人としての幸せ
バモンド中佐の言葉にわたしはショックを受けた。
「……死んだ人間は、切り捨てろってことですか?」
「俺の部下達も大勢死んだ。みんな、いい奴らだった。死んでもいい奴なんて一人もいなかったよ。俺は彼らを忘れない。忘れてはいけないんだ」
次々に着任しては、知り合う間もなく消えていく操縦者達。
中佐は彼らを覚えているのだ。
「俺が守り損ねた連中はもっと多い。寝ている娘達の顔を見ると……たまらない気持ちになるよ。空襲で沢山の人々が焼け死んでいる。なのに、俺は――」
指を固く組み、中佐は重い息をはいた。
「だけどな、死者に縛られてもいけないんだ。それじゃ、呪いになってしまう。死んだ連中を触媒にして自分に呪詛をかけるのは、倒錯だぞ」
「なら、どうしろと……?」
「生きているんだから、生きればいい。堂々と自分の人生を楽しめ」
「そんな……!」
理想論はそうかも知れない。
だけど、本当にそれは正しいのか。
おびただしい屍山血河を踏み越えた上で、人としての幸せを求める。
あまりに傲慢で、自分勝手が過ぎないか。
その正しさはどこの誰が保障してくれるのだ。
許されないことではないのか。
「いいんだよ。この世界じゃ、とにかく生きている奴が優先だ。善悪だの罪だのはその後さ」
「どうしてそう言いきれるんですか!? 何十万の死者より、生きている一人が優先される、なんて」
「俺達は生物だからだよ。死んじまったら、おしまいなんだ」
中佐の言葉はすとんとわたしの胸に落ちた。
死んじまったら、おしまい。いかなる形であっても、その先はない。
確かにそうだ。わたしも知っていたのだ。
許すも許さないも、生きていればこその話だと。
死者に生者の手はもう届かない。
死者の為にこうしなければ……と思うこと自体がただの勘違いなのだ。
認めがたいことではあるが――死んだ人々にわたしがしてあげられることは、もう何もないのだ。
「もちろん、死んだ奴を忘れるべきじゃない。特に自分がその死に関わっているならな」
「……はい」
忘れられるものではなかった。
父母や友人、部下達、わたしが守るはずだった大勢の人々。
彼らに対する想いはすでにわたしの一部だ。
「それを踏まえた上で判断すればいい。ボルド、お前はどうしたいんだ?」
「わたしが、どうしたいか……」
「そうだ。お前の話からすると、部下達の死にマユハ・ノボリリは直接加担した可能性がある。俺は彼女を許すことはできん。お前には悪いが、目の前にいれば彼女を捕縛するだろうな」
「……」
「だが、それはそれだ。俺の事情だよ。お前は? お前はどうする。お前の道はお前が決めるんだ」
「いいんですか、そんなこと……?」
「いいさ。お前の人生だ。なにを優先し、なにを切り捨てるか、決めるのはお前だ。お前は、なによりもまずお前自身を尊重すべきなんだよ」
簡単には割り切れない。決められない。
本当はわたしはどうしたいのか。何をするのがわたしの理想なのか。本心はどこにあるのか。
間違いやごまかしはあってはならない。選択の機会は一度きりなのだ。
思考に沈みかけた時、いきなり指揮所の扉が開いた。
ずかずかと踏み込んできたのは、小柄な少年だった。
精霊種とみまがう整った顔立ちに銀の髪。
二人の護衛を引き連れた姿は大貴族の御曹司のようだ。
実際似たようなものなのだが。
「おい、ベルファスト。前にも言ったはずだが――」
「嫌だなあ、僕のことはフレイと呼んで欲しいね、バモンド中佐。ちゃんと自己紹介したのに」
「やかましい、せめてノックくらいしろ! ここは我々の指揮所で、貴様の研究施設じゃない」
「これは失礼。知識はあるんだけど、マナーは実践する機会がなくてね」
フレイはわざとらしく頭を下げた。
微笑をたたえているが、ひどくよそよそしい。
凍るような瞳が彼の本心を表していた。
軽蔑。
この少年は世界のすべてを嘲り、軽んじているのだ。
ただ一人の例外を除いては。
「そんなことより、それはどういうことだい、ミス・ボルド?」
フレイはわたしの包帯を指して言った。
「君には地上待機命令が出ている。出撃は禁止されているはずだよね?」
「転んだのよ」
「猫に引っかかれたのかもな」とバモンド中佐。
「――なるほど。しつけが悪いわけか」
フレイは余裕のある態度を崩さず、肩をすくめた。
まったく人間そのものとしか思えない所作だ。
「まあ、いいや。時間が惜しい。ミス・ボルド、僕と来てもらうよ」
「待て、何の話だ! ボルドは俺の部下だぞ!!」
「もう違うよ、バモンド中佐殿。ロゼ・ボルドは総司令部直轄の特別攻撃隊に転属になった。今朝付けでね」
抗議する中佐にフレイは冷笑を返す。
彼の護衛達に腕をつかまれ、わたしは罪人のように引き立てられた。
「どういうことなの、フレイ!?」
「おや、まさか忘れたのかい? 君も待ち焦がれてはずだろ」
芝居がかった仕草でフレイは両手を広げた。
紛れもない歓喜に身を震わせながら。
「準備ができたのさ――マガツを滅亡させる準備がね!」