アルが転がっている場面がね」
結果を導く為にわたしがしなければならないことは、寸前になって頭に浮かぶ。
しくじれば因果の連鎖は途切れてしまう。
「そっか。便利なのか不便なのか、わからないね、それ」
疲れた笑みを浮かべるマユハ。
一方、フレイは混乱していた。
「な、なにが……?」
彼の背がとんとんと叩かれる。
「――えっ?」
振り向いたフレイの目前でマガツの触手が揺れていた。
「うわあああっ!?」フレイは叫び、数歩後退りしてから「こ、これは……いや、そうか」
触手はしゅるしゅると後退し――マユハの背中へ消えた。
「マガツ細胞を植えつけられているのか! ファウンダーとの意思疎通と自衛の為に」
さすがにフレイは理解が早い。たいしたものだ。
マユハは服の隙間から長く触手を伸ばし、背後からアルを刺したのだ。
いや、わたしの呪いが彼女をそう動かした。
アルに秘めた心を吐露させ、無駄な時間を使わせたように。
ふらふらと歩いてくると、マユハはアルを思い切り蹴飛ばした。
アルは声一つ上げない。完全に気絶している。
「最低二週間は麻痺が残る。意識も戻らない。顔にいたずら書きするなら、いまがチャンス」得意気なマユハ。
「遠慮しておくわ。ねぇ、アルの身体に障害が残ることは……」
「さあ? あるかも」
あっさりとマユハは肯定した。
毒の効き目は人によって幅があるから、誠実な回答ではあるのだろう。
「同情するの、ロゼ。この人に」
わたしは首を振った。
「しないわよ。君を殺そうとした男にそれはできないわ」
わたしは決してアルを許さない。
彼はマユハを撃った。あの時、因果の連鎖は発動していなかった。
肩に命中したのはマユハがとっさに動いたせいだ。アルはマユハを殺すつもりだったのだ。
これで障害が残ったとしても、自業自得である。
ただ、申し訳ないような複雑な気持ちもあった。
彼が暗い穴の底に隠していた秘密を、わたしはぶちまけさせてしまった。
本当にやるつもりはなかった――というのは事実だろう。
わたしの呪言にそそのかされ、一線を越えてしまったのだ。
今後、アルとどう接すればいいのだろうか。
「黙って縁切りすればいい。どうせ、この人は覚えていない」
マユハによると麻痺毒の副作用により、短期記憶が失われるらしい。
目が覚めた時、この地下通路でおきた一連の出来事をアルは忘れてしまっているそうだ。
わたしにとってはおぞまし過ぎて忘れようがないけど。異常者に執着されていたなんてね。
張り詰めたものが緩んだのか、頭がぐらりと揺れた。
平衡感覚がおかしい。呪力を大量に消費してるせいだろう。
いつも因果の連鎖は数秒で終わるが、今回は違う。
望んだ願いが大きすぎるのだ。
かなえたいなら、まだまだ連鎖を続ける必要がある。この呪詛はまだ成就していない。
マユハはわたしの様子に気づき、手をとって立ち上がるのを助けてくれた。
手をつないだまま、わたし達は向き合った。
「続きをしよう、ロゼ。また邪魔が入る前に、終わらせたいの」
落ち着いた様子でマユハはささやいた。