願望
アルはがっちりとわたしを押さえ込んでいた。
痛みをこらえ、声を絞り出す。
「当たり前でしょっ!! マユハは、わたしの――」
「あれは敵です。マガツの仲間です。自分は前から疑っていた。だから、ずっと我慢してきたんですよ」
「なに……どういうこと……?」
「あれはあなたにふさわしくありません。外見がいいだけで、中身は腐っている。一緒にいるとあなたまで穢れてしまう」
「大きなお世話よっ!! 君があの娘のなにを知っているのっ!!」
「ですから、あれは敵です。それ以上の情報は必要ない。もう排除してかまわない……もう遠慮する必要はないんです。できれば落ち着いたところで、ゆっくりなぶってやりたかった。ずっと我慢してきたんですから」
アルの口調にわたしは寒気を覚えた。
恍惚とした、粘ついた声だった。
「自分はあれを殺します。敵を殺すんです。手助けは無理でも、せめて邪魔はしないでいただきたい」
「ふざけるなっ!! わたしが生きている限り、マユハに手出しはさせないわっ!!」
「わからない方ですね。いや、まてよ。それとも自分が中佐に嫌われているんでしょうか?」
アルは笑った。
吐き気のするような、自虐的な笑みだった。
「部下として尽くしてきたつもりですが、つれない人だ。これでも自分は結構もてるんですが」
彼の身体は興奮でほてっていた。
おぞましい執着のにおいが鼻をつく。
するりと手がわたしの胸元に滑りこみ、乳房を強く絞り上げた。
わたしは愕然とした。
痛みや嫌悪より、単純なショックに打ちのめされた。
アルは楽しんでいる。これが彼の本質なのだ。
上官であるわたしを暴力で組み敷く倒錯に興奮している。
獣じみた欲情をかき立てられている。
きっと以前から、わたし達をこうしてやりたいと思っていたのだろう。
マユハを排除し、わたしを屈服させる。
それがアルの密かな願望だった。
わたしは気づかなかった。今日、ここに至るまでまったくだ。
真面目で素直な好青年。
それがわたしの彼に対する評価のすべてだった。
思わず負け惜しみが口をついて出てしまう。
「……もてるですって? 趣味の悪い女もいたものね。いえ、君を哀れんでくれたのね、きっと」
「つくづく口の減らない方だ。中佐、自分はあなたを貶めたいのではありません。任務を遂行したいだけなのです」
「よく言うわね。この状況で任務だなんて!」
アルは平然と言い返した。
「おや、そうですか? おかしいですね。あなたもマガツを滅ぼすことを望んでいたはずですよ」
もちろん、戦争に勝つ必要はある。
戦況は逼迫しており、仲間割れをしている場合ではない。
だからといって、譲れないものは譲れない。マユハを殺させるなど論外だ。
どうする。
どうすればいい。
わたしがどうにかしなくてはならない。それもいますぐにだ。
だけど、そんな方法があるのか。
アルを退け、マユハを助け、戦争に勝つ方法が。
そんなの、ありそうにない。
いや、ダメだ。諦めてどうする。
最低限でいい。きっとそれしかできない。
わたしの望み。どうしてもかなえたいこと。たった一つ願うこと。
もちろん、マユハを助けることだ。
マユハが助かりさえすれば、わたしは――わたしは、それでいい。
本当に、それでいいのか。
いいはずだ。
だってマユハの為なら、わたしは命も惜しくない。
だからマユハさえ助かれば、それでいい。
うん、矛盾はない。
もう他のことはしかたない。ぜんぶ諦められる。
諦めることが、わたしのしたいこと?
もちろん、違う。
だけどしかたが――いや、まてよ。
違う。違う。違うのだ。
「わたしは兵士よ。わたしは裏切り者にはならない」
「そう! そうですよ、中佐。よかった、わかっていただけましたか!!」
安堵したのか、アルの力が少し緩んだ。
「では、証明してください」
「――証明?」
「ええ。あなたが処分するんです、マユハ・ノボリリを。
そうしたら、自分はまたあなたの忠実な部下に戻ります。約束しますよ」
もう驚かないが、わたしは呆れた。
思わず吹き出す。あんまり呆れて笑い出してしまったのだ。
痛みも忘れ、大笑いした。
アルは不思議そうに、「なにがおかしいんです?」
「おかしいに決まっているでしょ。マユハを処分なんてあり得ないわ。それに、君の約束になんの価値があるの?」
願うんだ。
強く、強く、心底からの願い。
「わたしは忠誠を捧げた相手を裏切ったりしない。わたしは決してマユハを裏切らない。そんなこともわからないなんて」
こうなって欲しい。
これだけはかなえたい。
心からの願望。
己の本心をさらけ出すのだ。
「わたしはマユハと一緒にいたい! それがわたしの望みよ。どうしてもかなえたいことよ」
そうだ。助けたいんじゃない。一緒にいたいのだ。
きっとマユハもそう思っている。
片方だけが生きていても、わたし達は満足できない。幸せじゃない。
ずっと一緒にいたい。それこそが望みだ。
わたし達は子供じゃないから、もちろん一人でも生きられる。
だけど、だからこそ、一緒にいたいと強く願うのだ。
「君とわたしは違うのよ、アル・ハヤ・ファレス。ぜんぶ嘘で塗り固めた、君なんかとはね!!」
ありったけの想いをこめて叫ぶ。
邪魔をしないで。そこをどいて。わたしとマユハは共に生きる。
絶対にそうしてやるんだから――っ!!
その時、因果の連鎖がかちりとはまった。




