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育てた妄執

「……ええ、あなたの言う通りですよ。自分は嘘つきです」


 アルの顔から感情が消え失せた。

 ただものさびしく、怒りの色すら見当たらない、暗い穴のような眼。

 

 わたしはぞっとした。これはベルファスト博士の孤高とも違う。

 

「だから、独りでした。誰も自分には寄り添ってくれなかった」

 

 恐ろしく静かで、重く、寒々しい。

 絶望の極地にいるかのような諦観が彼を支配していた。


「きっと、あなた達には見抜かれると思っていました。だから……」


 アルの手が伸びてきて、わたしの首筋に絡みつく。


「怖かった」


 ささやくと、アルはわたしの首をぎゅっと絞めた。

 頸動脈が締めつけられ、気道が押し潰される。

 両腕がぶるぶる震えるほど強く、アルは力をこめていく。

 抵抗しようにも、手はアルの膝で押さえられている。

 

 このままでは死ぬ。殺される。

 

 窒息、あるいは首の骨を折られてしまう。

 わたしは全身に力をこめて堪えた。

 

 これも因果の連なり――その一部のはずだ。耐えろ。いまは耐えろ。

 必ず、次の展開が来る。


「ば……っ! なにをしている、ファレス中尉っ!! ボルド中佐から手を離せっ!」


 フレイの絶叫が聞こえた。

 わたしが死ねば、フレイの計画が台無しになるのだろう。

 博士から遂行を託された、マガツ殲滅の作戦が成り立たなくなる。

 

 そうなれば、彼は自らの存在意義を失ってしまうのだ。

 

 フレイは大慌てで駆け寄り、アルの肩をつかむ。

 だが次の瞬間、アルの裏拳を食らってひっくり返ってしまう。


「く、くそっ、この汎人め、狂ったのかっ!!」


 確かにアルは冷静さを失っている。

 自ら暖め育てた妄執に身をゆだねてしまっているようだ。


「やめろと、言っているんだっ!!」


 尻餅をついたまま、フレイは術具入れの鞄に手を伸ばした。

 彼が指で素早く表面の紋様をなぞると、施されていた封印の輝きが失せた。

 ああ、やっぱりそこに入っていたのか。

 

 フレイは鞄に飛翔兵から採取した血液を隠し持っているのだ。恐らくはわたしとアルの分を。

 

 血液を触媒に行使される呪術は、恐るべき強制力をもつ。

 アルも身をもって理解しているはずだ。

 案の定、彼はぱっとわたしから離れ、今度はフレイに襲いかかった。

 

「やめろ、これは僕の……ぼ、僕が父から預かったものだぞっ!! やめろ、離せっ!!」

 

 抗議は激しかったが、効果はなかった。

 アルは強引に鞄を奪い取ると、勢いよく地面に叩きつける。

 なにか砕ける音がして、赤黒い液体――血液が流れ出た。


「ああっ、触媒が……っ!!」


 がく然とするフレイ。

 彼はわたし達への切り札を失った。そうなるように因果が連鎖したのだ。

 

 一連の流れはわたしの呪術のうちにある。連鎖を続けなくては。

 

 わたしは跳ね起き、地を蹴った。

 格闘ではアルにかなわない。レールの脇に落ちている小銃を奪うのだ。

 しかし、アルの切り返しも素早かった。

 

「――っ! おっとっ!!」


 足をつかまれ、腹ばいに引き倒される。

 続けて背中をどんっ、と叩かれ、肺から空気が追い出された。


「やれやれ、あぶないところでした。報復されてはたまりませんから」


 アルは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で小銃を拾い上げた。

 こいつ、わたしを踏み越えていったらしい。

 遠慮や敬意など、とっくにかなぐり捨てているようだ。

 いや、もう演技する必要性を感じていないのか。


「へぇ、報復されるような真似をしている自覚はあるわけね」


 身を起こし膝立ちになったわたしを、アルは小銃で牽制した。

 これ以上動けば発砲されるだろう。


「嫌なことを言いますね。本当につれない方だ。こちらの気持ちも知らないで……」


 君の気持ちですって?

 わたしをくびり殺したくてたまらないことは知っているわよ。

 

 そう言い返してやりたいのをこらえる。


「……当たり前でしょ、言葉にしてくれないとわからないわ。本心を打ち明けてくれれば、理解してあげられるかもだけど」


 話せ。なんでもいいから話せ。

 わかってくれるかも知れないぞ。

 

 だから話せ。そうすれば、かすかな擦過音をかき消せる。

 

 アルは倒れているマユハにちらりと視線を投げた。

 大丈夫、その娘はいましばらくは動けないわ。

 だから話して。話すのよ。さあ、早く!

 

 頭痛に耐えるように眉をしかめ、アルはしゃべり出す。


「自分は……あなたを尊敬しています」


「信じられないわ。尊敬しているのに、殺そうとしたの?」


「だからこそ、ですよ。あなたを崇拝しているんです、本当に心からです」


 アルの口調は穏やかだった。

 いっそ優しいと言ってもよかった。


「あなたを他人にゆだねたくない。マガツに殺させたくない。どうせなら、自分が殺したい。ずっと、そう思っていました」


 同意も理解もできない。

 だが、まごうことなき本音だろう。

 わたしにできるのは心をつついて、ほんの少し誘導する程度にすぎない。

 これはアル自身の考えなのだ。


「わたしにそこまで執着しているなんて、驚きだわ」

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど。 マユハは好きな人に殺されたいヤンデレ。 アルは好きな人を殺したいヤンデレ。 この辺は男女の差なんですかね? それとも……?
[一言] このアルの考えは大戦末期の異常な状況が増幅させた面があるにしろ、時折、現在の報道でも見られる狂気なんですよね。
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