妥協した選択
戦場からベルゲンの空港まではわずか五分で着く。
敷地内にある大隊指揮所に戻ると、わたしは長椅子に座り、傷の手当を行なった。衛生兵は大忙しなのだ。この程度の怪我で呼びつけるわけにはいかない。
ほどなくやって来たのは、バモンド中佐だった。
慌てて立ち上がるわたしを手で制し、
「楽にしろ。負傷したそうだが、身体は大丈夫なのか?」
「はい、問題ありません」
わたしは包帯を巻かれた腕を振ってみせた。
自分で手当てしたからあまり見栄えはよくないが、飛ぶのに支障はない。
バモンド中佐はわたしの正面に腰を下ろす。
「傷が癒えるまで出撃を控えた方がいいんじゃないのか?」
「はい、中佐。いえ、そういうわけにはいきません。感染モードを使えるのは、もうわたしだけなんですから」
「そうか。まあ、そうなんだがな……」
軽くうなずきつつも、バモンド中佐の表情はさえなかった。
中佐は探るような視線を寄越す。
「お前も俺も生きていればこそ、役に立つ。理解しているとは思うが……」
わたしがまた無茶をしたのでは、と心配しているらしい。
過保護な気もするが、無理もなかった。
一時期のわたしは自暴自棄になっており、ひどく集中力を欠いていた。
お陰で危ういミスを何度もした。
あげく二度も撃墜され、ようやく立ち直ったのだ。
少佐はそれを想起しているのだろう。
いや、自分では気付かないだけで、いまも大差ないのかもしれない。
実際、悩みを抱えているのは確かだった。
「――少し、中佐のご意見をうかがいたいのです。任務そのものの話ではないのですが……」
「ん? ああ、構わんぞ」
「確か中佐はお子様がいらっしゃいますよね」
「娘が二人だ。妻と一緒に避難所暮らしだな」
「軍人として、親として、二つの立場があるわけですよね。もしその二つの間で相反してしまう選択を迫られたら……どの道を選ぶべきだと思いますか」
軍人としては間違っているが、親としては正しい。
あるいはその逆もあるだろう。
公共的な立場、家族としての役割、自身の希望。
これらは必ずしも一致しない。
だから場合によって優先順を入れ替え、妥協した選択をする。それが普通だ。
理屈としてはしごく当たり前の話なのだ。
だが、わたしは選ぶことを躊躇していた。
「ボルド、お前がずっと悩んでいたのはその話か?」
わたしがうなずくと、バモンド中佐は表情を和らげた。
「なるほど、そうだったか。お前がそこまで悩むなら、一般論で片付くことでもないだろう。どうせならちゃんと話してみろ」
「えっ? そ、それは……」
さすがにためらってしまう。
ベルファスト博士からは口外無用を言い渡されている。
もちろん、バモンド中佐は信用できる。
秘密は守ってくれるはずだ。
しかし、もし後からことが露見すれば中佐に迷惑がかかってしまう。
ロサイル攻撃の件で巻き込んでしまっただけでも心苦しいのだ。
守るべき家族がいる人なのに。
「なんだ、心配なのか?」
「いえ、その……」
「遠慮はいらん。俺は口が固いから、共犯にはもってこいだ。知っているだろ?」
バモンド中佐はいたずら小僧のように、にやっと笑った。
つられて表情を崩しかけ――わたしは泣き出していた。
「な、何から話せばいいのか……わからないんですが……」
気付けば、口から告白が転がり出ていた。
感染モードの真実、マユハがマガツの協力者だったこと。
自分だけで抱えるには重過ぎる秘密。
結局、わたしは誰かに知って欲しくてたまらなかったのだ。
「マユハと逃げることはできません。マガツは父母の敵で、わたしは兵士だから」
中佐はただ黙って耳を傾けてくれている。
「マユハを殺すこともできない! 彼女はわたしの配偶者です。愛しているんです、心から……」
どちらを選んでも後悔するだろう。
だが、選択の時はいずれ来る。
確実に迫り来るそれを、わたしは肌身で実感していた。
早く決めなければならない。
でも、どちらを?
「逃げるのは俺もおすすめしないな。そもそも、逃げる場所がないだろ。さすがにマガツの巣に間借りってわけにもいくまい」
もしかしたらマユハは平気かも知れないが、わたしにはとても無理だ。
完全な裏切り者になることだけは、耐えられない。
「……上官としては兵士の義務を果たせ、と言うべきなんだろうがな」
バモンド中佐はぼりぼりと頭をかいた。
「お前、どちらも選びたくないんじゃないのか?」
「それは……でも、それじゃ無責任です!」
「いいじゃないか、無責任で。人間の器なんてたかが知れている。全部背負い込むこともないさ」
「ダメでしょう、そんなこと! 死んでいった人達はどうなるんですかっ!?」
結局、それなのだ。
わたしが歩いてきた道はおびただしい死者で舗装されている。
彼らに対して果たすべき責任があるはずだ。
「ボルド、死者は悼むものだ。縛られるものじゃない」