本当の地獄
「マユハが十二歳の時、ボーデンは彼女を襲ったの。いきなり殴られて……暴行された」
夜ごとにそれは繰り返された。
恫喝と恐怖からマユハは助けを求めることさえ、できなかった。
父であるトルノは持ち前の愚鈍さを発揮した。
自宅で行なわれていた犯罪行為に、まったく気付かなかったのだ。
最初は復讐の為だったが、ボーデンはマユハに夢中になった。
年齢より大人びた、しかし幼さを残した美貌。
男の嗜虐心と欲望をぶち撒ける対象としてこの上もなかった。
「そのうち、ボーデンは思ったわけ。これはいい。これは金になるぞってね」
ボーデンはマユハに身体を売らせるようになった。
彼女の美しさは近在で評判だったこともあり、客は幾らでもついた。
既婚者、教師、宗教家、警務隊長、地方行政官、裁判官。
年端のいかない少女を買ったと世間に知られれば、立場が危うくなる男達。
ボーデンはそうした連中を選び、マユハとの関係を持ちかけた。
マユハをどうぞと差し出せば、彼らがあらがえないことを確信していたのだ。
案の定、みんなマユハに群がった。
たっぷりの金をボーデンに払い、彼女をむさぼって共犯となった。
たまらない声で鳴く、とびっきりの淫売がいるぜ。
ボーデンの誘い文句はいつも同じだった。それで充分だとわかっていた。
ある意味、彼はマユハの信奉者だったのだ。
「吐き気のする話ですね……」
アルは青ざめ、本当に気分が悪そうだった。
なんとも繊細なことだ。
好ましいと思う一方で、わたしは少々呆れてしまった。
この程度で動揺してどうするのだ。
温室育ちの坊ちゃんじゃないんだから、しゃきっとして欲しい。
胸くその悪い出来事など、兵士としてたくさん見てきただろうに。
お陰でわたしはかえって平静になれた。
「一年以上も経って、愚鈍なトルノも何が起きているか理解した。たぶん、村で最後に知ったのは彼だったでしょうね」
本来トルノは娘にあまり関心がなかったのだが、ことがことだ。
さすがにトルノは激怒した。
叩き出される前に稼いだ金をかき集め、ボーデンはふたたび村から出て行ったのだ。
「それで、ようやく終わったわけですか」
「いいえ」
「――なんですって?」
アルの顔に本物の動揺が浮かぶ。
思わず口の端がつり上がりそうになり、苦労して抑える。
いけない。つい、楽しくなってしまった。
「弱みを握られた連中が開き直ったのよ。客の中にいた村の権力者達がね。一介の農夫を脅すなんてわけもない」
マユハが売女であることは公然の秘密なのだ。
誰が彼女を買っているか――それさえ表沙汰にならなければ、問題はない。
「脅しに屈したんですか? 父親が!?」
「ええ。どうせ、今までと同じでしょ? 権力者達は金を出し合って、マユハを共有することにしたのよ」
ボーデンが村を出たのは周知のことだった。
トルノにばれ、マユハも売春をやめたことにすればいい。
これからは限られたメンバーだけで楽しもう。
本当の地獄がはじまったのは、それからだ。
マユハは売春を父に知られるのをひどく恐れていた。
同時にもしそうなればすべて終わるだろうとも思っていた。
だけど、そうではなかった。
救いなど、世界のどこにも、一欠片もなかったのだ。
トルノは想像を絶する愚鈍さに逃げ込んだ。
娘の悲惨な境遇と置いていかれる金に気付かないふりをして、農作業に没頭したのだ。
まるで何事もなかったかようにトルノは振る舞った。
朝早くから畑に出かけ、コブウシの世話をし、黙々と食事をしては寝てしまう。
パニックに陥ったマユハはトルノにすがりついた。
一体、どういうつもりなの。わたし、どうしたらいいの。助けてはくれないの。
だが、父はそんな話は聞きたくないと娘を怒鳴りつけ、突き飛ばした。
俺は何も知らない。自分でどうにかしろと吐き捨て、歩み去ってしまったのだ。
トルノに対処できないことが、マユハにできるはずもない。
男達は代わる代わるに家を訪れては、彼女を蹂躙して欲望を吐き出していく。
もう自宅は安らげる場所ではなくなった。
見慣れた風景から想起される暖かい記憶は、おぞましい快楽に塗り潰された。
外を出歩くこともできなかった。
村人達が嫌悪、欲情、あるいはその両方が入り混じった視線を向けてきたからだ。
マユハは己が無価値で醜悪なイキモノになってしまった気がした。
だから誰も助けてくれない。だから何も変わらないのだ。
生きながら喰われるような苦痛は、ずっと、ずっと、果てしなく続くだろう。
こんなのは嘘だ。
どうしてこんなに惨めな境遇に堕ちたのか、わからない。
しかしそれが彼女の現実だった。
じゃあ、何の価値があるのか。
こうして生きていることに何の価値が?
汚辱にまみれ、苦悶するだけの生をどうして続けるのか、わからない。
「だから、マユハは壊れてしまった。だから、マガツに籠絡されてしまったのよ」
「そ、それは……」
「なにかしら? わたしは知っていることを話した。せっかくだから、あなたの意見を聞かせて欲しいわ」
もはやアルは蒼白になっている。
かわいそうかな、と思いつつもわたしは聞き返した。
「あなたは誰が悪かったと思う? 教えてくれるかしら、アル・ハヤ・ファレス」