意趣返し
「マユハ・ノボリリはマガツの協力者だった。間違いありませんね?」
「ええ」
アルはうなった。眉間には深い皺が刻まれていた。
すっかり深刻な表情になっているが、普段よりむしろ魅力的に見える。
きっと彼はもう少し老けた方が素敵だろう。
「自分の知る限り、あなたからそうした報告は出ていません」
「でしょうね。軍には報告してないもの」
「何故です?」
「わたしがわたしのパートナーといつどこで会おうが、飛翔軍に関係ないでしょ?」
「ロゼ。あなたが保身の為に事実を伏せたとは思えない。わけを話してください」
アルはわたしを見据えた。まったく遊びのない眼差しだ。
わたしは大仰にため息をついた。真面目なのはいいけど、あまりに余裕がないのは頂けないのだが。
「――ベルファスト博士に口止めされたのよ。ベルゲンに到着した時、博士が待ち構えていてね」
もともと、わたしを救出した部隊は博士の意向でクルグスへ派遣されていたのだ。
きっと色々なコネや脅しの種を駆使し、上層部を操ったのだろう。
結局わたしが原隊に復帰したのは、博士との長く激しいやり取りが終わった後だった。
完全に本来の指揮権を侵害するやり方だが、それは今さらである。
得心がいったらしく、アルの表情はやわらいだ。
「ベルファスト博士が? そうでしたか……まあ、それならわかります」
「へえ? 当時、わたしは理解できなかったけど……」
マガツは我々の中に情報提供者を得ていた。
ならばそれは、たった一人であるはずがない。
恐らく、人類社会のそこかしこに彼らはいたのだ。
本当であれば警告を発し、裏切り者を摘発すべきだった。
「博士はマガツに情報を流し、逆操作しようとしていたふしがあるんです。その手が使えなくなるのを嫌ったのでしょう」
「ああ……」思い当たることがあり、「確かにそれはベルファスト博士らしいわね」
わたし達は顔を見合わせて苦笑した。
強烈でお世辞にも親しみやすいとは言えない人物だったが、今となっては懐かしささえ覚えてしまう。
「しかし、博士の指示である証拠はないでしょう。怠慢では済まされない。反逆罪に問われても仕方のない行為です」
「かもね。でも、戦争は終わってわたしも退役しているのに、国家保安局が問題にする? こんな話」
「わかりません。他になにかあるのかも……」
アルは顎をさすり、「マユハ・ノボリリがマガツの協力者になった理由は、ご存知ですか?」
「――っ!」
ぎくり、と身体がはねた。脈が乱れ、気道も圧迫される。
あれからずいぶん経つのに、全然克服できていないらしい。
情けない限りだが、人間には限界がある。
許せないこと、忘れられないことがある。
どんな時も厳として存在し続け、自分の一部分となってしまったつらい記憶。
誘発される悪感情は己を壊しかねないほど強い。
これを御すのは、そう簡単ではないのだ。
「ロゼ、つらいのかも知れませんが……」
「いえ……大丈夫よ。聞きたいんでしょ? 教えてあげるわ」
他人への告白は心の傷を軽くする効果がある。
悪いけど、アルにもわたしの荷物を少し持ってもらおう。
わたしは呼吸を落ち着け、話し始めた。
トノト村でマユハ・ノボリリはどのような境遇にあったのかを。
□
マユハの母、レジーナはトノト村の出身ではない。
遠方の街から流れて来たようで、繊細な美貌の持ち主だったが、同時に色々と噂の絶えない女性だったらしい。
一方のトルノ・ノボリリは厳格だが愚鈍な男で、身体の頑健さだけが取り柄だった。
接点のなさそうな二人がどうして結ばれることになったのか、詳しい経緯は不明だ。
とにかく娘を産んでほどなく、レジーナは病を患い死去してしまう。
以後、しばらくは平穏だった。
祖父母はそれなりにマユハを可愛がったし、トルノは野良仕事に明け暮れていたからだ。
ところがマユハが10歳の時、祖父が亡くなった。
彼の葬儀をきっかけに、何年も前に村を出ていたボーデンが舞い戻って来てしまったのだ。
畑には一切出ず、ケンカ、賭け事、飲酒に明け暮れるボーデンを祖母はたしなめた。
だが、野良仕事を嫌っていたボーデンが応じるはずもない。
小遣いをせびり、迷惑をかけるだけのごくつぶしを祖母はとうとう見限った。
彼女は財産のほとんどをトルノに譲ってしまい、ボーデンにはわずかな果樹園しか渡さなかったのだ。
ボーデンは怒り、ついで懇願したが、決定はくつがえらなかった。
2年後、祖母が亡くなるとトルノはボーデンを露骨に馬鹿にし、邪魔者扱いするようになった。
愚鈍な分、トルノの嫌味はしつこかった。
もともと目端が効き、自分勝手なボーデンにトルノはコンプレックスを持っていたらしい。
立場が逆転して、親の目もなくなると意趣返しに歯止めが効かなくなった。
毎日、同じ皮肉を言われ馬鹿にされるのは、誰にとっても耐えがたいものだ。
しかし、腕力ではトルノにかなわない。
おまけにボーデンにはもはや家を出て行くだけの金もない。
果樹園を真面目に世話すれば収入を得られただろうが、それができるならこうなっていなかった。
結果、恨みの矛先は娘へ向けられてしまったのだ。